今や鉄道ファンのバイブルともいえる『時刻表』ですが、発行されたのはなんと100年前。時刻表の歩みをたどると日本の歴史が見えてきます。編集長の梶原美礼さん(47歳)が、その変遷と編集の裏側を語ります。

聞き手 恩蔵憲一

この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2025年8月号(7/18発売)より抜粋して紹介しています。


時刻表は平和の象徴!?

――100年前の時刻表はどんなものだったのでしょう。

梶原 鉄道は約150年前、新橋―横浜間が開通したのが始まりです。当時は、駅に発着時刻が書いてあるだけでした。20年ぐらいたってやっと冊子の形ができてきたんですね、漢数字で右から縦書きに書かれていて。その後、鉄道省で業務用として使われていたものを市販してほしいという声がかなりあって。これが『汽車時間表』という算用数字で横書きの時刻表で、『JTB時刻表』の前身ですね。  

――当時から路線図もあったんですね!

梶原 日本全国に今とほぼ変わらない数の路線があったと思うと驚きます。当時、日本領だった樺太からふと(現・サハリン)や台湾の鉄道やバス、シベリアなどの航路も載っていて。この数年後には飛行機も掲載されているので、今と同じくらい充実していますよね。  

――今は毎月発行されていますが、当時はどのくらいの頻度で出ていたんですか。

梶原 最初から月刊誌でした。ただ、戦時中は紙不足に加え、鉄道が常時運転できる状況ではなかったり、交通の情報が入ってこなくなったりして、年に1回しか発行できないこともあったようです。そんなときは紙1枚に全国の主要路線を掲載していました。

鉄道の情報を載せることは敵へ情報を知らせることにもなります。何をどこまで周知するか、慎重に検討していたと聞いていますね。

――ほかにも発行の危機はあったのですか。

梶原 東日本大震災後の停電、それからコロナ禍のときですね。外出を自粛しなければならない中で、時刻表という時流に逆行した本を出すことが編集部としては悩ましくて。しかし、ボランティアなど動かなければいけない人のことを考え、毎月出し続けました。

――そういったお話を伺うと、平和というのは本当にありがたいですよね。

梶原 はい。旅は平和で安全でないとできません。時刻表を毎月発行できるのは、幸せなことではないでしょうか。

※この記事は2025年4月22日放送「創刊100周年、紙の時刻表は不滅です!」を再構成したものです。


毎月1000ページを超える印刷物を製作する編集の裏側や、紙の時刻表の楽しみ方など、梶原さんのお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』8月号をご覧ください。

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