自由を愛し、自身の生き方を貫いた作家・宇野千代をモデルに描く連続テレビ小説「ブラッサム」。放送にあたり、ステラnetでは「ブラッサム」をより楽しむためのコラムをお届けします。

後編では、千代が川下尋常小学校に代用教員として採用された頃について、故郷・山口県岩国市で、宇野千代の功績やゆかりを伝える活動を行っている安達尚子さんにお話を伺いました。(前編はこちら)

※ドラマは、実在の人物をモチーフとしていますが、物語として大胆に再構成しています。

安達 尚子さん

鳥取県米子市生まれ。1996年から5年間、岩国学校教育資料館嘱託。1997年に宇野千代顕彰会が発足され、研究会や読書感想文コンクール、文学散歩、イベントなどを担当。現在、宇野千代顕彰会の事務局長を務める。


やさしくも厳しい教員の宇野千代

1914年(大正3年)宇野千代は川下村尋常小学校(現・岩国市立川下小学校)の代用教員となります。

「お継母さまのリュウさんの母、佐伯ミヱの口利きで採用されたようですが、もともと成績優秀ですからね。師範学校に行っていないのに学校の先生になれたのは、やはり相当勉強ができたのだと思います」(安達さん。以下同)

大正時代の川下村尋常小学校 (『100年のあゆみ 川下小学校』より)

千代は厳しい先生だったという記述も多く残されています。

「『100年のあゆみ 川下小学校』の教え子の手記によると、千代は厳しい先生だったようですが、褒めるのも上手で、その子の才能を引き出すのが得意だったようです。小さな幸せを見つけるのが上手な千代さんらしいエピソードだと思います。教え子たちとは後年、交流もあったようです」

また、この時期に回覧文学雑誌『海鳥』を立ち上げたのも千代の人生に大きな影響を与えました。

千代18歳の頃、回覧文学雑誌『海鳥』の仲間と。前列右から2人目 (宇野千代顕彰会蔵)

「女学校時代、投稿の時に、名前を借りていた菊池寛一も『海鳥』のメンバーです。文学を愛する7人の仲間たちで立ち上げた同人誌で、3号まで発行されています。千代は教員となってから1年余りで職を辞してしまったため、それ以上は続けられなかったのかもしれません」


初恋から退職。そして岩国を離れる

同僚の教員と恋仲になり、学校を退職させられるエピソードは広く知られています。安達さんは当時の日誌に、その様子が垣間かいま見みえると言います。

「学校には千代が退職する頃の日誌も残されています。そこには風邪や腹痛などの体調不良で休みが多くなっていたと書かれており、欠勤理由が徐々に増えていきました。また、実際には解雇だったわけですが依願退職を迫られていたようで『辞めてもらわないけんね』と追い込まれていく様子も記されています。このことが、千代さんが岩国を離れるきっかけになったんです」

宇野千代 (岩国学校教育資料館蔵)

その後、千代は朝鮮の京城(現在のソウル)に渡ることになります。

ところで、宇野千代は4度の結婚をするなど恋多き女性として知られていますが、地元・岩国にはそれを快く思わない人も少なからずいたようです。のちに女学校の名簿から宇野千代の名前が削除されるという出来事もありました。

「私も岩国高校の同窓生ですが、在学中に先生から宇野千代さんの話を聞いたことは一度もありませんでした。千代さんはのちに岩国の名誉市民になられますが、当時はまだ自由奔放に生きる宇野千代という人を理解するのは難しかったのかもしれません」


川西の生家を修復

千代が生まれ育った生家。見学も可能。

時は流れて1973年(昭和48年)、千代は77歳の時に岩国に遺のこされていた生家を修復します。

「刑部芳則さんが書かれた『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』によると、修復のきっかけになったのは弟の薫さんでした。のちに宇野千代の菩提ぼだい寺じとなる教蓮寺の住職に、薫さんが『生家を処分したい』と相談したところ『女流作家の生家として大切にされては』と進言されたそうです。また、千代は継母・リュウが亡くなる直前まで『川西の往還を通ると、うちの家が一番ひどうなっとる、と人がみなお言いるげな』と言っていたのを思い出し、久しぶりに岩国に帰ってみると、『大きく傾いた実家のあまりの酷ひどさに驚いた』と書かれています。刑部先生の本は、これまであまり知られていなかったことも詳細に記されていて、地元の私たちも驚くエピソードが少なくありません」

美しい紅葉の木々。

千代は生家の庭を、住んでいた頃にはなかった紅葉の木で埋め尽くし、桜の木も3本植えました。

「千代さんは、それはそれは美しい庭をつくられました。宇野千代顕彰会では毎年、千代さんのお誕生月の11月に『もみじ茶会』を開催しています」

「毎年多くのファンの方がお越しになり、千代さんの好物だった岩国の銘菓『いがもち』を味わいながら、その人となりに思いをはせています」

岩国名物「いがもち」

「また、毎年命日の6月10日には、岩国市・川西にある教蓮寺で宇野千代を偲しのぶ『薄桜忌』が執り行われています。今もなお、千代さんを慕う人々によって、その功績や人柄が語り継がれています」


岩国を離れてから75年、岩国名誉市民へ

里帰りをした宇野千代。岩国の生家で取材に応じる (宇野千代顕彰会蔵)

宇野千代が教員を辞め、朝鮮に旅立ったのは1915年(大正4年)。それから75年を経た1990年(平成2年)に文化功労者に選ばれ、岩国名誉市民となります。

「長い長い旅でしたよね。18歳で岩国を離れ、名誉市民となったのは93歳の時。厳しい父に育てられ、14歳のときにはお嫁にも行かされました。そこから大好きな文学で大輪の花を咲かせ、故郷に錦を飾ってくれたのです」

里帰りした千代が、故郷・岩国への思いを綴つづった書(複製)。

安達さんは宇野千代の著作を読み込み、地元の人々への聞き取りや資料調査を重ねながら、その足跡をたどり続けてきました。

「小説は自伝であってもやはりフィクションです。岩国の地に息づく宇野千代という人の本当の姿や足跡を、これからも研究していきたいと思っています」


朝ドラ「ブラッサム」では、これから葉野珠たまが波乱万丈な人生を歩み始めます。作家・宇野千代の原点ともいえる岩国の日々を胸に、これからどのように自らの人生を切り開いていくのか。放送もあわせてお楽しみください。

(取材・齋藤健治、松田久美子 [NHK財団]、島田ゆかり)
(文・島田ゆかり)
(取材協力:山口県 観光プロモーション推進室)

引用・参考文献:

『生きて行く私』宇野千代著 毎日新聞社
『宇野千代  昭和モダニズムの伝道者』刑部芳則著 NHK出版新書
『百年のあゆみ  川下小学校』
『宇野千代』尾形明子著 新典社
『宇野千代の札幌時代』神埜努著 共同文化社