ⓒ今井卓

日本とフィンランドを拠点に活動しているたていずみさん(89歳)。2002年、ステージ上で脳出血によって倒れ、右半身の自由を失いました。その後、およそ2年のリハビリ生活を経て、“左手のピアニスト”として活動を再開。現在、年間30回にも上る演奏会を開き、人々に深い感動を届けています。

聞き手 杉田まこと、柴田祐規子

この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2026年2月号(1/16発売)より抜粋して紹介しています。


演奏も作曲も難しい左手のための曲

杉田 舘野さんは病気のあと、左手だけで演奏されています。片手でピアノを弾くというのはどういうことなのでしょうか。

舘野 実を言うと、自分が左手で弾いているということは意識していないんです。呼吸も含めて、弾くのは全身ですから。特別なことだと思ったことはありません。

杉田 でも、鍵盤の端から端までかなり距離がありますよね。これを左手で弾くのは体力も使うんじゃないでしょうか。

舘野 ピアノは88鍵あります。それを左手1本で右から左まで全部カバーするわけですから、手の往復も頻繁だし、体がよじれるし。特に右のほうに行くときは、体をそちらへ傾けなければならない。非常に負担はかかりますが、それを克服することによって音楽が生まれてくるんですから。当然のこととして受け入れています。


再び音楽に向かい合うための時間

柴田 にこやかにお話しされていますが、右手で弾けなくなってから再び鍵盤に向かおうと思われるまで、かなり時間がかかったのではないですか。

舘野 2年間、何もしなかったんです。リハビリはしていても、ピアノを弾くことも音楽を聴くこともしませんでした。倒れてから1年が過ぎたころ、僕が音楽監督をしていたフィンランドの音楽祭にピアニストのやま実稚恵みちえさんを招いたんです。そのときに小山さんがアンコールでスクリャービンの「左手のための2つの小品」のノクターンをお弾きになって、ちらっと僕のほうを見た。「こういうのがあるわよ」っていうふうに。

演奏もすばらしかったし、とても感激したんですけれど、翌日になったらすっかり忘れていました。まだ機が熟していなかったんでしょう。やっぱり人間っていうのは生きていくうえで、休む期間も絶対必要だと。弾けない日々が2年続きましたが、例えるなら断食をしたような感じでしょうか。中のものをすっかり入れ替えて、新たに音楽に向かい合うための時間を過ごしたんだと思います。

杉田 キャリアを重ねてきた中で、新しく生まれ変わるのは難しかったのでは。

舘野 脳出血で倒れるまでにも、いろんな人に作品を書いてもらいましたし、現代音楽でも新しいものを取り入れてきました。そういう自分の中で育ててきたものを続けていくだけです。それは、今までと変わらない音楽をやっていけるという喜びでもあります。

両手で弾くときは、それぞれの特性がありますね。例えば右手は、プリマバレリーナみたいにいろんな表情があって、華やかに飛び回る。右手が音楽の細かい装飾を担い、左手がそれをがっちりと支えるという役割です。今度は、左手だけでその両方の役をやらなきゃいけない。それができるって楽しいじゃないですか。新しいことができるのはおもしろいですね。

※この記事は2025年10月6日放送「88歳“左手のピアニスト”が奏でる世界」を再構成したものです。


音楽家の両親のもとで育った舘野さん。ピアノとの出会い、想像力豊かな幼少期や戦争体験、ピアノを弾くと「“俺は生きてるんだ”と実感する」と語る舘野さんのお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』2月号をご覧ください。

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