
石川県の能登や加賀などに伝わる「花嫁のれん」は、婚礼の当日、花嫁が親にあつらえてもらったのれんをくぐり新たな家族の一員となる伝統の風習です。石川県七尾市の一本杉通りで町の伝統を守り続け、花嫁のれん展を立ち上げた鳥居正子さん(70歳)が、人と人との絆をつなぐ花嫁のれんの魅力を語ります。
聞き手 佐伯桃子
この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2026年1月号(12/18発売)より抜粋して紹介しています。
のれん展で町の人にも変化が
――嫁入りの日にしか使われない花嫁のれんが、なぜ多くの人に知られるようになったのでしょう。
鳥居 商店街の古い建物が取り壊されそうになり、市に相談したら、市の登録有形文化財として保存してもらえることになったんですね。それを機に、七尾を訪れた人に何かおもてなしができないかなと思って。そんなとき、雑誌の編集をしている友人から「花嫁のれんがあるじゃない」と言われたんです。義母に聞いてみたら、自分の花嫁のれんを見せてくれて。町の人にも声をかけたら37軒、50枚もの花嫁のれんが集まりました。仲間5人で「こののれんを町じゅうに飾って美術館みたいにしたいね」と、花嫁のれん展を立ち上げたんです。
災害を乗り越え再びのれんを飾りたい
――皆さんの思いが詰まった花嫁のれんですが、2024(令和6)年の能登半島地震のときはどうだったのでしょう。
鳥居 元日でしたので、子どもたちの家族とおせちを囲みながら団らんしていました。突然揺れて、津波も来るというので、2階のたんすにしまっていたのれんを確認する間もなく、すぐ逃げたんです。
翌日見に行ったら、たんすは倒れていたものの、のれんには傷一つなかった。でも、建物の被害が大きく、のれんを失った方もたくさんいらっしゃいます。
――8か月後には豪雨もありました。大変な状況をどう乗り越えましたか。
鳥居 お隣さんと「今年は花嫁のれん展ができんでも、またしたいね」と励まし合いました。今は無理でも、必ず町を再建して花嫁のれん展をやるんだと自分の中で誓って。
その気持ちが通じたのか、その秋に「東京で花嫁のれん展をやりませんか」というお誘いを受けて、東京・文京区の「旧安田楠雄邸庭園」で展示しました。「私たちにはのれん展がある」と思ったら力が湧いてきて、「頑張れ!」と背中を押された思いがしました。
――花嫁のれんと、これからどう生きていきましょう。
鳥居 花嫁のれんは能登の女性が生きてきた証し。その伝統を若い世代の人たちに語り継いでいきたいですね。

【プロフィール】
とりい・まさこ
石川県志賀町出身。七尾市の一本杉通りで大正時代から続く「鳥居醤油店」に嫁ぎ、3代目女将に。醤油造りのかたわら、町の発展に尽力。
※この記事は2025年4月6日放送「石川・七尾の誇り 花嫁のれんがつなぐ絆」を再構成したものです。
「一枚として同じのれんはない」――受け継がれる伝統“花嫁のれん”に込められた親心など、鳥居さんのお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』1月号をご覧ください。

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