浅田次郎さんの原作小説『母の待つ里』を読んだとき、「これはテレビドラマではなく、映画向きの感動作かな」と感じていました。さらに「もし映画ではなくドラマ化するとしたらNHK。中高年層がメインの物語だけにBSかもしれない」と思っていたら、何と1年前の夏にNHK BSで放送。そして現在、総合テレビの土曜21時台でも放送されています。

最初に映画向きと感じたのは、「連ドラよりも2時間超の映画としてフィットしそうな物語」「有料の上質な感動作としてベテランの名優が集まりそう」だから。実際にドラマを見てみると、浅田次郎さんの虚実皮膜をゆくような世界観が見事に映像化され、しかも全4話の連ドラ(計3時間)が過不足なくまとまっていて、「これはすべての日本人に見てほしい作品」と思わされたのです。

こんなことを書くのもおかしな話ですが、「できればこのコラムを読まず、先入観のない状態で全4話を見てほしい」のが本音であり、そう感じてしまうほど起承転結の構成に優れた作品でした。ではどんなところが優れているのでしょうか。


母と故郷への思いが募っていく理由

まず第1話のあらすじを簡単にあげておきましょう。

食品メーカー社長の松永徹(中井貴一)は40年ぶりに故郷へ里帰り。記憶をたどりながら実家に着くと、母(宮本信子)は笑顔で迎えてくれた。うれしそうに何かと世話を焼いてくれる母と懐かしい料理、風呂、昔話に徹は安らぎを感じる。しかし、なぜか彼は母の名前が思い出せなかった。

さらに実母を亡くした医師の古賀夏生(松嶋菜々子)、妻から離婚を告げられた室田精一(佐々木蔵之介)も、自分の居場所を求めるように“同じ母”が待つ故郷へ向かう……。

第1話の途中、母と故郷は年会費35万円の「アーバニアンカードプレミアムクラブ」による1泊2日50万円の「ホームタウンサービス」であることが明かされました。しかしそれでも徹はサービスをリピートするなど、母と故郷を求める気持ちが高まっていきます。

その背景として描かれたのは都会での孤独。徹が信頼を寄せる秘書に「(自分が発言すると部下たちが)軽い冗談までメモに取る。水を打ったように静かでひとり言を言っているような気になる。私の言葉が通じているのか、私のことは見えているのか」「登ってみたら山の頂上は酸素が薄くて誰もいない」などと孤独を訴えるシーンがありました。

加えて東京生まれの徹には故郷がなく、母親は30年前に亡くなり、仕事に励んでいたため未婚。だからなのか、秘書と東京で食べる洗練されたディナーには興味を示さず、故郷の母が作った郷土料理を求めるようになっていきました。

その孤独は、認知症で遠ざけていた母に先立たれたばかりの夏生と、妻に離婚を突きつけられた精一も同様。子どもとして迎えてくれ、身も心も満たしてくれる母と故郷への思いが募っていく心情が丁寧に描かれています。

原作者の浅田さん自身、「都会で生まれ育った私には故郷がありません」と語っていたように同様の思いを抱える人は多く、徹のように人生の終わりが見えはじめたころに寂しさを感じるのかもしれません。


感動を誘う母のかけがえのない嘘

冒頭に「起承転結の構成に優れた作品」と書きましたが、当作は「○○ドラマ」というジャンルではくくれない多様な構成が魅力の1つとなっています。

第1話は「なぜ主人公は母親の名前がわからないのか?」という違和感からはじまるファンタジーかつミステリーとしてスタートし、第2話はそれがサービスであることがわかった上で母子関係をクローズアップしたヒューマン作の要素がアップ。第3話、第4話ではまた別の要素が生まれ、クライマックスまでさまざまな要素で楽しむことができます。

入口は「ファンタジーではないか」と思わせておいて、話が進むたびにリアリティが増し、その結果、人間ドラマの色合いが濃くなっていく。すると視聴者は徹、夏生、精一、ちよへの感情移入が進むとともに、自分の人生について考えさせられ、「自分もあの故郷に行ってみたい」「ちよに会いたい」と思いはじめる。特に日常で孤独や老いを感じている人には、身につまされる作品と言っていいでしょう。

そして第3話、第4話に向けて大きなテーマとなっていくのが、「ちよは何者なのか」という母の正体。制作サイドが「ねぇ、母さん。あなたは誰ですか?」というキャッチコピーを掲げているように、実質的な主人公はちよであり、その秘密が明かされていくことで感動の結末に向かっていきます。

そもそも、なぜちよの言葉や振る舞いはこれほど3人と視聴者の心に響くのか。第1話でカード会社の指示通り演じきれないちよの姿を見た徹が「この人は隠しごとができないのだ。そういう人たちが演ずるうそはかけがえのないものに思われた」と癒されるシーンがありました。

そんな、ちよの“かけがえのない嘘”は夏生に対しても同様。カード会社に叱られることを覚悟で会ったばかりの彼女に「ご愁傷様です」と言葉をかけ、帰りも空港まで見送り「一人身のおなごは銭っこだけが頼みだかんな」と心配したシーンが感動を誘いました。

徹も夏生も視聴者も、ちよの優しさと温もりに魅了されていますが、夢のような時間には必ず終わりが来るもの。サービスの状況が変わったとき、あるいは、ちよの秘密を知ったとき、彼らは何を感じ、どんな行動を取るのか。富裕層向けの最先端ビジネスとは真逆の普遍性を感じさせられるラストが期待できそうです。


宮本信子が故郷の母親像を体現

さらにもう1つ、当作を語る上で絶対に外せないのが、宮本信子さんの演技。これぞ誰が見てもすごい演技であり、失礼ながら「80歳になった今、代表作がまた1つ増えたのでは」と感じさせられました。

血のつながりがないことをわかっているのに、3人の母親にも見える。宮本信子とわかっているのに自分の母親を重ねてしまう。なまりの強い方言を筆頭に料理、風呂き、畑仕事など、すべての振る舞いが日本人の思い浮かべる故郷の母親像そのものであり、それを見るだけでも当作の価値はあるように思えます。

なかでも、ちよが徹にかけた「(都会で多くの人々に囲まれて仕事に励む)おめたちのほうが、(田舎で一人暮らしの)おらよりずっと寂しいのではねえか」という言葉は説得力で満ちていました。

全編を通して感じられる優しさと温かさは宮本さんの演技によるところが大きく、「1か月間ロケを行った」という岩手県遠野市のロケーションにもフィット。ちよの姿を通して「家族や血のつながりとは何か」「人は豪華な宿と料理があれば幸せなのか」などを問いかけています。

同様に制作サイドの仕事も光っていました。東京から遠く離れた遠野で長期撮影を行い、各シーンのロケーションにこだわったほか、郷土料理からシャンプーや入浴剤などの細部まで古き良き日本の里山にこだわった映像は説得力十分。さらにジオラマや文楽などの視覚的な工夫もあって、リアルとファンタジーの間をゆくような世界観を作り上げました。

「徹がちよに自社のハンバーグを振る舞う」「空港で夏生がちよに再会を誓う」などの名シーンも多いだけに、まだ見ていない人はオンデマンドで第1話からの視聴をすすめたいと思います。

コラムニスト、テレビ・ドラマ解説者、タレント専門インタビュアー。雑誌やウェブに月20本以上のコラムを提供するほか、『週刊フジテレビ批評』『どーも、NHK』などに出演。各局の番組に情報提供も行い、取材歴2000人超のタレント専門インタビュアーでもある。全国放送のドラマは毎クール全作品を視聴。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』など。

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