
去年8月にデビュー50周年を迎えた3人組バンド・THE ALFEE。メンバーの一人である坂崎幸之助さん(71歳)は、カメラや骨董品などのコレクターとしても知られ、音楽のほかにも精力的に活動しています。今年6月には寄席デビューを果たすなど、71歳にしてなお新たな挑戦を続ける坂崎さん。共に歩んできた仲間や幅広い分野で活躍を続ける思いとは?
聞き手 小笠原実穂
この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2025年12月号(11/18発売)より抜粋して紹介しています。
41年ぶりの“紅白”で新たなファンが急増!
――1974(昭和49)年のデビュー以来、THE ALFEEはメンバーの桜井賢さん・高見沢俊彦さんとともに、1度も活動を休止することなく半世紀。全国ツアーも毎年続けてきました。ファンの皆さんも喜ばれているでしょうね。
坂崎 そうですね。よく、ほかのアーティストのファンの方から、THE ALFEEのファンは羨ましがられるそうです。ずっと応援し続けてもらえるのはありがたいですね。
去年暮れには「NHK紅白歌合戦」に41年ぶりに出場しましたが、SNSですごく盛り上がって。特に初めて僕たちのステージを見た若い人にとっては、最初に歌い出したのが桜井だったことが驚きだったようです。センターに立っていたり、いちばん目立つビジュアルの人が歌うことが多いのに、左端でベースを弾いているあまり目立たない人が歌い出したもんだから(笑)。その意外性と、50年続けてきたというインパクトがよほど大きかったのか、新たに応援してくださる方が増えました。
――THE ALFEEは日本のバンドのライブ通算本数の記録もお持ちなんですよね。
坂崎 はい、来年の春で3000本になります。これだけ本数をこなしているので、ツアーの全体構成を確認するのは前日か当日。曲目や曲順は1週間くらい前に高見沢から案があがってきて決めています。でも、あいつひどいんですよ。初日が終わった翌日に1曲目を替えたりするんですから。
――周りの皆さんは焦りませんか?
坂崎 もうみんな慣れているので焦らない。僕も桜井も「あぁ、またいつものことだ」と諦めています(笑)。でも、それはそれで飽きないし、何でも楽しめる関係性が長続きの秘けつなのかもしれません。
――楽曲制作についてはいかがですか?
坂崎 作品に関しても高見沢に任せています。ただ、彼個人の気持ちを歌っている歌はほとんどなくて、あくまでもTHE ALFEEの3人で歌う歌を彼が代表して作ってくれている。そこが、ほかの多くのバンドの音楽の作り方と大きく違うところだと思います。
音楽の好みも見た目も三者三様だけど
――音楽を好きになったのはいつごろなんですか。
坂崎 うちは、東京の下町で酒店を営んでいて、叔父や叔母と同居していたんですけど、みんな楽器が好きだったんです。僕自身も小学校のころからベンチャーズやビートルズの曲を聴くようになり、中学生になると、エレキギターに憧れました。でも、当時エレキは不良のイメージがあって買ってもらえなくて。代わりにフォークギターを買ってもらい、ザ・フォーク・クルセダーズ*1や吉田拓郎さんなど日本の音楽にハマるようになりました。
*1 1965年に結成されたフォーク・ロックバンド。「帰って来たヨッパライ」などがヒット。’68年に解散したが、2002年に坂崎さんが加わり一時的に再結成した。
※この記事は2025年9月23日放送「走り続けてなお、終わらない夢」を再構成したものです。
桜井さん&高見沢さんとの出会い、バンド結成のきっかけや、71歳での“寄席デビュー”など、人生を謳歌する坂崎さんのお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』12月号をご覧ください。

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