
テレビを愛してやまない、吉田潮さんの不定期コラム「吉田潮の偏愛テレビ評」の中で、月に1~2回程度、大河ドラマ「べらぼう」について、偏愛たっぷりに語っていただきます。その第7回。
田沼家の悲劇、とうとう起きましたね。田沼家嫡男の意知(宮沢氷魚)は帰らぬ人に……。因果応報だけではなかった、仕掛けられた罠は鳥肌モノ。悪意ある情報操作によって、すっかり田沼憎しの凶行に走ってしまった佐野善左衛門政言(矢本悠馬)。暗躍したあいつ、そういえば平賀源内(安田顕)をだまくらかしてたぶらかしたのもあいつ。丈右衛門→丈右衛門だった男と役名が変わったが、神出鬼没で真の姿が見えてこない謎の男を演じたのは矢野聖人である。
盛られる側から謀る&たぶらかす側へ

矢野は2020年の大河「麒麟がくる」で美濃守護・土岐頼純を演じた。頼純は帰蝶(川口春奈)の最初の夫、美濃の斉藤道三(本木雅弘)にとっては娘婿である。織田勢が美濃を攻めてきたとき、鎧兜をつけず戦に出ようともしなかった夫を帰蝶はなじる。実は、頼純は道三に根の深い恨みをもち、昵懇である織田信秀(高橋克典)と裏で通じて取引をしていたことが発覚。
すべてお見通しだった道三に逆ギレした頼純は、道三の父を「身分卑しき油売り」、道三を「成り上がりもの」「マムシ」と罵る。もういかにも矮小で卑怯な男を体現した矢野。憎悪に血走った眼でにらみつけて苛立つ姿、その割に茶に毒を盛られて、道三が歌を歌う間に爆速で絶命という、なんとも惨めな姿が記憶に残っている。冒頭も冒頭、第二回で死ぬ役だったのよね。

今回、矢野の役どころは神出鬼没の隠密的な存在。人を殺める汚れ仕事はもちろんのこと、姿かたちを変えて町中に潜んだり、あるいは幕府内の行事にすっと入り込んだり。田沼家に取り入ろうとしたがちっとも報われなかった佐野に、しれっと近づき、意知に関するデマを耳打ちする姿の悪質さには震えた。また、意知の葬列に向かって、町民のふりをして罵声を浴びせ石を投げたのも、この男のしわざ。町中で田沼憎しの空気感を作り出したのも、この男では? と思わせるほど。悪意に満ちた虚偽情報や噂話を拡散したり、群集心理を刺激したりもする。デマゴーグ&アジテーターとして大活躍、もとい暗躍していた。
胡散臭い男をなぜ信じる? たったひと言のヤジになぜ同調してしまう? 昨今の選挙でも、SNSで熱烈支持の声が拡散されて大きなうねりとなったが、実はボットのしわざだったとする報道もあった。米の価格高騰に群集心理を操る政治、令和の今と奇妙なまでに符合する森下佳子脚本に改めて感心しちゃう。何年も前に立ち上げた企画なのにね。
ともあれ、時に気配を消し、時に悪意をまき散らして、印象や情報を作為的に操作する「鳥肌ヒール」を演じる矢野に拍手を。隠密的な役柄といえば、主演ドラマ「よろず屋ジョニー」(2015年・フジ系)もそうだった。矢野が演じるのは、小型カメラを駆使して、いわば覗きで些末な人間トラブルを解決するジョニー。天涯孤独だったが、ボス(佐野史郎)に拾われて以来、指令通りに動いてきたという……。

こっちのボスは超私的かつ牧歌的なオーダーだが、「べらぼう」のボスは極悪非道だからなぁ。意知が亡くなったという知らせを聞いて、まるで他人事のように聞き流して、のんびりカステラ食ってたし。生田斗真演じる一橋治済の話ね。
仇を討つ! 名探偵・蔦重の推理

