NHK財団では、情報空間の課題の解決方法や、一人ひとりが望む「情報的健康(インフォメーション・ヘルス)」を実現するためのアイデアを募集し、社会実装に向けての取り組みを進めています。
(詳しくは財団の公式サイト「インフォメーション・ヘルスアワード」をご覧ください)※ステラnetを離れます
今回は、慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所 准教授の水谷瑛嗣郎さんにお話を伺いました。
水谷さんは、現代の情報社会における法と自由のあり方を多角的に研究し、フェイクニュースやプラットフォーム規制など、情報環境に関する現代的課題に対して積極的に発信を行っています。慶応義塾大学内に設置された「情報的健康プロジェクト」(アテンション・エコノミーと「情報的健康」 | PROJECT | 慶應義塾大学 X Dignity センター※ステラnetを離れます)のメンバーで、昨年開催された「第2回インフォメーション・ヘルスAWARD」アイデア部門で準グランプリを受賞した木田直斗さん(当時、関西大学)の指導も行いました。
木田さんのインタビュー記事「“なんとなくの違和感”が、社会を変えるアイデアになる 第2回インフォメーション・ヘルスAWARDアイデア部門準グランプリ 木田直斗さんインタビュー」

言葉や情報の“かたち”が社会を動かす SFと交錯する現代社会
――水谷先生は、法律の中でもなぜこの分野を選ばれたのでしょうか。また、そこから「情報的健康」というテーマにどう関心を持つようになったのでしょうか。
水谷 これは話し出すと長くなるんですが(笑)、端的に言うとSF小説なんです。特に影響を受けたのが、伊藤計劃という作家で、彼のデビュー作である『虐殺器官』という小説を読んだのが大きな転機でした。
この作品では、「言葉によって人が虐殺に駆り立てられる」という世界が描かれていて、「人間には言葉を通して暴力に向かうような仕組み(器官)があるのではないか」という問いかけが、ものすごく刺さったんです。
僕はもともと法学部で、大学では憲法や表現の自由について学んでいました。授業では「表現の自由を保障すれば民主政社会は良くなる」と教わるわけですが、正直、そこに違和感があったんです。「本当にそうなのか?」「自由に発信できるようにしておけば、健全な民主政社会につながるのか?」と。
そんな中でこの作品に出会って、「ああ、こういう視点があるんだ」と強く意識しました。そこから、いろいろ変遷があって、メディア法や情報法、特にソーシャルメディアに関する研究に関心を持つようになったんです。
「情報的健康」というテーマに出会ったときも、自分が普段考えていることの延長線上にあると感じました。
ちなみに、山本龍彦先生*1(慶応義塾大学法務研究科教授)も伊藤計劃の大ファンで、僕たちが盛り上がったのも、実は伊藤計劃の話だったんですよ(笑)。山本先生は同じ伊藤計劃の『ハーモニー』を論文で引用されたこともあるくらいで、そういう共通点もあって、このプロジェクトには違和感なく関われています。
今思うと『虐殺器官』は、まるで“予言の書”みたいに思えるところがあるんですよね。
特にラストの展開なんかは、アメリカで実際に起きた連邦議会襲撃事件に通ずるような場面があって……。
あの光景、そこに至るまでのプロセスも含めて、「あ、これってまさにあの小説で描かれていたことじゃないか」って。怖いのは、伊藤の予言が“当たってしまった”ということ。しかも、良くない予測が現実になってしまったという点で、すごく衝撃的でした。
――言葉が持つ影響力の大きさ、でしょうか。
水谷 言葉そのものというよりも、話しているときのリズムや声のトーン、見せられ方や流れ方、そういった“言葉の内容以外の部分”が、実は人間のコミュニケーションにすごく大きな影響を与えているのではないかということですね。
そういうことって、法学だけを学んでいるとあまり意識しないんですが、進化心理学とか行動経済学みたいな他分野を学ぶと、だんだん背筋が寒くなってくる。
たとえば「ナッジ」*2もそうですよね。ちょっとしたウェブのデザインを変えるだけで、人の行動が大きく変わる場合がある。そういう知見が、今では当たり前のように使われている。
言葉や情報の“かたち”が、人の行動や社会の動きにまで影響を与える――それが、まさに今の僕たちが直面している問題なんじゃないかと。
*²ナッジ…人の行動を強制せずに、自発的に望ましい方向へと導く工夫や仕組み
――そう考えると、アテンションエコノミーの仕組みは、人の心理を巧みに捉えて、うまく誘導していると感じます。
水谷 表現の自由って本来は、理性的な議論を通じて民主政社会をより良くしていくためのものだとされてきたわけですが、今のアテンションエコノミーの情報空間って、“刺激の競争”になっている。
つまり、“何が人に刺激を与えるのか”そこが問題なんです。
しかもその刺激って、話している内容の正確さとか論理というよりも、もっと反射的なもの。僕たちが無意識に反応してしまうようなものだったり、感情を揺さぶる要素だったりするんですよね。
だから、「情報的健康」が向き合っている課題って、個々の言論の中身そのものというよりも、情報がどう流通しているかとか、どんな見せられ方をしているかといった、構造や仕組みなんだと思います。
スマホの向こう側の世界を知ってください
――「情報的健康」について学生に伝えるときのポイントは?
