高知新報の記者として働いていたのぶ(今田美桜)を東京に誘い、自分のもとで働くように呼びかけた代議士の薪鉄子。“ガード下の女王”の異名を持ち、弱い立場の人々の声に耳を傾ける鉄子を演じるのは、アニメ「それいけ!アンパンマン」の放送開始時から37年間、アンパンマンの声優を務める戸田恵子だ。戸田に、このドラマへの思いや、やなせたかしとの思い出を聞いた。
鉄子の正義とは、「相手のために尽くす時間を作る」こと

──鉄子はのぶのどんなところに魅力を感じ、自分の手伝いをするよう誘ったのでしょうか?
のぶちゃんがそんじょそこらの女の子ではないなと、鉄子が初めて感じたのは、ガード下で女性を守るシーンだったのではないでしょうか。暴力的な男性たちに対して物おじすることのない姿勢は、とても凛としていましたから。
そして、そのあとで、のぶちゃんの旦那さんが亡くなっていることや、その旦那さんの影響で速記やカメラを始めたことなど、彼女のバックボーンを知って、この子と一緒に仕事をしたいと感じたのだと思います。取材に来た記者のうち、彼女だけおでんにあたらなかったことも、また自分の正体を見破ったことも、ひっくるめて、「この子、持ってるな」と思ったのでしょうね。
あと、鉄子ものぶと同じく“ハチキン”ですから、そういう意味でも通じるものがあったのかもしれません。

──鉄子は、もともとは高知の旧家の令嬢だそうです。彼女のバックボーンこそ気になりますが……。どんな役作りをしたのでしょうか?
もともとしっかりした家で育ったからこそ、良いことと悪いことをきちんと自分の目でジャッジできるのだろうなと考えながら演じていました。でも、今は“ガード下の女王”として、モンペを履きこなし、ガード下あたりを歩きながら、巷の人々の生の声に耳を傾ける。一方で、ガラの悪い男を相手に麻雀勝負を仕掛けるような気風の良さも持ちあわせている──。
役作りをするにあたっては、当時の資料をたくさん読ませていただきました。すると驚いたことに、あの時代に代議士になって活躍した女性達は、想像以上に最先端をいっているんですよね。例えば、爪には赤いマニキュアを塗っていたり、パーマをあてた派手な髪型をしていたり、おしゃれに関してもすごく進んでいるんです。同時にお仕事はすごく大変で、女性であるというだけで叩かれたり、はじかれたりする中、相当な意志の強さを持って戦っていたのだろうと思いました。
つまり、ファッションから生き方まで、すべてにおいてみんなを率いていく存在だった。ただかっこいいばかりではなく、そんな心中の覚悟も、うまく出せたらいいなと思って演じていますね。

──「戦後の復興からこぼれ落ちそうになっている人たちを救うために代議士になった」という鉄子のセリフがありますが、彼女の考えに共感する部分はありますか?
鉄子のことを考えると思い出すのが、今から37年前のこと。はじめてアンパンマンの役をいただいて台本を読んだ時、そこに書かれていたセリフにすごく感動したんです。生まれてすぐ、まだ小さかった頃のアンパンマンが、「人を助けるってこんなに胸があったかくなるものなんだ」と言うんですが、なんて素敵なセリフなんだろう、これを私が言うんだ、と思っていたら涙がボロボロ出てきたんですね。
今回、「あんぱん」の台本を読んでいたら、その時に似た気持ちが湧き上がってきました。こんな素敵なセリフを、私はもう一度、言うことができるんだと思ったら幸せで……。
私自身は全然、聖人君子ではないし、正義を実践できるほどの人間でもありません。だからこそ、鉄子のような考え方には共感しますし、そんな役を演じる重み、ありがたさ、嬉しさを感じています。
──その鉄子の“正義”とは、具体的にどんなものなのでしょうか?
昔、やなせ先生と「もし自分がアンパンマンだったら、顔をちぎって与える代わりに何ができるだろうか?」というお話をしたことがあります。結論としては、「相手のために尽くす時間を作る」ことではないかと──。
自分の時間をさいて相手のための時間を作るって、意外とできることではないですよね。アンパンマンも顔をちぎると力が出なくなるんだけども、やっぱり人間も、自分の時間をさいて誰かに気持ちを寄せると、結構疲れるものです。でも、やる。
鉄子の正義とは、まさにそういうものだと思います。みんな貧しくて困っている中で、相手の味方になってあげること、寄り添って耳を傾けることから始める。それがいちばん大事なことだと思います。
やなせ先生に笑われないよう、頑張らないと……。