さて、丈右衛門の悪意に満ちた言動に気づいた人間がいる。われらが蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)である。殺された被害者は意知なのに、殺した加害者である佐野がまるで英雄かのように語られていく町の空気に、違和感を覚える蔦重。町にあふれる物乞いたち(これもおそらく影の者たち)が佐野を称える歌を口ずさむ。浅間山が噴火したのも米の値が高騰したのも田沼のせい、とこじつけられてきたが、今度は佐野のおかげで米の値が下がった、庶民の生活を救ってくれたと喧伝されていく、空気のおそろしさ。

蔦重は「佐野世直し大明神墓所」と掲げたのぼりを担ぐ男を見かける。丈右衛門だった男、だ。大工の格好だったはずが、浪人風情の出で立ち。怪しいと踏んだ蔦重は、源内が遺した戯作「死を呼ぶ手袋」の七ツ星の龍を思い出す。「田沼を悪者に仕立て上げた奴、裏で糸を引いている者がいる!」ってことで、田沼意次(渡辺謙)のもとへ走る蔦重。名探偵然とした蔦重に思わず「グッジョブ!」と叫ぶ。

嫡男を失った悲しみに暮れ、自責の念に苦しんで老け込んでいた意次だったが、蔦重の仇討ち直談判で覚醒(眼に光が戻る様子を渡辺が見事に表現)。息子が手掛けていた蝦夷の一件をやり遂げることこそ、仇討ちと立ち上がる。
ちょっとホッとしたのは、まるで手掛かりがないわけではなく、意次の側近である三浦庄司(原田泰造)も、丈右衛門と名乗る男に辿り着いていた点だ。

また、城内で一橋とすれ違った意次が一瞬鋭い殺気を放ち、刀に手をやりながらも抑え込んだところから、仇は一橋とわかっているようだ。お悔みのふりをして嫌味を放つ一橋に、「(息子の)志は無敵にございます」と笑顔で宣戦布告する意次。やられっぱなしの田沼家、復讐の幕開けである。
残酷な対比映像にすっかりKOされた

第27回・28回の映像には唸った。意知暗殺に至るまでの経緯、心情描写が丁寧に描かれていたからだ。佐野家の家宝で誇りの桜が田沼家に蔑ろにされた背景を活かし、悲劇のモチーフは桜。上り調子で権力を手にする田沼家と、すべてがうまくいかない佐野家の対比の象徴でもあり。
意知暗殺の凶行を決意する佐野の不気味なくらい静かな表情。斬りかかられて瀕死の状態で這う意知の無念な表情。一方、意知からの身請けが叶う喜びで幸せの絶頂にいる誰袖(福原遥)の希望に満ちた顔。同時進行の残酷な対比を交互に見せていくことで、観る者をじわじわと浸食していき、胸に迫るものがあった。桜の木の下で、希望を抱く者と絶望する者の結末はなかなかにむごかった……。
さーて、来週の蔦重は、筆より重い物はもちつけない蔦重なりの仇討ちを思いついた様子。手拭合を使って何を仕掛けることやら。予告では「ひょんなことから」の連発だったので、朗らかで楽しげな仇討ちを期待しちゃう。意次も老体に鞭打って仇討ちを完遂してほしいところだ。
ライター・コラムニスト・イラストレーター
1972年生まれ。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業。健康誌や女性誌の編集を経て、2001年よりフリーランスライターに。週刊新潮、東京新聞、プレジデントオンライン、kufuraなどで主にテレビコラムを連載・寄稿。NHKの「ドキュメント72時間」の番組紹介イラストコラム「読む72時間」(旧TwitterのX)や、「聴く72時間」(Spotify)を担当。著書に『くさらないイケメン図鑑』、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか?』、『ふがいないきょうだいに困ってる』など。テレビは1台、ハードディスク2台(全録)、BSも含めて毎クールのドラマを偏執的に視聴している。