織田信長(演:小栗旬)は、金ヶ崎(現在の福井県敦賀市)での窮地を脱しましたが、南近江にはかつて追いやった六角氏も再び進出してきていて、不穏な情勢が続いています。
信長は元亀元年(1570)5月末には、京から本拠・岐阜城(現在の岐阜県岐阜市に所在)に戻りました。さっそく裏切った義弟・浅井長政(演:中島歩)を攻める構えです。
これを受けて、藤吉郎秀吉(演:池松壮亮)も出陣の準備を進めました。堺の商人今井宗久(演:和田正人)に対し、秀吉軍3000人が出陣するので鉄砲の火薬や煙硝(火薬の原料)、食糧を調達してくれるよう頼む、6月4日の手紙が残っています。
小一郎長秀(のちの豊臣秀長 演:仲野太賀)も、兄とともに準備に奔走していたでしょう(ドラマでは準備をする振りをしつつ、信長の妹・市[演:宮﨑あおい]を逃がすために出陣を押しとどめようとしていましたね)。

そして6月19日、信長軍は近江に出陣し、21日には長政の本拠・小谷城(現在の滋賀県長浜市に所在)に迫ります。信長は小谷城の向かいの虎御前山(現在の滋賀県長浜市に所在)に陣を置きました。しかし長政は、越前の朝倉義景(演:鶴見辰吾)の援軍を待っていて城から出てきません。小谷城は険しい山にある城なので、信長も攻めあぐねたようです。
そこで24日、信長は方向を変え、小谷城の南方の横山城(現在の滋賀県長浜市・米原市に所在)に攻めかかりました。この城は近江と美濃の国境近くにあり、北国街道と越前道に接する交通の要地です。この先陣には、秀吉軍の姿も見えます。
やがて義景から派遣された朝倉景健(演:重岡漠)軍が到着し、大依山(現在の滋賀県長浜市)に陣取りました。ここは姉川を挟んで横山城から5㎞ほど離れた山です。長政も小谷城を出て大依山に陣を構え、横山城の援護を試みます。
一方信長軍には、三河の徳川家康(演:松下洸平)が、合流しました。
28日早朝、浅井・朝倉軍は大依山を下り、姉川北岸に展開します。戦の直後に信長が細川藤孝(演:亀田佳明)に送った手紙によれば、浅井軍が5000~6000人、朝倉軍が1万5000人ほどでした。また戦いの3か月後に信長が中国地方の大名・毛利元就に送った手紙では、浅井・朝倉軍で合計3万人と記されています。自らの勝利を伝える相手に誇るため、兵数をどんどん“盛って”いるのでしょうか。情報戦も重要ですね。

織田・徳川軍は姉川を挟んで南に対陣しました。姉川の戦いです。信長の藤孝宛の手紙によれば、午前10時過ぎに信長軍が攻めかかって交戦が始まりました。朝倉軍には家康たちが、長政軍には信長が攻めかかりました。
江戸時代の小瀬甫庵『信長記』によると、戦いのなかで信長軍は当初、敵に押されていました。そこで家康が部隊の一部を割き、敵の本陣を横から突かせました。その活躍により形勢が大逆転したといいます。ドラマで描かれた“消えた家康”の動きは、こうした軍記を踏まえたものかもしれません。
結果、信長軍は大勝し、信長は「そのまま小谷城を攻め落としても良いが、とりあえずやめておき、横山城を落城させるつもりである」と藤孝に伝えています(実際には、浅井・朝倉軍の主だった武将は戦死しておらず、敵の勢力をさほど削いではいなかったのでは?という指摘もあります)。
短時間の戦いですが、信長は「敵の首を多くとり、野も田畑も死骸でいっぱいになった」とも伝えています。一方、当時の公家の日記などには、信長・家康軍も大きな損害を受けたことや、双方で数千人ほども討ち死にしたという噂が記されています(噂は大げさになりがちですが)。

ドラマで長秀が「ここは地獄じゃ」とつぶやいていましたが、姉川にはまさに地獄のような光景が広がっていたことでしょう。
信長の“首”にあと一歩まで迫った剛士・遠藤直経
ところで、ドラマの合戦最終盤、長政の家臣・遠藤直経(演:伊礼彼方)が、信長を討とうと試みる場面は迫力でしたね。

これは江戸時代初期の『浅井三代記』や中期の『絵本太閤記』などに見えるエピソードをもとにしたと考えられます。『絵本太閤記』によれば、直経は知恵や勇武が人に勝る剛士とのこと。直経は姉川の戦い以前、長政と市の婚姻の際にも信長暗殺を企てますが、秀吉の機転によって阻止された、という逸話が記されています。
姉川の戦いでは、直経は一歩も退かずに戦っていました。そして浅井軍が敗勢になると、今はこれまでと信長と刺し違えることを決意します。ざんばら髪の首級を持ち、「良い大将の首を取ったので信長さまにお見せしたい、御大将はどこにいらっしゃるか」と呼ばわって、織田軍に紛れて近づいていきました。
しかし、竹中半兵衛(演:菅田将暉)の弟・久作が、近づく直経をあやしい人物と見破ります(ドラマでは、見破ったのは秀吉でしたね)。直経は首級を信長にはっしと投げつけ、久作と組み合いました。勇猛とはいえ、年齢は60歳過ぎており、朝からの戦いに疲労していたこともあったのでしょう。ついに討ち取られたと、『絵本太閤記』は壮絶な戦いを語っています。

さて姉川の戦いと同じ28日、横山城が降伏しました。秀吉はこの最前線の城を任され、小谷城の見張りを務めます。信長はさらに南の佐和山城(現在の滋賀県彦根市に所在)も落とし、ここには丹羽長秀(演:池田鉄洋)が入りました。
このときの近江出陣はこれで一段落し、信長は京を経て岐阜に戻り、続けて大坂方面に出陣しました。敵は浅井・朝倉だけではありません。
愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。朝廷制度を中心とした中世日本史の研究を専門としている。著書・論文に『中世朝廷の官司制度』、『史料纂集 兼見卿記』(共編)、「徳川家康前半生の叙位任官」、「天正十六年『聚楽行幸記』の成立について」、「豊臣秀次事件と金銭問題」などがある。