豊臣兄弟のみならず、織田信長(演:小栗旬)にも、お市(演:宮﨑あおい)をはじめ多くのきょうだいがいました。兄弟姉妹あわせてなんと20人以上もいたようです。今週のドラマでは、お市が小一郎(のちの豊臣秀長 演:仲野太賀)に、織田兄弟――信長と弟信勝(演:中沢元紀)との関係を語っていました。

信勝は、信長と同じく土田御前を母とする同母弟です。以前は「信行」という名だとされていましたが、実は史料上実際に名乗ったことがわかる名前としては、「信行」は知られず、信勝ののち、達成・信成と改名しています。
このコラムでは「信勝」と呼びます。信勝の年齢はわかりませんが、信長のすぐ下の弟だったと考えられています。今回の回想場面にあったように、幼いころは仲良く遊んだかもしれませんね。
若い頃の信長は、奇抜な言動をし「大うつけ」との評判でした。天文21年(1552)ごろ、父・織田信秀が亡くなりましたが、その父の法事(銭施行)の時の信長のエピソードは有名です。信長は袴もつけず、腰に荒縄を巻いて太刀・脇差を差し、頭には法事にはいささかワイルドな茶筅髷を結うという異様な姿で現れ、仏前に香を投げつけたというのです。一方、信勝はきちんとした格好で尋常にふるまったと、対照的な姿で書かれています(太田牛一『信長記』)。
さて、父の死後、家督を継いだのは19歳の信長です。しかしこれに納得しない異母兄信広・弟信勝など兄弟間で対立が生じます。特に信勝は父の死後、末森城(現在の名古屋市千種区に所在)を居城とし、兄弟のなかでもっとも有力な存在でした。信長と同等の権限を持っていたという説もあります。信長の重臣として活躍する柴田勝家(演:山口馬木也)も、もとは信勝の重臣でした。

弘治元年(1555)、これも弟の一人である織田秀孝が、織田信次の家臣に殺害されるという事件が起きました。信次は事件後そのまま行方をくらませてしまいましたが、信勝は怒り、信次の居城・守山城(現在の名古屋市守山区に所在)に攻め寄せました。この行動は、当主である兄・信長の許可を得ない勝手なものだったのではと指摘されています。このほかにも、この時期の信勝が、信長から独立した行動をしていた様子が見え、信長にとっては微妙な存在でした。
ちなみにこの時、守山城で信次の重臣だった人物に坂井喜左衛門がいます。ドラマで、小一郎の幼なじみ・直(演:白石聖)の父として登場している坂井喜左衛門(演:大倉孝二)と同じ名ですが、はたして関係があるのかどうかはわかりません。
信長は信勝の暴走を咎めることはせず、佐久間信盛(演:菅原大吉)に調略を命じ、喜左衛門たちを裏切らせます。こうして守山城は落城することになりました。喜左衛門はその後も新城主・織田信時(この人も信長の兄弟です)の許で守山城の重臣を勤めています。
重臣たちも巻き込んで繰り広げられた織田家の後継争い
信長の家臣たちの中にも、信長を当主の座から降ろして、信勝を当主にしようという動きがありました。翌弘治2年、名古耶城を預かる重臣林秀貞(演:諏訪太朗)兄弟が、信勝を当主とするために、名古耶城を訪れた信長を謀殺しようと企みました。これは未遂に終わりますが、林兄弟は信長に背き、信勝もこれに応えて稲生(現在の名古屋市西区)で戦いとなりました。
この戦いでは、信長自身槍を取って奮戦し、信長軍が勝利します。信勝は、清須城(現在の愛知県清須市に所在)の信長の許に赴いて謝罪し、赦されました。信勝と同居していた兄弟の母・土田御前が仲介したといいます。
こうして赦されたにもかかわらず、信勝はまだ諦めません。弘治3年には美濃の斎藤義龍(演:DAIGO)と連絡を交わしています。そして永禄元年(1558)、信勝は岩倉城(現在の愛知県岩倉市に所在)の織田信賢と結託して、再び信長に対抗しようとします(コラム#02参照)。

しかしこの謀反の動きは、勝家の知らせにより露見しました。この頃、勝家は主君・信勝に軽んじられるようになっていて、不満をためていたようです。これを聞いた信長は病と称して部屋に引きこもりました。11月2日、勝家や土田御前から見舞いに行くよう勧められ、信勝は清須城を訪れ、そして殺害されました。
織田兄弟――信長と信勝はこのような残念な結末に至ってしまいました。
もう一方の兄弟、小一郎と藤吉郎(のちの豊臣秀吉 演:池松壮亮)はどうでしょう。今回は小一郎の働きで、藤吉郎が無事に鵜沼城(現在の岐阜県各務原市に所在)から帰ってきました。この鵜沼城が秀吉の調略で降伏した活躍の様子は、小瀬甫庵『太閤記』をはじめ江戸時代の物語で、さまざまな形で語られています(残念ながら秀長は登場しませんが……)。
帰ってきた藤吉郎は、寧々(演:浜辺美波)にプロポーズをして、めでたく夫婦になれそうですね! 祝福ムードに包まれた小一郎たちですが、これからどうなるのでしょう。

愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。朝廷制度を中心とした中世日本史の研究を専門としている。著書・論文に『中世朝廷の官司制度』、『史料纂集 兼見卿記』(共編)、「徳川家康前半生の叙位任官」、「天正十六年『聚楽行幸記』の成立について」、「豊臣秀次事件と金銭問題」などがある。