水谷 「スマホの向こう側の世界を知ってください」ということです。スマホの画面に表示されているコンテンツの“奥”にある情報流通の仕組みや構造に目を向けてほしい。「情報的健康」にとっても、そこがすごく重要なポイントだと思っています。
学生も含めて多くの人は、実はメディアそのものにはあまり関心がない。みんなが興味を持っているのは、スマホに表示されているコンテンツであって、それがどうやって自分の目の前に届いているのかには、関心を持っていない。
例えば、〇〇新聞は右にまたは左に偏っているという言説はネットでよく見ます。しかしソーシャルメディアで次々と面白い動画が流れてくるのも、裏でどんなアルゴリズムが働いているのか、誰がどんな意図で設計しているのかというところまでは、なかなか意識されないんです。でも、そこにこそ「情報的健康」の課題がある。
たとえば、好きな動画を見すぎて情報的に不健康になったとしても、それがすぐに病気として現れるわけではないから、問題として認識されにくい。でも、目に見えないかたちで影響を及ぼしている可能性があるんですよね。
だからこそ、僕のゼミでは「スマホの画面の奥で何が起きているのか」を理解したうえで、課題を見つけたり、解決策を考えたりするということを大事にしています。
――授業ではどのように取り組んでいるのでしょうか。
水谷 「SFプロトタイピング」を取り入れています。簡単に言うと、SF小説の世界観をつくるワークショップです。
たとえば、「ちょっと気持ち悪い技術」みたいな、SFに出てきそうな造語をみんなで考えて、それをガジェット(道具)として設定してみる。
で、「そのガジェットが当たり前に普及している社会って、どんな社会なんだろう?」とか、「その技術があることで、どんな問題が起きそうか?」っていうのを、みんなで妄想して議論するんです。
つまり、「気持ち悪さ=課題」として捉えて、そこから社会の問題や私たちの社会で重視されている基本的な価値原理を浮かび上がらせる。そういうワークショップをやっています。
*水谷先生が参加するプロジェクトで制作された「情報的健康Podcast」チャンネルはこちら(情報的健康チャンネル – YouTube)です(※ステラnetを離れ、YouTubeチャンネルに移動します)。「情報的健康」について考える内容です。

情報に触れる“きっかけ”の格差が課題
――「情報的健康」から見た現代の課題は。
水谷 僕は授業の中であえて時事の話題に触れるようにもしていて。学生からしたら「つまんないな」と思ってるかもしれないけれど、そこで話しておかないと、彼らはその話題に触れる機会がなかったりする。
ただ、それが学生たちの責任かというと、そうとも言い切れないと思っていて。
ソーシャルメディアでニュースに触れるには、自分から興味を持って、ニュース系のアカウントをフォローする必要がある。でも、そうじゃない人には、そもそもそういう情報が流れてこない。
だから、僕が今すごく問題意識を持っているのは、「左右の分断」だけじゃなくて、“情報への接触意識”の分断なんです。
つまり、政治や社会に関心があって、積極的にニュースにアクセスする層と、そういう意識があまりなく、受動的に情報を受け取っている層との間にある“意識のギャップ”です。
日本ではもともと、政治に対する関心の差が大きい。関心のある人は少数派で、そうでない人が多数派。
だからこそ、そのギャップをどう埋めていくかというのが、これからの「情報的健康」にとってもすごく重要な課題になると思うんです。
娯楽や趣味の情報ももちろん大切です。でも、それと同じくらい、政治や社会のニュースにもバランスよく触れることが必要なんですよね。
そういう情報のバランスをどう取っていくか――それが、「情報的健康」の本質のひとつだと思っています。
――メディアやソーシャルメディアも、みんなが同じように見ているわけではない……。
