脚気かっけになって畳の上で亡くなる本屋のおっちゃんの話で何を描くのだろうと思った」と語っていた森下佳子の脚本は、江戸の出版や文化の潮流を描くだけでなく、当時の政治や社会状況をも取り込んで大きく豊かな物語となった。感動的なフィナーレを迎えた「べらぼう」に、演出としてどのように向き合ったのか。チーフ演出の大原拓ディレクターに語ってもらった。


生田斗真さんの芝居には、いろいろ想像できる余白がある。芋を食べているだけで悪そうに見える人もなかなかいません(笑)

——最終回、護送される一橋治済はるさだ(生田斗真)が逃走したかと思ったら、雷が落ちて絶命する壮絶な展開となりました。あのシーンはどのように?

あのシーンは、生田さんに「手足を縛られて、猿轡さるぐつわもされた状態で、どうやって逃げますか」と相談して、殺陣師たてしも交えながら一連の動きを決めました。治済は追い込まれれば追い込まれるほど楽しくなる男なので、「視聴者にこれから治済の逆襲が始まるように見えるといいよね」と話しながら。

最後のセリフの「待っておれよ、傀儡くぐつども」をどこに向かって言うかについても、やはり天に向かって言うんだろうなと。家治いえはる(眞島秀和)に「天は見ておるぞ」と言わせたり、森下(佳子)さんの脚本は「天」というものを意識していたので。

本来なら、雷は天に向けた刀に落ちるんでしょうけど、「天罰が下った」という象徴的な作りにしたくて、稲妻が治済の脳天に落ちる演出にしました。

——生田さんの演技について、どのようにお感じになられていますか?

演出していて印象的なのは、生田さんは常に泰然自若としているところです。何をするにも動じず、そして変な癖を出さない。だから、視聴者がいろいろ想像できる余白があるんですね。芋を食べているだけで悪そうに見える人もなかなか他にいません(笑)。そんなキャラクターづくりをしていただきました。だから、演出部全体で「やりすぎないようにしよう」とだけは話し合ってきました。

——絶命した治済の亡骸なきがらを見つめる男は平賀源内げんない(安田顕)の後ろ姿のようにも見えました。また、長谷川平蔵へいぞう(中村隼人)に連れられて、つたじゅう(横浜流星)は駕籠かご屋の女将おかみを見に行きますが、あの女将も瀬川せがわ(小芝風花)でしょう。ふたりの顔を見せなかった理由は何ですか?

治済の亡骸の前にたたずむ男については、誰かが見た光景ではなく、蜂須賀はちすか家からの報告を受けた蔦重のイメージです。また、駕籠屋を見に行く場面では、女将の姿を見ている蔦重と平蔵の顔が大事だと思って、ふたりの芝居に焦点を当てて撮りました。ふたりの表情をとおして、女将の姿を想像してもらえたら、と。

——森下さんの脚本は、“死を呼ぶ手袋”のように伏線のフリから回収までが長いですが、演出するうえで気をつけたことはありますか?

フリになりすぎないように気をつけました。伏線はあくまでも伏線なので、役者さんにはその時点での情報で芝居をしてもらうよう意識していて……。だから、事件の真相がどうなのか、詳細については一切説明していません。あまり先々のことを知りすぎると、どうしても後付けのお芝居になってしまいますから。

——治済は能面を見るお芝居がよくありましたが、あの演出意図は?

一橋家の屋敷に立派な能舞台を作って、治済自身が能楽を好んでいたのは史実です。能面は、表情がわからない、別な人物に化けられる、そして異形のものにさえなれるものです。見ている人の想像が膨らむ小道具として使っています。治済がただおもてを見ているだけなのに、視聴者はその裏を考えてくれる。そんな効果も狙っています。

治済が面をつけるときの表情と、斎藤十郎じゅうろう兵衛べえ(生田斗真・二役)では表情が全然違います。十郎兵衛は能役者と言ってもワキ方で、面を着けることはありません。だから、シテ役の立派な面を手にした時の喜びがプラスされているんです。


脚気になった蔦重を表現するため、横浜流星さんはボクサーのように水断ちまでして体重を落としてこられました

——蔦重役の横浜流星さんについてお聞かせください。前半と後半で変わったこと、変わらなかったことはありますか?

