自由を愛し、自身の生き方を貫いた作家・宇野千代をモデルに描く連続テレビ小説「ブラッサム」。放送にあたり、ステラnetでは「ブラッサム」をより楽しむためのコラムをお届けします。

1985年、里帰りする宇野千代。錦帯橋にて (宇野千代顕彰会蔵)

宇野千代のふるさと、山口県岩国市。ドラマもここからスタートしました。この岩国市で、宇野千代の功績などを伝える活動をしているのが、宇野千代顕彰会です。その事務局長の安達尚子さんに、宇野千代の岩国時代について伺いました。

※ドラマは、実在の人物をモチーフとしていますが、物語として大胆に再構成しています。

安達 尚子さん

鳥取県米子市生まれ。1996年から5年間、岩国学校教育資料館嘱託。1997年に宇野千代顕彰会が発足され、研究会や読書感想文コンクール、文学散歩、イベントなどを担当。現在、宇野千代顕彰会の事務局長を務める。


成績優秀な小学生時代

小学生の頃の宇野千代。 (岩国学校教育資料館寄託)

明治30年11月28日、山口県玖珂郡横山村(現在の岩国市川西町)で父・宇野俊次、母・土井トモの長女として生まれた宇野千代。しかし、母は千代が1歳半の時に亡くなります。のちに、父は17歳の佐伯リュウと再婚し、千代は継母・リュウに育てられました。

父とリュウの間には5人の子ども(長男:薫、次男:鴻ひろし、次女:勝子、三男:光雄、四男:文雄)が生まれ、千代は6人きょうだいの長姉として、弟や妹の面倒をよくみていたようです。リュウは実子と千代を分け隔てなく、むしろ千代を大切に育てたと著作にあります。

「私が宇野千代さんにお目にかかったのは、亡くなられる(1998年)4年ほど前。岩国観光ホテルで先生を祝う夕べが開かれた時です。あれが最初で最後になりました。千代さんが小学生時代を過ごした岩国尋常小学校校舎は現在、岩国学校教育資料館となっており、私はそちらで5年間、嘱託職員として勤務しながら宇野千代さんの岩国での足跡に触れてきました」(安達さん。以下同)

千代が通っていた岩国尋常小学校校舎。現在は岩国学校教育資料館となっている。
館内には当時の机や椅子も。

小学生時代の千代は、どんな子どもだったのでしょうか。

「成績優秀だったといいます。岩国小学校に当時の成績簿が残されており、見せていただきました。小学校を通してすべて『甲』。今でいうオール5のような成績です。千代は勉強もよくできたようです」

甲の文字が並ぶ成績表。国語や算数だけでなく、図画や歌唱も得意だったようだ。 (岩国小学校蔵)

「お父さんも、その時だけは娘を自慢して歩いたそうです。厳しいお父さんが喜んでくれることが、千代さんにはうれしかったんでしょうね」


馬とカナリアを愛した父

宇野千代生家。

ドラマで描かれている父・清治(渡部篤郎)の姿は、実父・宇野俊次と重なる、と安達さんは話します。

「お父様の俊次さんの放蕩ほうとう無頼ぶらいぶりは資料にも残されており、地元でもよく知られております。ドラマでは長男として描かれていますが、実際は次男で、お兄さんが実家の造り酒屋の当主を継がれました。俊次さんは本当に変わり者で子どもたちに厳しく、遊びに行くことは許さなかったようです。『人にはあんなに厳しいのになんで馬と鳥にはやさしいのか』と、みんな不思議がっていました。競馬の競走馬も持っていたようで、レースに勝ったという記述も残っています」

生家から徒歩20分ほどの岩国・錦帯橋。

千代は本を読むことも許されず、薄暗い厠かわや(トイレ)の中でこっそりページをめくっていたようだ、と安達さんは話します。

そんな父が、千代が16歳のときに病死。

「お父様が亡くなられてからは、きっと好きな小説をたくさん読み漁あさることができたのではないでしょうか。お父さんの厳しさはつらいものだったと思いますが、その厳しさゆえに、のちにどんなことでも耐えられた。また、小さなことでも幸せを見つけられるようになったことや、無頼の知恵(世間の常識やルールにとらわれない生き方の中で身につけた、実践的な知恵・したたかさ)を感じたと千代さんは書いており、後年になってお父様のことを肯定できるようになったようです。しかし、俊次さんのことはまだわからないことが多く、私もさらに研究をしたいと思っています」

高森(現在の岩国市周東町下久原)にあった宇野家の本家、宇野酒造の跡地は数千坪もあったとされ、現在は宇野千代文学碑が建立されています。


作家への芽吹きは女学校時代

岩国高等女学校卒業写真・複製。大正3年、千代は前列右から2人目。 (岩国学校教育資料館蔵)

明治43年、13歳になった千代は岩国尋常小学校を卒業し、岩国高等女学校(現・岩国高等学校)に入学します。のちに作家となり、着物デザイナーとなる千代の原点は、この女学校にありました。

「女学生になると文学仲間ができて、投稿活動も始めます。しかし、千代の名で投稿すると問題になるからと、女学校近くの中学校(男子の通う学校)の生徒である菊池寛一の名前を借りて投稿することもあったようです。この菊池寛一も文学仲間となり、のちに同人誌を立ち上げるメンバーとなります」

生家に飾られている、千代の着物。桜のデザインは千代自身による。

着物デザイナーへの出発点も、この時期です。女学校では裁縫の時間が週に13時間もありました。

「十二じゅうに単ひとえの縫い方も習ったというエピソードもあり、私も驚きました。千代は著書の中で『高等女学校といったが、いまから思うと裁縫女学校とでも言いたいほど裁縫の時間が長かった』と書いています。段々だんだんと和裁のおもしろさに目覚めていったという記述もあります」


文学仲間と出会い、作品を投稿し、裁縫の面白さにも目覚めていく。のちに活躍する宇野千代の原点は、岩国高等女学校で過ごした日々にありました。

ドラマでは葉野珠たまと友人たちが同人誌『黎明れいめい』の再開を誓い、溢あふれる思いを書き綴つづる日々が始まります。実際の千代たちは、教員時代に同人誌『海鳥』を立ち上げました。後編では、女学校を卒業してからの教員時代のお話などについてご紹介します。

(取材・齋藤健治、松田久美子 [NHK財団]、島田ゆかり)
(文・島田ゆかり)
(取材協力:山口県 観光プロモーション推進室)

引用・参考文献:

『生きて行く私』宇野千代著 毎日新聞社
『宇野千代  昭和モダニズムの伝道者』刑部芳則著 NHK出版新書
『百年のあゆみ  川下小学校』
『宇野千代』尾形明子著
『宇野千代の札幌時代』神埜努著