──「アンパンマン」の生みの親であるやなせたかしさんと、妻・暢さんをモデルにした朝ドラが制作されるとはじめに聞いたときのご感想は?
飛び上がるほど嬉しかったです! どんな作品になるのかすごく楽しみでしたし、先生の作品に携わらせていただいている身としてすごく誇らしかったですね。先生の素晴らしいお人柄やエピソードをより多くの視聴者の方に知っていただける滅多にない機会ですから、お礼を言いたいくらいでした。
──そんな「あんぱん」にご自身の出演が決まったときは、いかがでしたか?
実は放送が始まるずっと前、脚本の中園先生やスタッフの皆さんからの取材をお受けしたんです。ドラマを制作するにあたって、私の知っている限りのやなせ先生や暢さんのお話をさせていただいて。その時はまだ、私が出演するというお話があったわけではなかったのですが、たとえ出られなくても応援する気持ちはありましたし、早くみんなに宣伝したいなと思っていました。それだけ、私の中では特別なものだったんですね。
出演が決まった時は本当に嬉しかったですし、先生に笑われないように頑張らないと、と思っていました。

──戸田さんから見たやなせさんは、どんな印象の方だったのでしょうか?
思い出がありすぎて、ひと言で言うのは大変です(笑)。
最初にやなせ先生とお会いしたのは、アニメ「それいけ!アンパンマン」レギュラー放送の初回収録の時。先生は当時70歳前後だったと思うのですが、とにかくお元気で。アンパンマンよりも、バイキンマンの声を気にしていたのをよく覚えています。というのも、私の声はあらかじめ収録したサンプルテープの中から、先生ご自身と監督さんが選んでくださっていたので。ところが、バイキンマンのほうは、実際の声を一度も聞いていなかったそうなんです。それでアンパンマンの相手役として、すごく気にしていらっしゃって、「もしバイキンマンの声がイメージと違ったら、僕が声優をやろうかと思っていた」とおっしゃっていましたね(笑)。
それ以降、よくお会いすることになるのですが、私が出演する舞台をしょっちゅう見にきてくださって、本当にお世話になりました。アニメスタッフに向けた先生主催のパーティーではアトラクションみたいなものを用意してくださったり、先生自身が扮装をしたり、車に乗って登場したり、とにかく私たちを楽しませるために手を尽くしてくださいました。
ある時、先生が「もうそろそろ引退だから生前葬をやろう。弔辞を書いてくれ」と言い出して。なんて悲しいことを言うんだと思って泣きながら弔辞を書いたのですが、その時期に、東日本大震災が起きたんです。それで先生、「こんな時に死んではいられない」と言って、生前葬はやめて、自分たちにできることをしようということになったんですね。 そんな先生を通じて、窮地に陥った時、逆境の時に生き延びる強さを感じました。戦争を体験しているからこそ、苦難を乗り越える力のレベルが私たちなんかと全然違うんですよ……。私たちのキャラクターの声で応援メッセージを録音したり、また私個人は単身で被災地に出かけて声がけをしたり、すべて先生がおっしゃる通りに、あの時は私たちチームにできることを精一杯やったなという印象があります。

──実際に、やなせさんの人生を描く現在の「あんぱん」の放送を見て、いかがですか?
(やなせ先生役の)北村(匠海)さんがいい男すぎる!……なんていうと、ちょっと先生に失礼かもしれませんが(笑)、先生もきっと天国で自慢していると思いますよ。ドラマとしてはもちろんフィクションの部分もあるわけですが、でも、実際の先生の名言があちこちに散りばめられているのがすごくいいなあと、いち視聴者として思っていました。
──北村さんとは、撮影の合間などにお話されましたか?
あまりきちんとお話しできていないんですよね。ただ、初めてお会いした時に、別にアンパンマンの声をやったわけではないのですが、ぼそっと「ようやく本物が聞けた」と呟いていたり、お芝居の中で鉄子が一瞬パンチのポーズをしたタイミングがあったのですが、それを“隠れアンパンチだ”と察してくれたり、通じ合う部分はあるなという印象でした。きっと仲良くなれるんじゃないかなと、勝手に思っています(笑)。
あとは、北村さん、撮影の合間に出演者の皆さんの似顔絵をよく描いていて、薪鉄子の絵も描いてくださったんです。控室に貼ってあるので、最終的には持って帰りたいですね!

──今田さんとのご共演はいかがでしたでしょうか?
本当に食べちゃいたいくらい、かわいい(笑)。こんなに可愛らしくて清々しい人とずっと仕事をしていたいと思いましたね。
数年前、テレビドラマに出演しているのを見て一方的に知っていたんですが、短いシーンでもバックボーンが見えるお芝居をする俳優さんだなと思ったのを覚えています。実際にご一緒してもその印象は変わりません。
でも今は(中園先生がおっしゃっていたのを聞いてから)、ドキンちゃんにしか見えなくなりましたね。表情がくるくる変わって愛らしくて。
モデルとなった暢さんとは一度お会いしたきりであまり詳しく存じ上げないのですが、今田さんを見ていると、実際の暢さんもこんな感じだったのかなと思います。やなせ先生を助けるかっこいい女性のイメージがあったので、まさにぴったりです。

──「あんぱん」の視聴者に、ひと言メッセージをお願いいたします。
あの優しくて幸せなアンパンマンワールドは、本当に悲惨な現実を潜り抜けて生き延びたやなせ先生だからこそ、生み出すことができたもの。そんな先生の半生を描いた「あんぱん」は、特別なものだと思います。その世界を走り抜けていくのぶちゃんが、鉄子のもとで今後どう成長していくのか、楽しみにしていてほしいです。