ドラマの出演者やスタッフが「この回のあの人、あのシーン」について語ったコメントを不定期で配信するコーナー。最終回は、脚本家の森下佳子さんから!


森下佳子さんの最終回振り返り

——最終回にはどのような思いを込めましたか?

“写楽絵”が終わった後のつたじゅう(横浜流星)は、本居宣長もとおりのりなが(北村一輝)に会いに行って著書を出版したり、きょくていきん(滝沢きち/津田健次郎)に初めて読本よみほんを書かせたりしています。そして、それらを地方に流通させたりもしていて……。祭りが終わって日常に戻った晩年、蔦重はそれまで置き去りにしてきたことに向き合ったんですね。その姿を描きたいな、と前半を費やしました。

——終盤では蔦重の最後の日が丹念に描かれました。

宿屋やどやの飯盛めしもり(又吉直樹)が(東京・台東区のしょうほうにある)蔦重の墓碑銘に臨終の様子を残しているんですが、そこに描かれた蔦重の死にざまが面白くて、そこに向かって走ろうと書きました。

「ホンマかいな」という内容なんです。「俺は今日の昼に死ぬ」と言い出して、死んだ後の店のことなどを全部言伝ことづてしたところ、正午になってもお迎えが来なくて……という最期なんです。夕方まで生きていたそうなんですけど、照れくさそうに笑ったとも書かれていて(笑)。すごく蔦重らしい死に方だなと思いました。狂歌師が書いたことなので、墓碑銘も戯作なのかもしれませんが、そこは乗せられてもいいかなと。

蔦重の死に方について話した時、横浜さんが「いいな、俺そんな風に死にたいっすね」って言いました。台本を書き終えた今、私も「蔦重みたいに死ねたらいいな」って思います。理想の臨終です。

——蔦重について、脚本を書き終えた今どのように感じていますか?

最初は「ただの本屋のおっちゃんが脚気かっけになって畳の上で死んだ」なんて言っていましたが、思ったより蔦重の人生は山あり谷ありでした。ごめん、蔦重の大変さは、あの時の私は分かっていなかったね、と今は思っています(笑)。

——改めて、森下さんが「べらぼう」を通じて伝えたかったことは何ですか。

蔦重は黄表紙や錦絵を作って、流通網を整えて江戸から地方に広めるなどの功績を残していますけど、大きな意味では「笑いを届けた人」だったと思います。

「笑い」は不謹慎な側面もあるので、生活するなかでは「笑っちゃいけないんじゃないか」という場面がいっぱいありますし、笑うことがどんどんしんどい世の中になってきているとも思います。そんな時代に、笑いを届けた蔦重の存在は、とても大事で、尊いものだと感じます。財産を召し上げられても、仲間が死んでも、ふざけきった蔦重の生きは、天晴あっぱれだったと思います。