水谷 まさにそれが「ディバイド(格差)」なんですよね。
昔から「デジタル・ディバイド」という言葉はありましたが、あれって主に高齢者などを想定していて、「スマホやネットを使えないお年寄りにどう対応するか」という話が中心でした。
もちろんそれも大事なんですが、今起きているディバイドはもっと多層的で、いろんなところに存在していると思うんです。
たとえば、地方と都市部の教育環境の違い、家庭ごとの情報環境の違い、特に子どもたちの情報環境は大きく違っているんですよね。
メディアを“つくる側”へ
――情報空間の構造をより健全にするためには、広告などのシステムにどんな工夫が必要だと思いますか?
水谷 僕自身、広告そのものが悪だとは思っていないんです。むしろ、広告の仕組みがあるからこそ、私たちはインターネットやソーシャルメディアを無料で使えているわけですよね。もしすべてが有料(ペイウォール)になってしまったら、情報へのアクセスが限られてしまう。
そう考えると、広告によって誰もが広く情報にアクセスできる環境が支えられているという点では、広告はむしろ重要な役割を果たしていると思います。
ただ一方で、その広告の仕組みが、アテンションエコノミーの中で“悪さ”をしてしまっている部分もある。
だからこそ、情報的健康のプロジェクトには、広告業界の方々にも入っていただいていますし、僕自身も、事業者の方々と協力しながら、何かできることを考えていきたいと思っているところです。
――「情報的健康」という考え方は、これからの社会にどんな影響をもたらすのでしょうか。
水谷 アテンションエコノミーのような問題を、社会に広く発信していくことは、このプロジェクトの大きな役割のひとつだと思っています。
「スマホの画面の向こう側の世界を知ってもらう」という意味でも、「情報的健康」の考え方には大きな意義があると感じています。
もうひとつ、僕自身の研究の方向性でもあるのですが、より良いメディア環境や「メディアのデザイン」をみんなで考えていく、そういうきっかけにもなればいいなと思っているんです。専門家だけができることじゃなく、アイデアがあれば、誰でもメディアを“つくる側”になれるんですよね。
「インフォメーション・ヘルスアワード」で出てくるアイデアも、そういう草の根的な「メディアのデザイン」に近いと思っています。
たとえば、「こういうアプリがあれば、もっとソーシャルメディアをうまく使えるよね」とか、「こういう仕組みがあれば、リテラシーを高められるよね」とか。
そういう発想って、広い意味での「メディアのデザイン」だと思うんです。
僕はメディア法の研究者ですが、制度や法律だけでなく、アーキテクチャ(設計)やマーケット(市場)といったさまざまな要素を含めて、「どうすればより良い情報環境をつくれるか」を考えることが大事だと思っています。
「情報的健康」のプロジェクトを通じて、企業のマーケティング担当やエンジニアの方がこの考え方に触れて、「うちの会社でもこんなデザインができるかも」と思ってくれたら、それだけで新しい仲間が増えるわけです。そういう広がりを少しずつでもつくっていけたらいいなと。
「情報的健康」が、社会に対して静かだけど確かな影響力を持てるような存在になればいいなと、僕は思っています。
「第3回インフォメーション・ヘルスアワード」は6月16日から募集を開始しま
した。(https://www.media-literacy-nhkfdn.jp/)※ステラnetを離れます
ステラnetでは、選考委員や受賞者の方々のインタビューなどをこれからも掲載する予定です。ご期待ください。
(取材・文:インフォメーション・ヘルスアワード事務局 木村与志子)
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