永禄12年(1569)正月の本圀寺の変ののち、織田信長(演:小栗旬)は反省もあったのでしょう、幕府の運営や裁判について「殿中御掟」という掟を制定するとともに、13代将軍足利義輝の将軍御所跡を拡張し、新たな将軍御所を急ピッチで建てさせました。
15代将軍足利義昭(演:尾上右近)の御所を、兄であった義輝の屋敷跡に建てることは、義昭がその正統な後継者であることを人々に示すことにもなります。
この普請では、信長自身もたびたび陣頭指揮を執っています。例えば、もともと細川藤賢の屋敷の庭石だった藤戸石を御所に運ぶ時です。その様子はドラマでも描かれていましたが、信長の指揮のもと、大石を綾や錦で包み、花を飾り、笛や鼓でにぎやかに囃しながら数千人がかりで運びました。

派手なパフォーマンスは人々の注目を集め、信長が大きな力を持っているという噂が広まりました。こうしてわずか2か月ほどで豪華な御所が完成しました。この御所は現存しませんが、二条御所(旧二条城)と呼ばれます。場所は現在の二条城のすぐ近くです。
そうした中、藤吉郎秀吉(演:池松壮亮)は京都奉行を命じられました。永禄12年に、秀吉が丹羽長秀(演:池田鉄洋)、中川重政、明智光秀(演:要潤)と連名で出した命令の文書が多数残されています。
その内容を見ると、土地の支配をめぐる争いごとの裁定や、信長の名のもとでの寺社の領地支配の認定、支配できなくなっていた朝廷や公家たちの領地・商業課税の回復などに対応していたようです。秀吉の屋敷には、裁定を求める人々が、酒や干鯛などの豪華なお土産を携えて、次々と訪れていました。

ドラマの中で秀吉は、“二条御所のために宝物が勝手に持ち出された”という僧たちの訴えに対応していました。宣教師ルイス・フロイス(演:フェルナンデス直行)の『日本史』によると、信長は二条御所の工事を速やかに行うために、本圀寺から豪華な部屋の設えや屏風などの道具類を、強制的に新御所に持っていったようです。
ドラマのエピソードは、この出来事をもとにしたものかと思われますが、石垣の石には石仏や石塔までも召し出されて用いられたようです。お寺としてはたまったものではありませんね。
京都奉行に大出世した秀吉。そして弟・長秀には縁談!

秀吉は、京都奉行の役割を数年間務めていますが、その間、京に常駐して奉行の職務だけに当たっていたわけではありませんでした。戦にも奔走しています。
永禄12年7月ごろに岐阜に戻ると、8月初頭に但馬の尼子氏を攻めました。秀吉たちはその際、10日ほどの間に垣屋城(現在の兵庫県豊岡市に所在)など18の城を落とし、また岐阜に戻ります。
そして1か月と間を置かず、8月後半には南伊勢の北畠氏攻略に従いました。阿坂城(現在の三重県松阪市に所在)攻めでは先陣を務め、さらに北畠氏の本拠・大河内城(現在の三重県松阪市に所在)に押し寄せました。
この時、信長は家臣たちを4つに分けて大河内城の東西南北4方面から攻略させました。秀吉は佐久間信盛(演:菅原大吉)、氏家直元(演:河内大和)、安藤守就(演:田中哲司)らとともに西方面を担当しました。
戦はかなり苦戦したようですが、10月には和睦し、信長の次男・茶筅丸(のちの信雄)が北畠氏の家督を継ぐことになりました。そして秀吉はまた京都に戻り、京都奉行の仕事を勤めています。このように多忙な日々でした。
もちろん、秀吉の弟・小一郎長秀(のちの豊臣秀長 演:仲野太賀)も兄とともに多忙な毎日を送っていたことでしょう。今週のドラマでは、岐阜で久々に家族に再会していましたね。

この間、豊臣兄弟の家族にも変化がありました。
姉・とも(演:宮澤エマ)と弥助(演:上川周作)の間に、2人の子どもが誕生しています。長男(ドラマでは万丸)はのちに秀次と、次男(小吉)はのちに秀勝と名乗るようになります。豊臣兄弟が出世していくのに伴い、このかわいらしい兄弟の人生も大きく揺れ動くことになります。
一方、寧々(演:浜辺美波)の妹・やや(演:増井湖々)は、浅野長勝(演:宮川一朗太)の甥・長吉(のち長政 演:大地伸永)と結婚し、長吉が浅野家を継ぐこととなりました。豊臣兄弟にとっては頼りになる義弟の誕生です。
そして、今週は小一郎長秀自身にも縁談がもたらされていました。ドラマで信長から紹介されたお相手は、安藤守就の娘・慶(演:吉岡里帆)でしたね。守就は先ほどご紹介した伊勢大河内城攻めで、秀吉と同じ西方面に配属されていたので、戦の中でふたりは顔を合わせていたかもしれません。
では、長秀の妻はどのような女性だと考えられているのか、次回ご紹介したいと思います。

愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。朝廷制度を中心とした中世日本史の研究を専門としている。著書・論文に『中世朝廷の官司制度』、『史料纂集 兼見卿記』(共編)、「徳川家康前半生の叙位任官」、「天正十六年『聚楽行幸記』の成立について」、「豊臣秀次事件と金銭問題」などがある。