日本にザ・ビートルズを広め、豊かな発想で数々のヒット曲を世に送り出してきた音楽プロデューサー・髙嶋弘之さん。挫折を糧に変え、最愛の妻との別れも経験しながら、目を向けるのはいつもその先。そして92歳の今も新たな挑戦へ。尽きることのない人生への好奇心とは。
聞き手 嶋村由紀夫
この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2026年11月号(10/16発売)より抜粋して紹介しています。
日本にビートルズを広めた男
──髙嶋さんは、日本でビートルズブームを仕掛けた初代ディレクターです。
髙嶋 今では世界中で愛されているビートルズですが、私が担当したころ、日本ではまだ無名でした。当時人気があったのは、アメリカのポップスやカンツォーネ、シャンソン。イギリスの音楽はマーケットそのものがなかった。放送局にレコードを持ち込んでも相手にされず、だめだと思ったんです。
──違う売り出し方が必要だったんですね。
髙嶋 ビートルズを広めるために、いろいろ仕掛けましたよ。社員たちを床屋へ連れていき、長髪のかつらをかぶせてマッシュルームカットにしてもらう。僕が「ビートルズカット」と名付けてね。その様子を記者に見せて、「早くも町の床屋にビートルズカットを希望する青年が現れた!」なんて記事を書いてもらった。完全にやらせですよ(笑)。当時は1つ記事が出れば、そこから話題が広がる時代でした。ほかにも、ビートルズのトレードマークだった襟なしスーツを社員に着せて銀座を歩かせたり。そうやって話題を作り「最近、ビートルズというすごいグループが出てきたな」と世の中に認知させようとしたんです。
1966(昭和41)年にビートルズが来日したころ、僕らがターゲットにしていたのは15歳くらいの女子学生です。彼女たちには、彼らの音楽を受け入れる柔らかい感性があった。そして何より、ビートルズの作品そのものがすばらしかったんですよ。だからこそ、あれだけ多くの人を引き付けたんでしょうね。
──まさに、大ブームになりました。
髙嶋 でも、最初から売れていたわけじゃないんです。当時、本当に売れていたのはザ・ベンチャーズ。彼らのLPが100万枚売れていたとき、ビートルズは5万枚。僕はそれが言えないから、マル秘のハンコを押してね。今だから言いますが、売り上げ速報のベンチャーズの数字からゼロを1つ取って、ビートルズには1つ足した(笑)。僕からすれば、宣伝じゃなくて“演出”なんです。人気があるように見せたわけですね。
※この記事は2026年7月26日放送「愛されるじいさんになりたい」を再構成したものです。
「何くそ」の精神で挫折を乗り越え、92歳で歌手デビュー。亡き妻への思いを胸に、新たな夢へ挑み続ける髙嶋さんが、人生を面白く生きる秘訣を語ります。続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』11月号をご覧ください。
11月号にはこのほか、修験道の行者である金峯山修験本宗管長・五條良知さんのインタビューを、カラー写真とともに掲載。さらに、5号連続企画「『深夜便』で読む戦争」第4弾として、過酷なシベリア抑留を生き抜き、“戦友の遺骨を家族のもとに帰したい”と願い続ける100歳の吉田欽哉さんのインタビューもご紹介しています。

購入・定期購読はこちら
11月号のおすすめ記事👇
▼「ブラッサム」で注目! 綿矢りさが語る宇野千代の魅力
▼一日一日を自然体で生きる 養老孟司
▼92歳。人生はこれからがおもしろい 髙嶋弘之
▼5号連続企画「『深夜便』で読む戦争」❹ シベリア抑留の記憶 ほか