
1958(昭和33)年に18歳で銀幕デビュー以来、数多くの映画やドラマで活躍する大空眞弓さん(85歳)。社会現象にもなった純愛ドラマ「愛と死をみつめて」など、石井ふく子プロデュース作品の常連でもあります。何度も病魔に襲われながらも、常に天真らんまんでポジティブシンキング。計画中の“卵葬”とは……。
聞き手 大倉順憲
この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2025年12月号(11/18発売)より抜粋して紹介しています。
父に反発して映画界へ
──女優デビューは音楽学校時代。どんなきっかけだったんですか?
大空 母と歌舞伎を見に行った帰りに、歌舞伎座の前でスカウトされたんです。次の日に渋谷でまたスカウトされて、それで父に報告したんですね。そうしたら案の定、大激怒。3時間、正座させられてお説教です。これには私もカチンときましてね、「そんなに反対するならこっちも女優になってやる!」と意地になりまして。そんな経緯で映画界に飛び込んだわけです。
──デビュー作は近江俊郎監督の『坊ちゃん天国』(1958年)、高島忠夫さんの妹役でした。
大空 「坊ちゃん」シリーズのレギュラーで、最初からいい役に恵まれましたね。
──お父様の反応はいかがでしたか?
大空 あんなに反対したくせに、周りに「大空眞弓って知ってる? あれはうちの娘なんだ」って自慢していたみたいです。「いいかげんなオヤジめ~!」と思いましたけど(笑)、かわいいところのある人だったんです。ともあれ今の私があるのは父のおかげです。あれだけ父が反対しなかったら、女優になっていませんでしたから。
石井ふく子さんを姉と慕って
──テレビドラマで話題を呼んだのが、「愛と死をみつめて」(TBS系 1964年)。難病に侵されて21年の生涯を閉じた大島みち子さんの実話を描き、社会現象的なヒットとなりました。
大空 石井ふく子先生と一緒に、みち子さんのお宅に伺ったときのことは今でも忘れられません。帰り際に私が右を振り返って右手を振って、みち子さんのお父様にごあいさつしたんですね。そうしたらお父様が泣き出されて。聞いたら、みち子さんは出かけるときにいつもその場所で「行ってきます」と言っていたそうです。私がしたのと同じように、右を振り返って右手を振って。
──みち子さんが大空さんに乗り移ったかのように。
大空 みち子さんが私を通してお父様に何か伝えたかったのかもしれませんね。またあのころは、私生活でも姉が29歳で亡くなったばかりで、何かと忘れられない作品になりました。このときに出会った石井先生のことは、今でも“お姉ちゃん”と呼ばせていただいてるんです。「たった一人の姉を亡くしてしまったので、これから先生をお姉ちゃんって呼ばせてもらってもいいですか?」とお願いしたら、快く「いいわよ」と言ってくださって。
※この記事は2025年9月7日放送「ピンピンコロリでたまご葬」を再構成したものです。
女優人生の原点となる高校時代の“朗読”、お世話になった名監督たちとの思い出、そして自身のお葬式としてイメージする“卵葬”など、大空さんのお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』12月号をご覧ください。

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