
映画・舞台・ドラマで唯一無二の存在感を放つ俳優の山﨑努さん(88歳)。長い俳優人生を振り返ると、演じることの原点にあるのは、少年時代の出来事だといいます。貧しくも楽しかった時代、山﨑さんが考える俳優という仕事、そして病を克服し、今思うこととは──。
聞き手 迎康子
この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2025年8月号(7/18発売)より抜粋して紹介しています。
“山﨑の努”という役を見つめて
──山﨑さんは今年1月、自伝『「俳優」の肩ごしに』を改めて文庫版として出されました。「肩ごし」という言葉には、どんな気持ちが込められているのでしょう。
山﨑 僕にとって、役を演じることと生きることは似ているんです。芝居は、誰かが決めた“人物”という枠の中で何を表現するか。人も、生まれながらにして容姿・家柄・才能など決められた条件の中で生きていかなければなりません。そこで、“山﨑の努”という役がこれまでどうこなされたのか、実際の自分からちょっと離れ、肩ごしから見て思いつくことを書いてみようと考えました。
──自伝だと恥ずかしい部分もありますか。
山﨑 てれくささ、うぬぼれみたいな感情は、書くうえでうんと邪魔になりましたね。でももう人生も残り少ないわけだから、そういう自分の嫌なところを少しでも克服したいという気持ちがあって。
──歯切れのよい文体で、腕のいい料理人が鮮やかに何かを包丁でさばいているようなリズム感がありますね。
山﨑 書くことは好きで、2001年から日記もつけています。今日何があったとか、芝居のどういうところがうまくいかなくて、なぜうまくいかなかったのかとか。文章にすることが物事を考えるきっかけになり、芝居にも役立つんですよ。僕の場合、書くことと演じることは連動しています。
──山﨑さんは、たいへんな読書家でもあるそうですね。
山﨑 本は途中までつまらなくても、終わりになってがぜんすばらしいシーンや言葉が出てきて、びっくりするぐらい感動することがあります。だから、最初は退屈でも途中でやめるというわけにいかなくてね。最後まで読み切らないと、どこで何が出てくるか分からんぞという期待があるんです。
復員した父に見せた演技
──少年時代は太平洋戦争のさなかで、疎開も体験なさっているんですね。
山﨑 小学校3年生くらいで縁故疎開しました。避難生活だし、縁故疎開はかすかに縁がある人たちが周りにいるからかえって複雑だしで、あまり楽しいこともなかったんじゃないかな。当時の記憶はきれいに抜け落ちていて、年を計算すると生まれたばかりの妹もいたはずなんですが、そんなことさえも忘れているんですね。
──でも戦争が終わって、お父様が戦地から無事に帰ってこられたのはうれしかったでしょう。
山﨑 親父が帰ってきたという知らせを受けて僕ははだしで飛び出し、親父が立ち寄っていた家まで駆けていったんです。ふだんはへっぴり腰で歩いていたぬかるんだ坂道も、走り抜けて行っちゃう。……なんか自分でも変だったんですね。周りの目を意識して、長男の自分が親父の復員を喜ばないとまずいんじゃないかと考えていたんですよ。要するにうそをついたわけです。思えばこのときの疾走が初めての演技でした。
で、親父がいる家に行って戸口をバッと開けた、親父が僕を見た、2秒ぐらい目が合った。そこまででおしまい。その先の演技プランは僕にはなかったんです(笑)。
※この記事は2025年4月29日放送「演じることに向き合う」を再構成したものです。
俳優の道へ進むきっかけや演じるうえでの喜び、克服した病についてなど、「演じることと生きることは似ている」と語る山﨑さんのお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』8月号をご覧ください。

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