織田信長(小栗旬)に副将軍就任を断られただけでなく、五箇条に及ぶ幕府への要望書を送りつけられてしまった足利あしかが義昭よしあき。明智光秀(要潤)の前で、義昭は信長が運んだ藤戸石を斬りつけ、強くなりたいと願った。そんな義昭を演じているのは、歌舞伎俳優の尾上右近。彼は義昭の人物像をどのように解釈し、演じているのか? 自身との共通点を含めて、「豊臣兄弟!」における義昭を語ってもらった。


どうにもできない現実に直面した義昭に寄り添いながら

――「豊臣兄弟!」に出演が決まった際は、どんな思いを持ちましたか?

大河ドラマは「青天をけ」(2021年)の孝明こうめい天皇役でお世話になり、それ以来になります。歌舞伎の先輩たちや仲間たちが出演するのを気にしながら拝見している番組ですので、呼んでいただいて本当に光栄だという思いを持ちました。

――そのうえで、足利義昭を演じるにあたって考えたことは?

義昭は、自分の意思を持って懸命に前に進もうとするものの、その意思で切り開ける未来と、意思ではどうにもできない未来があることに生身で向き合っている存在なのではないでしょうか。そうした時代の流れの中で責任を背負う立場にいるところは、僕も共鳴、共感できるので、自分なりにリアリティーを持って寄り添いたいと思いました。

――その共鳴、共感というのは?

義昭のセリフには“順番”という言葉が多いんです。信長に対しても“順番”という言い方をしていますし、出家した身から還俗して将軍になったことで自分に“順番”が回ってきた、と考えている。さまざまな縁やタイミングを“順番”という言葉で表現したのだと思いますが、それは代々受け継がれている世界、僕の場合は歌舞伎ですが、その流れの中に身を置いている人間特有の感覚だな、と思いました。


豊臣兄弟と対面して、セキュリティエリアが崩壊した

――義昭には腹心として明智光秀がついていますが、小一郎(仲野太賀)と藤吉郎(池松壮亮)も自分のものにしたいと言いますなぜ義昭はそう考えたと受け止めていますか?

光秀とは、お互いに(主従となることが)確約された関係性の中で出会い、人として心の交流を持てる者同士だと感じていると思うのですが、小一郎たちとは縁を感じるような出会い方をして、光秀とはちょっと距離感が違う気がしています。突如として現れた兄弟の自由さと、感情をき出しにして懸命に生きていること、そして思いやりをじかに浴びて。

彼らは義昭の心の中に、いい意味で土足で入ってくるんですよ。政治的な渦の中にいて「こうでなくてはいけない」と考える自分の心の中に、どんどん踏み込んできてくれる生身の人間に、義昭は非常にいとおしさを感じたと思うんですよね。置かれた状況を動かしていくには自分の心を伝えることが唯一の向き合い方なんじゃないか、と気づかされてしまう。

本当にびっくりしたと思うんです。彼らがそばに来たことで、完全にセキュリティエリアが崩壊した、というか。行き詰まった会合で藤吉郎がおならをするところでも、「わざと、そうしてくれたんだ。優しいな、ありがとう」と思わされて、そういう存在を初めて目の当たりにしたことで驚いたのではないかと思います。

――その兄弟を演じている、仲野太賀さんとは旧知の仲だとお聞きしたのですが、池松壮亮さんとは初めての共演ということで、実際に彼らが演じる姿を見てどう感じていますか?

役柄なのか俳優自身の個性なのかわからないくらい、撮影現場でのおふたりは豊臣兄弟が持っているエネルギーを発している感じがします。

役者としていい作品を作ろうという気持ちと、豊臣兄弟としていい時代を作ろうという思いがリンクしているんです。僕は最初に現場に参加させてもらったときに、すごく緊張して硬くなってしまいました。例えるなら、みんなが縄跳びをしているところに途中から入る緊張感。僕のところで引っかかるわけにはいかない、みたいに思って(笑)。でも、おふたりがそれを察して、さりげなくほぐしてくれた感じも、俳優仲間としてなのか、豊臣兄弟としてなのかわからなかったですね。そういう温かさを、すごく感じています。


信長は、アンビバレントの最たるもの

――義昭はさまざまな局面で信長とたいすることになりますが、信長にどんな感情を持っていたと思いますか?

