1999年のコソボ紛争から四半世紀。民族間の対立の傷痕が今も残る中、コソボ共和国の公共放送 「RTK」では民族融和をテーマにした番組制作が続けられている。
NHK財団は、国際協力機構(JICA)の技術協力プロジェクトの一環として、RTKを支援。その現場で出会ったのは、困難に直面しても「ギブアップはしない」と前を向く若きプロデューサーだった。多民族社会コソボの現在と、対話を通じて未来を切り開こうとする人々の姿を伝える。

 1998~1999年に、コソボの独立を求めるアルバニア系住民と、それを阻止する旧ユーゴスラビア連邦共和国(セルビア)との間で起きた武力衝突。紛争はNATOによる空爆へと発展した。

(文・絵/NHK財団 国際事業本部 山本浩)


コソボ共和国はバルカン半島の奥深くにある。オスマン帝国時代の名残もあれば、中世セルビア王国の栄華を伝える遺産も守られている。アルバニア人、セルビア人、かつて流浪の民と呼ばれたロマ人など、多様な民族がコミュニティを形作っている。

首都プリシュティナには古い街並みが残っていて、いたるところにカフェがある。コソボの人たちは民族に関わりなくコーヒーとおしゃべりが好きだ。夜になると、カフェはバーに変わり、飲み物はラキになる。ラキは、ブドウやプラム、リンゴなどで作る蒸留酒で、これもまた民族に関わりなく愛されている。

コソボ共和国の公共放送「RTK」のプロデューサー・エルシンさん

「もう1杯どうぞ」「降参」「まあそう言わず、もう1杯」。夕暮れ時、古びたカフェで、公共放送RTKのプロデューサー、エルシンに勧められ、アルコール度40度超のラキをあおった。バルカンにあって本音で語り合うには、焼肉(チェバブ)とラキの“飲みニュケーション“が王道なのだと人々は言う。

コソボのソウル・フード「チェバブ」

“1999年、おれは10歳だった”

「なんとかなる。オレは逆境には強いんだ」と、エルシンが言った。彼はドキュメンタリーを制作中だが、壁にぶつかっている。女子サッカー・チームに焦点をあて、主人公のアルバニア人選手とセルビア人選手との交流を取材していたところ、セルビア人選手側から突然の撮影拒否をくらった。「そんな番組は、アルバニア人を利するだけだ」と、セルビア人コミュニティが猛反発したという。放送局のセルビア人幹部が説得に乗り出したが、コミュニティの意向はかたくななままだ。

選手同士は仲が良くても、住民感情が絡むと事情が変わる。コソボでは、アルバニア人勢力とセルビア人勢の対立が1999年に大規模な武力衝突となり、NATO(北大西洋条約機構)が軍事介入し多くの犠牲者が出た。今でも、双方ともに心の傷が癒えたとはいえない。

民族融和をテーマにしたこの番組制作は、JICA(国際協力機構)のプロジェクトの一環としてNHK財団がRTKを支援しているもので、NHK出身のプロデューサーたちがエルシンたち制作チームと企画段階から議論を重ねてきた。

エルシンは、アルバニア語とセルビア語の両方を話すが、民族としては「トルコ人」だ。オスマントルコ帝国からこの地にやってきた移住者の子孫にあたるという。 「1999年、おれは10歳だった」と、エルシンが語りだした。「今でも忘れない。ある日、オヤジが青膨れの顔で帰ってきた。セルビア警察に襲われたんだ。ダーク・ブルーの制服を着た警察官たちは難癖をつけて家の中まで押し入ってきた。そしたら、近所のセルビア人のおばさんたちが駆けつけてきて、やつらを押し返してくれた。民族が違っても家族のようなつきあいだったから。戦火が起きて、おれたち家族はコソボから逃げ出したけど、戦争が終わるとまた戻ってきた」

プリシュティナの路地

遠い記憶がよぎった。1999年、当時NHK特派員だったわたしは取材のためにイギリス軍に従軍してマケドニアからコソボに入った。プリシュティナの街には焦げた匂いがたちこめ、住宅やアパートが焼かれていた。郊外に行くと、虐殺の村があった。なぜこんな悲惨なことが起きてしまったのか、立ちすくんだ。

チェバブが運ばれてくると、エルシンが女子サッカーの番組に話を戻した。
「いろんな経験をしてきたから、大丈夫。ギブアップはしない」。取材継続に向け、事情に詳しいセルビア人コーチと話し合いをすることになったという。なんとかして壁を乗り越えようとしている。

感慨がこみあげた。絶望を目の前にしてから四半世紀が過ぎ、こんなカッコいいジャーナリストに出会えるなんて。ラキで再び乾杯した。

(文・絵/NHK財団 国際事業本部 山本浩)