大河ドラマ「豊臣兄弟!」いよいよ始まりました。

第1回放送は、永禄えいろく2年(1559)2月の尾張国おわりのくに中村(現在の愛知県名古屋市中村区)からスタートしました。小一郎こいちろう(のちの豊臣秀長とよとみのひでなが 演:仲野太賀)一家の出身地とされる村です。

小一郎は数え年の20歳ぐらい、兄藤吉郎とうきちろう(のちの豊臣秀吉ひでよし 演:池松壮亮)はそれより少し上23歳ごろになります。父は戦争の傷がもとですでに亡く、小一郎は母や姉妹と農業をしていましたが、厳しい暮らしのようです。小一郎は、争いごとの間に入って見事にまとめていましたが、一方でせっせと貯金をしている様子も気になりますね。

そしてすでに家を離れていた藤吉郎が、家族のもとに戻ってきました。ドラマでは、村を飛び出したのち、駿河するが・遠江  とおとうみ三河みかわ(現在の静岡県と愛知県東部)を治める今川いまがわ義元よしもと(演:大鶴義丹)の家臣・松下まつした嘉兵衛かへえに仕えたのち、尾張の織田おだ信長のぶなが(演:小栗旬)に仕官して足軽大将になり、木下の名字を許された、と語っていました(実際にはまだ下っ端だったようですね)。

この経歴は『太閤素性記』や『太閤記』という江戸時代初期の書物に記されています。同時代の安国寺あんこくじ恵瓊えけい(毛利家の外交僧)も、秀吉は若いころには小者(身分の低い奉公人)や物乞いをしていた、と記しています(安国寺恵瓊書状)。貧しい境遇だったのは確かでしょう。

秀長や秀吉がいつから信長に仕えていたのか、この頃何をしていたのかは、実はわかっていません。ですが、おそらくこの永禄2年ごろには、秀吉はすでに仕官していたと推測されます。  

ではこの頃の尾張国、また信長はどのような状況だったのでしょうか。

信長の父信秀のぶひで天文てんぶん21年(1552)ごろに亡くなりました。家督を継いだ信長ですが、国内には一族をはじめ、信長に対抗するさまざまな勢力がいました。信長は彼らとの熾烈しれつな争いを勝ち抜き、尾張を統一しつつあります。

例えば清須城きよすじょうを見てみましょう。ドラマの中で小一郎は、清須城下(現在の愛知県清須市)の繁栄に驚いていました。清須城は濃尾平野の南東部、街道が通る交通の要衝、尾張国の中心地です。かつては守護斯波しば氏の居城で、その後信長の本家筋の織田大和守やまとのかみ家の居城となっていました。弘治こうじ元年(1555)、信長は織田大和守家を滅ぼし、清須城を本拠とします。清須の町はこの落城の過程で一度燃えてしまいましたが、信長によって城下町や市場が整備され、この頃にはにぎわっていました。

尾張の外では、美濃みの(現在の岐阜県)の斎藤さいとう義龍よしたつ(演:DAIGO)や、前述の駿河の義元もドラマに登場していましたね。

義龍は信長の室濃姫のうひめの兄弟ですが、弘治2年(1556)に父道三どうさんを殺害し、美濃の支配を進めています。道三は信長方でした。そのかたき義龍は、信長にとって北からの脅威といえましょう。一方、義元は永禄元年に息子氏真うじざねに家督を譲り、自らは三河(現在の愛知県東部)・尾張方面に目を向けています。東からの脅威です。

上洛した信長を討て! 阻止された義龍の暗殺計画

あれやこれやの国内外の緊張状況の中、信長は永禄2年2月初頭に京に赴きました。お供が80人、その従者を含めて500人ほどと比較的少人数ですが、華やかな装いをこらしての上洛でした。京では、室町幕府の13代将軍足利あしかが義輝よしてるに挨拶をしています。

義輝は将軍ですが、有力者三好みよし長慶ながよしとの関係が悪く、長く京を離れて近江おうみ朽木くつき(現在の滋賀県高島市)に滞在していました。前年11月に長慶と和睦し、ようやく京に戻ったところです。

義輝は、諸大名に働きかけ、幕府を安定させようとしていました。信長のこの上洛も、義輝の呼びかけに応えたものと考えられています。信長のほかに美濃の義龍、越後(現在の新潟県)の長尾ながお景虎かげとら(のちの上杉謙信)もこの年に上洛しています。

さて、上洛した信長は義龍の刺客に襲われたようです。ドラマでも描かれ、義龍宛ての密書を手に入れるなど小一郎・藤吉郎が大活躍しますが、お手柄は「丹羽にわ兵蔵ひょうぞう」のものになっていました。太田牛一『信長記』によると、事件の経過は次のようになります。

信長に仕える那古野なごや弥五郎やごろうの家臣・丹羽兵蔵は、琵琶湖の渡しで怪しい一行に行き会いました。兵蔵は三河国の者と身分を偽り、旅を続けます。やがて一行の童から「美濃国から大事のお使いがあり、信長を討つのだ」と聞き出しました。さらに夜陰に紛れ、他のメンバーたちの信長暗殺の話を盗み聞いた兵蔵は、京に急行し、信長に注進しました。

かくして信長は暗殺を免れたといいます。

信長は京都には5日ほど滞在したのみで、すぐに尾張に戻りました。醍醐寺だいごじの僧厳助げんじょの記録によれば、「雑説(うわさ) 」があってにわかに帰国したといいます。京の政治情勢も、信長の周辺も混とんとした、きなくさい様子ですね。

さてドラマの最後で、仕官を断り中村に戻っていった小一郎ですが、今後どうなるのでしょうか。

愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。朝廷制度を中心とした中世日本史の研究を専門としている。著書・論文に『中世朝廷の官司制度』、『史料纂集 兼見卿記』(共編)、「徳川家康前半生の叙位任官」、「天正十六年『聚楽行幸記』の成立について」、「豊臣秀次事件と金銭問題」などがある。