今回は、岐阜ぎふじょう(現在の岐阜県岐阜市)の織田おだ信長のぶなが(演:小栗旬)のもとに、明智あけち光秀みつひで(演:要潤)と、従者に身をやつした足利あしかが義昭よしあき(演:尾上右近)が訪ねてきていました。

彼らの目的は、義昭の上洛・将軍就任への助力交渉ですが、その中で義昭は「わしはほんの2年前まで、仏門に身をささげ、俗世と離れて一生を終えるつもりでいた……」と述懐していました。

2年前に当たる永禄えいろく8年(1565)に何があったのでしょうか。

少し時をさかのぼってみます。ドラマの第1回、永禄2年に信長は京に赴いていました(コラム#01参照)。この上洛は、おそらく室町幕府13代将軍・足利義輝よしてるの求めに応じたものでした。この時期、室町幕府では三好みよし氏の力が強く、京を追われていた義輝は三好氏と和睦して京に戻ったばかりでした。各地の大名に声をかけて足場を固めようとしていたのです。

ところが、それから数年後の永禄8年5月、義輝は、三好氏の当主・三好義継よしつぐや「三好三人衆」と呼ばれる三好長逸ながやす(演:中野英樹)・三好宗渭そうい(演:奥田洋平)・石成いわなり友通ともみち(演:阿部亮平)、松永まつなが久通ひさみちらに殺害されました。

「永禄の変」と呼ばれるこのクーデターが、義昭を俗世に引き戻すきっかけとなったのです。

この時、義輝の母や、弟の照山しょうざん周暠しゅうこうも殺害されました。三好三人衆らは、義輝の代わりにその従兄弟いとこの足利義栄よしひでを将軍に就けようと画策しています。しかし仲間だった久通の父・松永久秀ひさひで(演:竹中直人)との間で内部対立が生じ、内輪もめが始まりました。

義昭は義輝の同母弟です。永禄の変の時には29歳で、彼のセリフにもあったように奈良の興福こうふく一乗院いちじょういん門跡もんぜき(格式の高い寺の住職)でした。変ののち、義昭は幽閉されますが(久秀の保護があったようです)、やがて脱出し、甲賀こうか和田わだ惟政これまさ(演:玉置孝匡)邸、ついで近江おうみ六角ろっかく氏の許に身を寄せました。そして還俗げんぞくし、義秋、のち義昭と名乗ります。

この間、越後えちご上杉うえすぎ謙信けんしん(演:工藤潤矢)、常陸ひたち佐竹さたけ氏、甲斐かい武田たけだ信玄しんげん(演:髙嶋政伸)、三河・*松平まつだいら家康いえやす(演:松下洸平)、美濃みの斎藤さいとう龍興たつおき(演:濱田龍臣)、近江・六角氏、薩摩さつま島津しまづ氏などなど、各地の有力者に手紙を出し、自分が兄の敵を討ち、京に入って将軍になる手伝いをしてほしいと、懸命に頼みました。

しかし、皆から「わかりました」との返事は一応あるものの、それぞれの事情もありかないそうもありません。

もちろん尾張おわりの信長にも、義昭は協力を求めていました。信長は永禄8年末には義昭に対して「重ねての仰せ承りました、仰せがあり次第すぐにでもお供します」との返事を出しています。ただこの時点の信長は、美濃の龍興と戦っている最中で、協力する余力はありません。そのため義昭は龍興と信長を和睦させ、信長を京に向けて通すように働きかけをしたりもしていました。

元康は、永禄6年に名前を家康に、さらに永禄10年正月に松平を徳川に改めました。ドラマ後半で信長から「徳川三河守」宛で手紙が届けられていましたね。

2度目の挑戦で、ようやく上洛を果たした義昭

永禄9年8月、義昭は信長の援助を受けて上洛しようとします。ところがその矢先、滞在先だった近江・六角氏が敵の三好方に寝返ったという情報が入りました。義昭は慌てて逃げ出し、若狭・武田氏、さらに越前・朝倉あさくら義景よしかげ(演:鶴見辰吾)の許に身を寄せました。

以来、朝倉氏の拠点・一乗谷いちじょうだに(現在の福井県福井市)に滞在していましたが、義景は上洛戦に熱心ではありません。同じころ、信長も龍興に手痛い敗北を喫しました。なかなか思うようにならない義昭は、やきもきしている状況だったでしょう。

一方、信長は積極的に周辺勢力との縁を結んでいます。

永禄9年には大和の有力者・松永久秀を味方に引き入れ、永禄10年には娘・とくを三河の家康の嫡男・信康のぶやすと結婚させました。さらに美濃を手に入れると、北近江の浅井あざい長政ながまさ(演:中島歩)に妹のいち(演:宮﨑あおい)を嫁がせ、近江の有力者たちにも連絡をとっています。

さらに永禄11年に入ると、伊勢攻略を進め、息子の信孝のぶたかを伊勢の有力者・神戸かんべ氏の跡継ぎに、弟の信良のぶよし(のちの信包のぶかね)を上野城(現在の三重県津市に所在)の長野氏の跡継ぎにしました。

そして永禄11年7月、いよいよ信長は義昭を岐阜に迎え入れ、再びの上洛計画を実行に移します。

9月、信長は出陣し、12日には六角氏の居城・観音寺かんのんじじょう(現在の滋賀県近江八幡市に所在)の支城・箕作みつくりじょう(現在の滋賀県東近江市に所在)を攻め、その日のうちに陥落させました。

信長の家臣・太田おおた牛一ぎゅういち著『信長記しんちょうき』には、この時「佐久間さくま右衛門うえもん木下きのした藤吉とうきちろう丹羽にわ五郎左衛門ごろうざえもん浅井あざい新八しんぱちが城攻めを命じられた」と記されています。これが『信長記』での、藤吉郎秀吉ひでよし(演:池松壮亮)初登場の場面です。佐久間信盛のぶもり(演:菅原大吉)や丹羽長秀ながひで(演:池田鉄洋)という錚々そうそうたるメンバーの中に位置付けられており、すでに織田家中の有力武将に出世しているようですね。

ドラマでは冒頭、小一郎こいちろう長秀ながひで(のちの豊臣とよとみの秀長ひでなが 演:中野太賀)が秀吉の部下たちを一人一人把握していると知り、蜂須賀はちすか正勝まさかつ(演:高橋努)が驚く様子が描かれていました。出世に伴い部下も増え、こうした部下のマネジメントの重要性が増していたことでしょう。

さて、箕作城が陥落すると、六角氏は観音寺城を放棄して退去しました。信長は数万の大軍勢を率いて9月末には京に入り、三好三人衆を追い払いました。三好三人衆が主君として担いでいた14代将軍義栄は、この直前に亡くなっていました。

これにより10月18日、義昭はめでたく征夷大将軍に任じられたのです。

愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。朝廷制度を中心とした中世日本史の研究を専門としている。著書・論文に『中世朝廷の官司制度』、『史料纂集 兼見卿記』(共編)、「徳川家康前半生の叙位任官」、「天正十六年『聚楽行幸記』の成立について」、「豊臣秀次事件と金銭問題」などがある。