
今週のドラマでは涙の別れが続きましたね。
天正14年(1586)4月末、豊臣秀長(演:仲野太賀)や秀吉(演:池松壮亮)の妹・あさひ(演:倉沢杏菜)が、徳川家康(演:松下洸平)との結婚のために出発しました。多くの輿を連ね、持参した金銀・嫁入り道具は数知れぬほど、というたいそう華やかな“花嫁行列”でした。
しかし、家康、あさひともに決して心浮き立つような状況ではなかったでしょう。
この婚姻は、これまで秀吉が家康を取り込もうとする策略であり、無理やりあさひと家康を結婚させたのだ、と考えられていました。しかし近年は逆に家康側の希望だったとの説も出ており、今後の検討が待たれます。
婚姻の2年前に起きた小牧・長久手の戦いでは、秀吉軍と織田信雄(演:山脇辰哉)・家康連合軍が戦いました。両者のその後の交渉過程を遡って見てみましょう。
天正12年11月、信雄と秀吉が和睦(信雄の事実上の降伏)すると、家康も続いて秀吉と和睦しました(コラム#35参照)。そして12月末、取り決められた和睦条件に基づき、家康の次男・於義伊(演:立花利仁)が大坂にやってきました。名目としては秀吉の養子であり、同年元服すると於義伊は羽柴秀康と名乗りました。秀吉の「秀」と家康の「康」を一字ずつ貰った名前ですね。
翌天正13年5月、秀吉は越中の佐々成政(演:白洲迅)征伐を決めます。この出陣前、秀吉は佐々と通じているのではないかとの疑念を理由に、信雄を通じて、家康にさらに人質を出すことを求めました。これを家康は拒否します(コラム#39参照)。

家康の重臣・石川数正(演:迫田孝也)が秀吉の許に走ったのは、この両者の交渉が難航していた天正13年11月のことです。家康と秀吉の間で交渉役を務めていた数正ですが、両者の融和を図ったもののまとまらず、家中での立場が悪化したため出奔に至ったようです。秀吉は信濃・上田城の真田昌幸への手紙で、この状況を「家康は天下に対して表裏を構えている」と表現しています。
再び戦になりそうな情勢になった11月末、大地震が発生しました。中部地方を震源に、マグニチュード8.2とも推測される大地震です。大坂の秀長の屋敷も倒壊しました。ある宣教師は「堅固で広大で美麗な屋敷で、倒壊するなどありえないと思われた」と記しています。
各地に大きな被害が出たことで、秀吉は戦をしているどころではないと融和策に転じました。家康も、数正の出奔や領国内情勢の悪化に対応するため奔走しています。かくして、秀吉と家康の間で交渉が再開されました。
天正14年正月に信雄の仲介で、秀吉は家康と和睦します。小牧・長久手の戦い後、信雄は仲介役として活躍していますね。秀吉の身内と家康との結婚が決まったのは、この交渉のなかと推測されます。当然、政略結婚、実質的には人質です。しかし秀吉は身内が少なく、政略結婚に利用できる人物の選定に困ったことでしょう。

あさひと副田吉成は、実際は夫婦ではなかった?
妹のあさひは、このとき45歳くらいです。それまでの人生ははっきりしませんが、結婚経験もあったようです。ドラマでは、副田吉成(演:前原瑞樹)とおしどり夫婦として描かれてきました。吉成は実際に秀吉の家臣で、江戸時代の中〜後期に作成された書物にはあさひの夫として登場します。

ドラマの時代考証を担当する黒田基樹氏は、江戸時代中期の随筆『塩尻』に記された吉成に関するエピソードを最近紹介しています。それによれば「秀吉はあさひを家康と結婚させるために吉成と離縁させ、かわりに彼に5万石を与えると言った。しかし吉成は、それは武士の本意ではないと断り、出家して隠棲した」とのことです。ドラマではこのエピソードを用いたと推測されます。
あさひは4月28日に大坂城を出発します。
婚儀前の3月9日、家康は北条氏政(演:谷原章介)の領国である三島に赴き、氏政に対面しました。11日には、今度は氏政が家康の領国の沼津を訪れます。家康は秀吉に臣従するものの、両家の同盟関係は継続すると周囲に見せつけるパフォーマンスでしょう。

一方、秀吉は婚儀を前に、家康を一気に昇進させました。従三位の参議左中将(宰相中将と呼ばれます)になり、公卿という最上位の公家の一員になりました。これは秀長と同列の待遇です。
秀吉としては、官位の上昇によって家康を喜ばせ、関白の妹の夫にふさわしい箔をつけるとともに、関白である自らの下に家康を位置付ける意図があったと推測されます。信雄に対してもそうですが、秀吉は朝廷官位を利用して自らの配下の大名たちのランク付け・編成を行っています。秀吉の政治の巧みさが窺われます。
はたして、あさひの輿入れにより、家康は上洛の決心を固めるのでしょうか。
愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。朝廷制度を中心とした中世日本史の研究を専門としている。著書・論文に『中世朝廷の官司制度』、『史料纂集 兼見卿記』(共編)、「徳川家康前半生の叙位任官」、「天正十六年『聚楽行幸記』の成立について」、「豊臣秀次事件と金銭問題」などがある。