鵜沼うぬまじょうなど周囲の城が織田方に付き、孤立した犬山いぬやまじょう(現在の愛知県犬山市に所在)は永禄えいろく8年(1565)、落城しました。

織田おだ信長のぶなが(演:小栗旬)は、美濃みの斎藤さいとう龍興たつおき(演:濱田龍臣)の居城・稲葉山いなばやまじょう(現在の岐阜県岐阜市に所在)を目指して、さらに周辺の城に調略の手を伸ばしていきます。

その中に、がわ沿いの松倉まつくらじょう(現在の岐阜県各務原市に所在)がありました(豊臣兄弟が見ている地図にちらっと登場していましたね)。この松倉城主・坪内つぼうち利定としさだに宛てた、藤吉郎とうきちろう(のちの豊臣とよとみの秀吉ひでよし 演:池松壮亮)の文書が残っています。犬山城落城と同じ年の11月2日(3日の誤りか)付で、信長の命令に添えて出された、所領の支配を認める文書です。

これは現在知られている限り、藤吉郎が出した最も古い文書で、藤吉郎の存在が確認できる最初のものでもあります。文書の差出人の署名には「木下藤吉郎秀吉」と書かれていて、この時期にはすでに「秀吉」と名乗っていることがわかります。

そこで、このコラムではこれまでの「藤吉郎」という呼び名を改め、以後「秀吉」と呼びたいと思います(オープニングクレジットでは、すでに第5回から「木下藤吉郎秀吉」となっていましたね)。

秀吉がこうした文書を出したということは、松倉城が信長の味方になっていること、坪内氏に秀吉がかかわっていたこと、何よりこうした命令を出すことができる、ひとかどの地位まで秀吉が昇進していることを示しています。

弟の小一郎こいちろう(のちの豊臣秀長ひでなが 演:仲野太賀)はといえば、この時期の動向はわからないものの、兄の昇進とともに地位が上がっていると思われます。そして、小一郎もいつの頃からか、木下小一郎長秀ながひでと名乗るようになりました(最初に史料で確認できるのは1573年です)。

小一郎も今回から「(小一郎)長秀」と呼びたいと思います。

ちなみに、この「長」の字は信長から一字をもらった可能性があります。そうであれば、信長の家臣としての期待の証し、名誉でしょう。秀吉の家臣としてではなく、直接信長に仕えていたとも考えられます。「長秀」から、最終的に「秀長」を名乗るようになるのは、まだ先のお話です。

さてドラマでは、次なる課題として墨俣すのまたじょう(現在の岐阜県大垣市に所在)攻略が持ち上がっていました。墨俣城は、洲の俣と表記されることもあるように、木曽川・犀川さいがわ五六川ごろくがわ長良ながらがわへと合流する中州にありました(現在は流路が変わっています)。

ドラマで信長軍の兵たちが嘆いていたように、見通しの良い平らな地で川の流れも複雑、攻めにくかったのでしょう。古くから水陸の交通の要衝で、この付近は、源平合戦げんぺいがっせん承久じょうきゅうの乱、南北朝内乱の折など、何度も戦場になっている戦略上重要な地でした。

『絵本太閤記』で描かれる蜂須賀小六との逸話はつくり話

ドラマでは、兄弟が墨俣城攻略のために、前野まえの長康ながやす(演:渋谷謙人)を通じて蜂須賀はちすか正勝まさかつ(演:高橋努)にコンタクトを取っていました。正勝は、蜂須賀小六ころくと言った方が有名かもしれませんね。

長康や正勝、そして、先ほど秀吉最古の文書のところで触れた坪内利定は、美濃と尾張をつなぐ木曽川の水運に深くかかわっていた有力な土豪たちです。そのため墨俣城攻略のキーパーソンとなります。

前野長康(左)と秀吉

このうち長康と正勝は早くから、信長が秀吉の部下として配属した与力よりきとして姿が見えます。また長康は利定の兄弟だとする系図(『寛政かんせい重修諸ちょうしゅうしょ家譜かふ』)もあり、少なくとも一族だったと推測されます。ただ彼らがいつごろから信長の家臣、さらに秀吉の部下になっていたのかは、実ははっきりしません。

江戸時代中期に成立した『絵本太閤えほんたいこう』には、秀吉と正勝が矢矧橋やはぎばし(現在の愛知県岡崎市に所在)で出会ったという逸話が出てきます。

幼い秀吉が家を飛び出してさまよっていたころ、ある日、秀吉は橋の上でぐっすり寝ていました。そこを通りかかった野武士のぶしの頭・正勝(小六)が、その頭をうっかり蹴とばしてしまいました。秀吉は無礼者と激怒し、いかつい正勝を恐れることなくとがめました。正勝は秀吉の度胸に感心し、謝るとともに手下にならないかと誘います。そして手下となった秀吉は、正勝と賭けをした際も計略を巡らせて見事に勝ちます。正勝は秀吉の知恵に「末恐ろしい子どもよ」と感心しました。(現代語要約)

秀吉が幼いころから持っていた度胸と利発さを示し、早くからその才能を知っていた正勝が、やがて秀吉の家臣になる流れがわかる逸話ですね。ただ、これはのちにつくられたお話のようです(正勝は野武士ではなく、そもそも矢矧橋も当時はまだかかっていなかったとか……)。

蜂須賀正勝

では、なぜ彼らは秀吉の家臣となったのでしょうか。基本的には、信長が自らの家臣の中から、秀吉に彼らを配属したにすぎないともいえますが、それ以外のつながりがあった可能性もあると私は考えています。

このコラムの初回(コラム#00参照)で、関白かんぱくとなった秀吉が、『関白任官記』に母なか(演:坂井真紀)にゆかりのある地として「飛保ひぼ村雲むらくも(村久野庄飛保郷か。現在の愛知県江南市)」の地名を書かせていることをご紹介しました。

実はこの飛保郷付近は、正勝・長康らとも縁のある土地です。正勝の息子家政いえまさは幼い頃、飛保の曼陀羅寺まんだらじで教育を受けたとの伝承があり、現在の正堂は家政が寄進したものです。松倉城や前野家の本拠もすぐ近くです。

曼陀羅寺は浄土宗の古いお寺ですが、秀吉誕生の頃に再興の機運がありました。もし母なかが飛保にゆかりがあるとしたら、それが彼らとの縁を結ぶきっかけになった可能性もあるでしょう。あるいは、秀吉が立身の最初の頃にこの地域に縁があったために、『関白任官記』に飛保を登場させたのかもしれません。

さて、ドラマの秀吉はめでたく寧々ねね(演:浜辺美波)と祝言を挙げましたが、一方の長秀となお(演:白石聖)の仲は不穏なようです。これからどうなるのでしょうか。

愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。朝廷制度を中心とした中世日本史の研究を専門としている。著書・論文に『中世朝廷の官司制度』、『史料纂集 兼見卿記』(共編)、「徳川家康前半生の叙位任官」、「天正十六年『聚楽行幸記』の成立について」、「豊臣秀次事件と金銭問題」などがある。