信長の力を借りることができれば自分の天下は間違いない、というのはわかるんだけど、この人は言うことを聞かない、むしろ自分を利用しようとするだろう、ということもわかる。アンビバレント(相反する感情や態度など)の最たるものではないでしょうか。だからもう、うつ状態になりますよね。そうさせてしまう存在だと思います。

腹の探り合いをしているようでも、信長は手の内を見せないし、こちらは頼らざるを得ないので、もう弾切れになって本心を言うしかなくなるんですよ。だから「そなただけが頼りじゃ」というセリフは駆け引きではなく、本当にすがっていたと僕は思います。それでも信長は「お任せくださりませ」と口では言いながらも、目を見ると本心がわからない。いますよね、そういう人って。もう本当に、どこか遠くの別の世界に飛んで行ってほしいと思います(笑)。そこで好きにしていてほしい、近くにはいてほしくないですね。

――その話の流れで聞きづらいのですが、信長を演じている小栗旬さんの印象は?

あははは! それはもう全く別の話で、やっぱり理想的な兄貴肌です。みんながついていく器の大きさと明るさ、温かさというものを即座に感じましたし、何よりもすさまじい厚みを感じました。代々受け継いでいく世界にいる歌舞伎俳優とは、同じ俳優といえども違う世界に生きていると思います。己の力のみで築き上げた自分の世界を背負う、一世一代のすごみと厚みがあって、そういう意味では、また自分を見つめ直す時間をもたらしてくださる存在ですね。


“大人の文化祭”だから、ずっと青春が続いていく

――八津弘幸さんの脚本の面白さについては、どのように感じていますか?

総じて物語に“青春の香り”がして、青春群像劇としての熱量とワクワク感があります。見ていて「頑張れっ!」と思う気持ちが生まれて、それこそ“大人の文化祭”のようだなと思います。それは僕が、歌舞伎をやりながら思っていることでもあって、もう毎月毎月、大人の文化祭をやっているんですよね。だから一生、青春ができる。そういうものがドラマとして描かれていて、登場人物がとても人間くさいところも楽しい。この世界に自分が役として飛び込めることがうれしいです。

――史実で言うと、この先の義昭には試練とも言うべき日々が待っていますが……。

いや、頑張ってほしいですよ。義昭だけではなくて、全員に頑張ってほしい。できることなら、みんなに天下をとってほしいです(笑)。一人一人順番に、それこそ“順番”に全員が天下をとってほしいと思えるドラマだと感じます。

――みんなが魅力的ですからね。それを演じている俳優さんとの共演に、何を感じていますか?

同世代の俳優さんたちのお芝居を拝見して、非常に刺激をもらっています。僕は今年33歳ですけれど、30代前半から半ばにかけての世代は、歌舞伎の畑では若手とくくられてしまうんです。でも、世間一般的には立派な大人ですし、角界なら親方になるような世代なんですよね。「この業界を背負う」という感覚を持ってお芝居をすることに、とても刺激を受けています。

――伝統を受け継ぐ世界にいらっしゃるからこその視点ですね。

歌舞伎の伝統といっても、いろんな見方がありますが、僕は“人に教わったことを次の代に渡していくこと”そのものだと考えています。そのバトンを渡していくことが伝統だと思うし、それは作業ではなく、人と人の交流、コミュニケーションの中で生まれていくものなんですよね。

もし歌舞伎に足利義昭という古典の役があったとしたら、その義昭を演じた先輩に教わりに行くわけですよ。大河で言うなら、「秀吉」(1996年)で義昭を演じた玉置浩二さんに教わりに行くイメージです。でも、それは単純に「こうすれば義昭ができるよ」ということではなく、義昭に対する考えだったり、歌舞伎に対する思いだったり、演じることに対する意識だったり、すごくセンシティブなものです。こっそり心の扉をパカッと開けてふたりだけの空間で見せてもらった瞬間に、まるで“その人の内臓の一部をもらう”ような感覚なんです。それを自分の中に仕舞しまって、育んでいく。だからその人と会えなくなっても、もらった内臓の一部が自分の中に生きているから寂しくない、という感覚。これが伝統の素晴すばらしさです。

歴史も、そうやって積み重なっていくものだと思います。美しいものが受け継がれていく歌舞伎の世界に身を置き、人の営みとして歌舞伎を捉えられる環境にいる幸せをみしめながら、「豊臣兄弟!」で足利義昭として生きていきたいと思っています。