今週は、前回から少し時がたった永禄えいろく5年(1562)正月から始まりました。織田おだ信長のぶなが(演:小栗旬)のもとに、三河みかわ松平まつだいら元康もとやす(のちの徳川とくがわ家康いえやす 演:松下洸平)がやってきて、同盟を結びました。以後長く続く清須きよす同盟どうめいです。

小一郎こいちろう(のちの豊臣とよとみの秀長ひでなが 演:仲野太賀)と藤吉郎とうきちろう(のちの豊臣秀吉ひでよし 演:池松壮亮)は、信長に命じられて元康らの帰路の案内をしていましたね。

ただ近年では、戦いが続く中、家康は実際には清須まで来てはいないだろう、と考えられています。今川いまがわ義元よしもと(演:大鶴義丹)の後継者・氏真うじざねは、永禄4年4月に三河の元康が背いた、と命令書に記しています。つまり桶狭間おけはざまの戦い(永禄3年)の翌年前半には、元康は信長と同盟していたようです。この同盟締結によって、信長は東の今川をさほど気にすることなく、美濃の斎藤攻めに当たることができるようになりました。

美濃でも情勢が変化しています。斎藤さいとう義龍よしたつ(演:DAIGO)が、永禄4年5月に亡くなり、数え年14歳と、まだ幼い息子・龍興たつおき(演:濱田龍臣)が跡を継ぎました。信長は好機と見たのでしょう。義龍死去の2日後には美濃に兵を送り、墨俣すのまた(現在の岐阜県大垣市)から森部もりべ(現在の岐阜県安八郡安八町)に侵攻し、大勝しています。信長も自らこの戦いの場に臨みました。

この戦で手柄を立てたのが、今週から豊臣兄弟のライバルとして登場した前田まえだ利家としいえ(演:大東駿介)です。利家は、小一郎・藤吉郎と同世代で、若い頃から信長側近の精鋭部隊・赤母衣衆あかほろしゅうの一員となり、やりの名手として活躍していました。しかし永禄2年、同じく信長に仕える同朋どうぼうしゅう(信長の身辺の世話や芸能に携わる僧形の家臣)と喧嘩けんかとなり、相手を殺害。利家は出奔しました。

その後、ひそかに桶狭間の戦いやこの森部の戦いに参戦します。そして森部の戦いでの手柄を認められ、ようやく信長家中への復帰を許されたのです。

信長の戦法は、まず周辺の城を掌握すること

その後も信長は美濃に何度も出兵し、斎藤に圧力をかけ続けています。

永禄6年、信長は居城を清須城(現在の愛知県清須市に所在)から、美濃との国境に近い小牧こまき山城やまじょう(現在の愛知県小牧市に所在)に移しました。この本拠の移転は、美濃攻めの前哨戦・犬山城いぬやまじょう(現在の愛知県犬山市に所在)攻略のためでした。

犬山城主は織田信清のぶきよといい、信長にとっては姉婿にあたる人物です。信清は、岩倉城攻め(コラム#02参照)では信長に味方をしていました。しかし斎藤方の鵜沼城うぬまじょう(現在の岐阜県各務原市に所在)の城主、大沢おおさわ次郎じろう左衛門ざえもん(演:松尾諭)の工作によって、この時期は斎藤と手を組み、信長に敵対するようになっていたのです。犬山城攻略は美濃攻めのための重要課題でした。

信長が本拠を小牧山に移すと、翌年には犬山城の支城である黒田城くろだじょう(現在の愛知県一宮市に所在)・小口城おぐちじょう(現在の愛知県丹羽郡大口町に所在)が降伏します。これは丹羽にわ長秀ながひで(演:池田鉄洋)の交渉が大きかったようです。

信長は孤立した犬山城を長秀に包囲させ、さらにその背後、木曽川の向こうにある美濃の城々の調略を進めていきます。加治田城かじたじょう(現在の岐阜県加茂郡富加町に所在)・鵜沼城・猿啄城さるばみじょう(現在の岐阜県加茂郡坂祝町に所在)などです。

信長の戦法は、このように目標とする城(今回は犬山城)を直接攻めるのではなく、まず周囲の敵方の拠点を落とし、味方の拠点を築いて包囲し、チャンスを得た時に攻撃することでした。しかも敵方の将の殺害を優先するのではなく、その城の掌握を目的とするのが、当時の信長の戦のやり方だったと指摘されています。

永禄8年7月、長秀の仲介で加治田城が信長に内通しました。

そして今週、小一郎・藤吉郎兄弟は、大沢次郎左衛門の鵜沼城攻略を命じられていました。木曽川を挟んで、犬山城の対岸の岩山にあり、尾張に対する防衛拠点です。なお次郎左衛門の妻(ドラマでは映美くらら演じる「しの )は、『寛政かんせい重修諸ちょうしゅうしょ家譜かふ』という江戸時代の系図には、斎藤道三どうさん(龍興の祖父 演:麿赤兒)の娘と記載されています(事実かどうかはわかりませんが……)。

小一郎の策と、藤吉郎の力のこもった説得の結果、藤吉郎を鵜沼城に残して、次郎左衛門は小一郎とともに信長のもとに赴くことになりました。しかし、次郎左衛門は兄弟に説得されたふりをしていただけなのでしょうか。剣呑けんのんな雰囲気です。

愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。朝廷制度を中心とした中世日本史の研究を専門としている。著書・論文に『中世朝廷の官司制度』、『史料纂集 兼見卿記』(共編)、「徳川家康前半生の叙位任官」、「天正十六年『聚楽行幸記』の成立について」、「豊臣秀次事件と金銭問題」などがある。