ドラマの出演者やスタッフが「この回のあの人、あのシーン」について語ったコメントを不定期で配信するコーナー。今回は、柳井嵩役の北村匠海さんから、第120回の振り返りをご紹介!
北村匠海さん振り返り

――第1回の冒頭と同じようなシーンで、嵩が『あんぱんまん』の絵を描き上げていましたが、放送前の会見で北村さんは「やがて演じることになる未来の自分たちにどう道筋を作っていくかを考えた」と話されていました。ここまで嵩を演じてきてのアンパンマン誕生、どんな心境になりましたか?
第1回のシーンは、自分としては、正直“博打”でした。先々のことが分からない状態で、先にゴールに近い自分を作ってしまうので。新しい台本が中園ミホさんから届くたびに、改めて「これからどうしようか?」と、自分の中で考えながらやっていました。

冒頭のシーンは、やなせたかしさんを模倣する、明確にトレースするところが大きかったかもしれないですね。そこにしか答えがなかったので。
でも、120回まで演じて「ようやく、ここにたどり着いたんだ」と思いながら『アンパンマン』を見ると、あのときとは全く感覚が違いました。それはなぜかと考えると、僕がやなせたかしとして生きたのではなく、柳井嵩として生きたからなんです。
やなせさんが成してきたことや生んできた作品、そしてやなせさんが残した言葉は、寛伯父さん(竹野内豊)やヤムさん(屋村草吉/阿部サダヲ)のセリフに取り込まれています。だから、柳井嵩という人物が、それをいかに自分のものにしていくか、その過程が大事だと考えました。

今の嵩を見ていただくとわかるとおり、嵩はやなせさんをモデルにしていますが、生き方は違います。本当にこんな「たっすい」な人物だったのかと思うと、やなせさんに申し訳ないと思う瞬間もあります。でもドラマが進むにつれて、やなせさんではなく柳井嵩であるという意識が自分の中で強くなって、そういう瞬間が垣間見える嵩でありたい、と思うようになったというのが正直なところです。
――この年代の嵩を演じるうえでの工夫などはありますか?
中年になってからは、少しずつドラマの冒頭(第1回)で演じた嵩の目というか、やなせさんの笑い方をずっとマネするようにしています。戦争の時代はまた別物でしたが、嵩の目というのを僕はすごく意識していて、年を重ねて目が少しずつ座ってくるような芝居にしています。声のトーンとか姿勢とかもしかりですけれど、うまくいけばいいなと思いながら、少しずつ哀愁が漂うようにしました。

――そのうえでドラマ冒頭のシーンを再度演じられた、ということですね?
第1回のシーンは、実は年代設定が決まっていませんでした。あれが嵩の何歳にあたるのかという時系列的なことと、演じている風貌が多少ずれていて。あの老けメーク、ちょっとやりすぎてしまったところがあって(笑)。あのメークが登場するのは、もう少し先になります。第1回のシーンは、ある意味、僕たち「あんぱん」チームの覚悟を示すシーンで、ここまでやり切るんだということを、まず視聴者の皆様にお伝えしたい、という決意表明のような描写だったんです。
なので、そこをリアルに落とし込むために、もう1回撮影することになりました。顔の角度も違うし、全く同じシーンではないことに気づいていただけたと思いますが、第1回でやなせさんを感じながらやったお芝居の根っこは同じような感覚でした。ニュアンスが難しいですが、やはり根として生えているのはやなせたかしさんのイズムであって、ただ柳井嵩として育ってきたのは、違う花だったり、違う草木だったんだな、という感じですね。