関白かんぱくとなり、名実ともに天下人となった豊臣とよとみの秀吉ひでよし(演:池松壮亮)ですが、晩年まで後継者問題に苦慮しました。この頃の秀吉周辺の家族・関係者の状況を見てみましょう。

秀吉は、天正8年(1580)ごろ、織田おだ信長のぶなが(演:小栗旬)の子・お次つぎ秀勝ひでかつ(演:柊木陽太)を養子にします(コラム#26参照)。秀勝は清須会議きよすかいぎののちに丹波たんば亀山城かめやまじょう(現在の京都府亀岡市に所在)の城主となり、天正12年には、中国地方の大大名・毛利もうり輝元てるもと(演:濱正悟)の養女と祝言を挙げました。

着実に後継者の地位を固めつつあった秀勝でしたが、天正11年春ごろより病気がちになり、天正13年10月には重篤になります。病平癒の祈祷きとうや薬石も効なく、同年12月10日に亡くなりました。数えの18歳でした。

ドラマでも、秀勝の病を契機に秀吉の後継者問題が取り沙汰されていましたね。

家族たちの様子を見ると、秀吉の関白就任に伴い、寧々ねね(演:浜辺美波)は摂政せっしょう・関白の正室の敬称・北政所きたのまんどころ、秀吉や秀長ひでなが(演:仲野太賀)らの母・なか(演:坂井真紀)は同じくその母の敬称・大政所おおまんどころと呼ばれるようになっていました。

またドラマでは描かれていませんが、秀吉は寧々以外に、京極きょうごく龍子たつこ(浅井あざい長政ながまさ[演:中島歩]の姪めい)や前田まあ(前田まえだ利家としいえ[演:大東駿介]の娘)など複数の妻を持つようになっています。織田家の血筋を引く女性も、信長の弟の娘(姫路殿)や、信長の娘(三の丸殿)がすでに妻となっていました。

当時は一夫多妻の習慣がありましたが、江戸時代のような側室・妾しょうとは違う存在だった、と近年指摘されています。彼女たちは独自の財力に加え、自身に仕える組織をも持っていたようです。

しかし、秀吉は子どもには恵まれませんでした。子どもは授かりものではありますが、家の継続を第一に考えた場合、どうしても後継者問題が発生してきます。なお、お次秀勝が亡くなったすぐあとの天正14年3月、秀吉は宣教師に「日本を秀長に任せて自分は朝鮮・明に出陣する」と語っています。秀長を後継者として意識していたのかもしれません。

左から、浅井三姉妹の三女・江、長女・茶々、次女・初(第33回より)

さて、ドラマでは新たな妻の候補として、茶々ちゃちゃ(演:井上和)の存在が急浮上していました。信長の妹・市いち(演:宮﨑あおい)と浅井長政の間の三姉妹の長女です。母・市が柴田しばた勝かつ家いえ(演:山口馬木也)とともに亡くなった天正11年には、15歳ほどでした(コラム#33参照)。

そして秀吉に保護されたのち、秀吉の妻の一人で、三姉妹のいとこに当たる京極龍子のもとにいたのではないかと推測されています。北庄城(現在の福井県福井市に所在)落城から数か月後、秀吉が寧々に出した手紙では、茶々たちを「小谷の御ごもじ(御料人、姫のこと)」と呼び、心が落ち着くように、生活に不便がないように、と配慮を示しています。

そうした中、三姉妹の次女・初はつ(演:田牧そら)は龍子の兄・京極高次たかつぐと結婚しました。三女・江ごう(演:西川愛莉)は天正13年10月に秀吉の甥おい・小吉こきち秀勝ひでかつ(とも[演:宮澤エマ]の子)と結婚しました。

秀吉は織田家のほか、京極家や浅井家など名門武将たちの家と幾重にも縁を結んでいる。

残る一人、茶々が、いつ秀吉の妻となったのかは、はっきりとはわかりません。

諸説ありますが、天正12〜13年頃ではないかと思われます(注)。ドラマでは、江の結婚が行われ、お次秀勝の体調が悪化しているこの時期に、茶々との結婚を設定したのでしょう。茶々が秀吉との結婚を前提として、妹たちの今後の身の振り方を取りはからってくれるよう頼んだのだ、との推測もなされています。

茶々は秀吉を父の敵として憎んでいたのではないか、とのイメージも根強くあります。本心はもちろんわかりませんが、のちに秀吉は寧々に宛てた手紙の中で、「(茶々は)寧々の次に、自分の好むように細こまやかに仕えてくれる」と記しています。妹たちの将来や、秀吉に対して気配りのできる人物だったようです。

注:公家の日記『言経卿記ときつねきょうき』〈天正14年10月1日条〉に登場する「茶々御方」を、市の娘の茶々として、この時期までに結婚していたとする説があります。ただ、この女性は著者の親戚で、秀吉の妹・あさひ(演:倉沢杏菜)の女房となって三河みかわの御局おつぼねと呼ばれるようになった人物を指していると考えられ、茶々とは関係ないと思われます。

真田氏に絡んで秀吉と家康が対立 そして数正出奔!

一方、秀吉と徳川とくがわ家康いえやす(演:松下洸平)との間では、真田さなだ昌幸まさゆきの扱いが問題になっていましたね。昌幸は、2016年の大河ドラマ「真田丸」の主人公・真田信繁のぶしげの父です。

もと武田氏の家臣でしたが、武田の滅亡、本能寺の変などの混乱の中で、所領を守るため帰属先をたびたび変え、一時は家康配下となります。しかし家康と北条氏が協調路線となると、家康は昌幸に所領の沼田ぬまた・岩櫃いわびつを北条氏に引き渡すよう求めます。これに反発した昌幸は、家康の許もとを離れ、越後えちごの上杉景勝うえすぎかげかつを頼りました。

天正13年8月、家康は昌幸の上田城うえだじょう(現在の長野県上田市に所在)を攻めるものの、苦戦となりました。秀吉はよしみを通じる昌幸に対し、家康に対抗するためもあってか彼を保護すると返答します。10月、秀吉は家康に人質の追加を求めました。家康は家臣たちを集めて協議し、この申し出を拒絶します。今週のドラマで描かれたのは、この頃の状況でしょう。

そうした中、11月13日に家康の重臣・石川数正いしかわかずまさ(演:迫田孝也)が出奔しました。徳川家中に何が起きたのでしょう。

愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。朝廷制度を中心とした中世日本史の研究を専門としている。著書・論文に『中世朝廷の官司制度』、『史料纂集 兼見卿記』(共編)、「徳川家康前半生の叙位任官」、「天正十六年『聚楽行幸記』の成立について」、「豊臣秀次事件と金銭問題」などがある。