役に対するストイックさは、最初から最後まで変わりませんでしたね。変わったところで言えば、若い頃は人にぶつけていたものを、年をとるにつれて周りから受け止めていく形に表現を変えてくれました。

ひとりの人間を老いるまで演じるのは初めての経験ということもあって、成功者ゆえの傲慢さ、ある種の“老害感”をどう表現していくかについては悩まれていた部分もあります。でも、そこを咀嚼そしゃくして、良い方向に答えを見つけてくれたように思います。

——最終盤では蔦重がかなり弱っていました。あれはどのように?

蔦重が脚気で亡くなることは最初にお伝えしていて、お医者さんから取材したメモも渡していました。どのような症状が出て、どのように弱っていくのか。それを基に、横浜さんは収録の終盤、食事断ちだけでなく水断ちまでして、それこそボクサーのように体重を落としてこられました。収録期間としては病になって1週間、2週間で表現しなくてはいけなかったものですから……。顎のラインや胸元を見てください。最後の方は骨が浮いています。

どんな体勢で最期を迎えようかということも話し合いました。寝たきりは嫌だよねと、おていさん(橋本愛)や次郎兵衛じろべえ兄さん(中村蒼)に支えられる形になったんですけど、実はあの姿勢が大変なんだそうです。脚気になると両脚に力が入らないと聞いて、それを表現するために脚の力を抜いて腰だけで前に置かれた脇息きょうそくに寄りかかっているんです。だから、だんだん腰がしびれてきて、「やばい、腰がもたない」と言っていました。

弱った声の出し方なども研究されていて、自分のイメージをしっかり固めたうえで演じる横浜さんの取り組み方には、本当に頭の下がる思いがします。

——最後の蔦重とていとの別れのシーンも感動的でした。

あのシーンは、おていさんの視点で見られるのが良いですよね。横浜さんと橋本さんふたりの空気感から、“残される奥さん”の視点がより際立って……。ふたりが話している時間が、ふたりが歩んできた時間のように見えてくるんです。だから、ふたりの空気感をきっちり撮りたいと思って、ツーショットを大切に撮りました。


歌麿が蔦重に「なら死ぬな」と言いながら肩を叩くシーンは、ふたりの紆余曲折が凝縮した大事なシーンと思って撮りました

——最後にみんなで“踊り”をするところで、出演者の反応はどうでしたか?

初参戦の方も多くて、風間(俊介/つる右衛もん役)さんは「踊りたかった」と喜んでいましたし、飯島(直子/ふじ役)さんは「どうすればいいの?」と不安そうでした。「適当でいいですよ」と伝えたところ、桐谷(健太/大田南畝なんぽ役)さんたちベテラン勢の振りを見様みよう見真似みまねで挑んでいました。

演出としてはただ一つ「蔦重を見ながら踊ってください」とだけ注文をつけました。今までは楽しむための“屁踊り”でしたが、今回は蔦重をあの世から引き戻すための“屁踊り”なので、楽しまないでくださいと。

——大原さんが最終回で好きなシーンを一つあげるとしたら、どのシーンですか?

歌麿うたまろ(染谷将太)が山姥やまんばの絵を描いて蔦重に会いにくるシーンです。唐丸からまる時代からずっと続いてきたふたりの関係性の集大成という感じでもありますし。

あのシーンでは、ふたりに「死に向かわないでほしい」ということだけを伝えました。死を意識すると悲しいだけだし、死を間近にした人に暗い顔で「死ぬな」なんて言いませんから。そういった優しさを一番持っているのが歌麿なわけで、それを表現してほしいと。そうして出てきたのが、歌麿が「なら死ぬな」って言いながら蔦重の肩をポンと叩くお芝居なんです。

——これまでは、蔦重が歌麿を励ますときに何度となく肩を叩いていましたね。

それを今度は歌麿が蔦重に対してやるという……。「麒麟がくる」(2020年)でもご一緒したので、染谷さんに対しては絶対的な信頼感を持っているんですけど、ああいう表現をなさるんですよね。それを受ける横浜さんも、その意味と思いをわかっていて、歌麿の優しさにグッとくる蔦重の表情、受け止め方は今までとはまったく違うものでした。

蔦重と歌麿との関係は第1回からこの作品を貫くものです。これまでのふたりの紆余うよ曲折きょくせつが凝縮したとても大事なシーン。最終回のピークだと思って撮りました。大好きなシーンです。