武力衝突が続く南スーダンの放送局にNHKのノウハウを伝え、公共放送としての基盤をつくる——NHK財団がJICA・国際協力機構の委託を受けて実施してきた取り組みが2025年11月下旬に終了した。
業務調整役として現地活動を支えた立場から、4年間の活動を振り返る。
(取材・文/NHK財団 国際事業本部 永冨 武司)
「世界で最も新しい国」に誕生した公共放送局
南スーダンはアフリカ大陸の北東に位置し、東西南北をスーダンやエチオピア、ケニアなどと国境を接する内陸国だ。2011年にスーダン共和国の南部10州が分離独立してできた、国際連合が承認する世界で最も新しい国である。

南スーダン放送局(SSBC)は、独立後の2016年に国営放送局から公共放送局へ転換したばかり。国内唯一のTV放送局でもあるSSBCが公共放送として果たす役割は非常に重要である。
2021年、NHKインターナショナル(当時・現NHK財団)はJICAの委託を受け、「南スーダン放送局組織能力強化プロジェクト」を発足させた。これは、NHKのノウハウをSSBCに伝え、 報道、番組制作、放送機材の自律的な運営維持管理能力を向上、公共放送としての基盤づくりを支援する事業である。
私は運営資金の管理や物資調達などロジスティクスを担当する業務調整役として9名のメンバーに加わり、現地活動を支えることになった。
私たちは2022年4月、コロナ禍での煩わしいPCR検査を経て首都ジュバに入り、40度の暑さと湿気に包まれながら活動を開始した。2013年にキール大統領派とマシャール第一副大統領派の武力衝突が勃発して以降、治安は不安定で、日本人は午後6時から翌朝6時まで外出禁止。日中も宿舎とSSBC以外への外出は制限され、移動はすべて防弾車だった。銃声を聞くこともあり、マラリアや食中毒にも常に注意を払う必要があった。

防弾車で買い出し ゼロからのスタート
最初の仕事は、事務所を支えてくれる南スーダン人スタッフ4人との顔合わせだった。事務所運営資金の管理、物資調達、衛生管理、SSBCとの連絡調整など、彼らは事務所を支える重要な存在だ。
まず取り掛かったのは専門家たちが事務所で働く環境づくりで、防弾車で街に出て大型テレビや複合機などを相見積もりし、粘り強く価格交渉を行った。時には「ここでテレビを買え。そして俺の娘を日本に連れて帰れ」と冗談を交えつつ、甘くて熱い紅茶を御馳走してくれる店主もいて、炎天下での調達で体力を消耗する中、このひと時が私を救ってくれた。

続いて着手したのがSSBCが強く望んでいたインターネット環境の整備だった。職員はこれまで個人の携帯電話回線で原稿や映像を送っていることを知り、驚いた。事務所のインターネット回線を、ニュース・番組・ラジオ部門にも分岐することを決めたが、50人もの職員と共用しては回線速度が低下する。各部門長から私的利用を控えるよう職員に伝えてもらい、ようやく安定してきたと思った矢先、会長から「出頭せよ」との連絡が入った。
労いの言葉が待っているのかと思いきや、「回線敷設には正式な伺い書が必要だ」と厳しく指摘された。熱心に依頼してきたニュース部長も会長の前では沈黙。ここは南スーダン、”手順”が何より重んじられる国なのだと痛感した。後日改めて伺い書を提出した先は放送局内の検閲部署で、放送の民主化がほど遠いことも実感した。

治安悪化で南スーダンへの渡航は禁止 最後はナイロビ(ケニア)で
今年3月、国連のヘリコプターが武力勢力から攻撃され、国連職員など複数名が亡くなる事件が起きた。この新たな治安悪化によって日本人の南スーダンへの渡航が全面禁止となり、私たちの活動はウガンダ、ルワンダ、ケニアでの第三国研修へと切り替わった。
私は、締めくくりとなるナイロビでの合同調整委員会の準備を担当することになった。だが、現地に到着してみると予約していた会場は写真と異なり老朽化が激しく、通信環境も不安定。急遽近くの新しいホテルに駆け込み、対面で価格交渉し、会場を押さえ直した。このような場合は笑顔で粘り強く交渉することが良い。南スーダンで経験したことがここでも役に立った。

こうして11月28日、誰一人事故に遭うことなくプロジェクトは無事完了した。何度も壁にぶつかりながらも、笑顔と工夫で乗り越えた4年間だった。
プロジェクト完了を南スーダンで迎えることが出来なかったことは残念だが、いつの日かまたこの国へ足を運び支援事業に携わりたい。お互いに笑顔で過ごせる本当の民主化が実現する日がやってくることを願って。
(取材・文/NHK財団 国際事業本部 永冨 武司)