今週は、野盗に村を襲われた小一郎こいちろう(のちの豊臣とよとみの秀長ひでなが 演:仲野太賀)が、ついに武士になる決心を固めました。

小一郎の主人となる織田おだ信長のぶなが(演:小栗旬)は、この時期岩倉城を攻めています。岩倉城は、現在の愛知県岩倉市にあった城で、この時の城主は織田信賢のぶかたという人物です。信賢は同じ織田一族ですが、信長の家系とは別の流れで、尾張おわり上四郡かみよんぐんを支配した織田伊勢守家いせのかみけと呼ばれる名門の家の当主でした。

ここで信長の家系をたどってみましょう。

尾張国(現在の愛知県西部)を治める守護は斯波しば氏で、戦国時代には、その下に守護代しゅごだいが2人いました。尾張国のうち上四郡を支配していたのが、岩倉城を居城とする前述の織田伊勢守家。下四郡しもよんぐんを支配していたのが清須城の織田大和守やまとのかみ家です。

さらに大和守の家中に3人の奉行がいて、そのうちの1人が織田弾正忠だんじょうのちゅう家、つまり信長の家の人物になります。信長の曽祖父の代から奉行を務めていましたが、それほど高い家柄ではありませんでした。

弾正忠家は、信長の祖父の代に勝幡城しょばたじょう(現在の愛知県愛西市に所在)を本拠にし、津島つしま(現在の愛知県津島市)の港を支配下に治めました。津島は木曽川の下流で、尾張と伊勢との海運を担う港でした。当時は船での海上交通が全国をつないでいるので、その拠点を抑えることは重要でした。

津島は、背後の濃尾平野に水田が広がり、鋳鉄業が盛んに行われ、津島社を中心とする信仰ネットワークが広がるなど、たいへんに豊かな商業・宗教都市でした。弾正忠家はこの経済力を背景に、どんどん勢力を拡大していきます。

次代を継いだ信長の父・信秀のぶひでは、国内では守護の斯波氏や他の織田諸家と争い、美濃みの(現在の岐阜県)・三河国みかわのくに(現在の愛知県東部)にも攻め入り、勢力を伸ばしていこうとします。そして信秀の代で那古野なごや城(現在の名古屋市中区に所在)に本拠を移しました。弾正忠家は、下克上によりのし上がりつつある家だったのです。

そして前回のコラムでも触れたように、信秀から家督を継いだ信長は弘治こうじ元年(1555)に大和守家を滅ぼし、居城を清須城としました(コラム#01参照)。

一方、岩倉城主で上四郡の守護代だった伊勢守家は、この頃どういう状況だったのでしょうか。伊勢守家の当主・織田信安のぶやすの妻が信秀の妹だった縁もあり、信秀が存命中は弾正忠家と織田伊勢守家の仲は悪くなかったようです。しかし信秀が没し信長の代になると、伊勢守家は美濃の斎藤さいとう義龍よしたつ(演:DAIGO)や信長の弟・信勝のぶかつと組み、信長に敵対するようになっていました。

信長が岩倉城を攻める前年の永禄えいろく元年(1558)、信安とその息子信賢の間で仲違なかたがいが生じました。信安は岩倉城を追い出され、信賢が城主となりました。この伊勢守家の内部対立に乗じて、信長は今週のドラマで描かれたように岩倉城を攻め落としたのです。信賢は降伏して追放されました。

かくして織田伊勢守家は滅亡します。信長は(まだまだ内外に敵が多いとはいえ)おおよそ尾張の中心部の統一を成し遂げました。

豊臣兄弟の栄達が姉・とも夫妻の運命をも左右していくことに

さて今週、小一郎の姉とも(演:宮澤エマ)の結婚も決まったようでした。

ともは天文てんぶん元年(1532)、または3年の生まれと推測されています。3年生まれであれば、藤吉郎(のちの豊臣秀吉ひでよし 演:池松壮亮)より3歳、小一郎より6歳ほど年長になります。姉妹のもう一人あさひ(演:倉沢杏菜)は、天文12年生まれで、永禄2年には数えの17歳ですね。

ともの夫となる弥助

ともの結婚相手は、弥助やすけ(演:上川周作)といいました。天文3年生まれで、ともとほぼ同い年です。弥助も出自ははっきりわかりませんが、清須の人が祖父の昔話をまとめたとされる『祖父そふ物語ものがたり』という書には、尾張かい東郡とうぐん乙之子村おとのこむら(現在の愛知県あま市)の馬貸しあるいは綱差つなさしと見えます。

綱差というのは鷹匠たかじょうの部下で、鷹狩りの時の下準備する役目です。鷹狩りは、訓練した鷹やはやぶさを山野に放って、野鳥や小動物を捕らえさせる遊びです。実戦訓練にもなり、戦国大名たちのアウトドアスポーツとして人気でした。藤吉郎も天下人となったのち、鷹を好んでいたようです。

弥助は、馬貸しか綱差か、あるいはその両方をしつつ農業も営んでいたのかもしれません。いずれにしても、この当時の小一郎の家と同じくらいの階層の人物だったと推測されます。

こののち藤吉郎と小一郎が栄達していくに従い、ともと弥助夫妻の運命も大きく変わっていくことになります。

左から、とも、小一郎、あさひ、藤吉郎

愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。朝廷制度を中心とした中世日本史の研究を専門としている。著書・論文に『中世朝廷の官司制度』、『史料纂集 兼見卿記』(共編)、「徳川家康前半生の叙位任官」、「天正十六年『聚楽行幸記』の成立について」、「豊臣秀次事件と金銭問題」などがある。