直(演:白石聖)が亡くなったショックも冷めやらぬ中、今回は、小一郎長秀(のちの豊臣秀長 演:仲野太賀)と藤吉郎秀吉(演:池松壮亮)兄弟が、竹中半兵衛重治(演:菅田将暉)を訪ねていました。
竹中半兵衛といえば、秀吉配下でも有名な武将の1人でしょう。もともとは美濃の斎藤家の家臣で、父の代から、菩提山城(現在の岐阜県不破郡垂井町に所在)を本拠としていました。

半兵衛が亡くなった直後に描かれた肖像画(上画像 原本:岐阜関ケ原古戦場記念館蔵)があります。その上部の賛には、おおよそ次のように書かれています(現代語要約)。
半兵衛は泰然自若とした優れた人物で、腰に名刀を帯び、戦争が起きれば両手に摩尼宝珠と扇を持って戦い(肖像画でも持っていますね)、故郷を離れ閑居する中でも志を失うことはなかった。よく主君に諫言し、危機への備えを怠らず、学問を修め、禅に励み、名声は広く知られているが、名誉に執着せず、心のままに生きた。
また一番左の行に見えるように法名は「深龍水徹居士」といいます(この肖像画の賛は、顔の向きに合わせて左から読みます)。ドラマの爽やかな衣はこの法名からのイメージでしょうか。
ところで長秀たちが半兵衛の許に向かう道中で、半兵衛が以前に斎藤龍興(演:濱田龍臣)の本拠・稲葉山城(現在の岐阜県岐阜市に所在)をたった数人で落とした、と語りあっていました。これは永禄7年(1564)2月に起きた事件です。

半兵衛は舅の安藤守就(演:田中哲司)とともに稲葉山城を攻略し、龍興らを追い出しました。半兵衛たちの稲葉山城占拠はしばらく続きましたが、同じ年10月ごろには、龍興が稲葉山城に戻っています。その間にどのようなことがあったのか、経緯は不明です。しかし半兵衛・守就が厳しく処罰された様子はなく、守就の息子はその後、龍興の重臣に加わっています。
ということは、半兵衛たちは龍興軍に敗北したわけではなく、何らかの交渉が成立したと推測されます。今週登場した半兵衛は、この事件の後、ひっそりと暮らしている状況でしょう。
さらに、なぜ半兵衛が龍興に謀反を起こしたのかもわかっていません。後世になると、この事件は半兵衛が、暗愚な主君・龍興を戒めるために起こしたというように、半兵衛の忠義と優れた知略を示す事件と語られるようになりました。しかし、おそらくは家中の意見の対立による謀反かと思われます。
そして龍興は、半兵衛たちから稲葉山城を取り戻したとはいえ、その権威に大きなダメージを受けました。加えて、これまでのドラマでも描かれていたように、織田信長(演:小栗旬)の美濃調略は着々と進められています。そうした中で、半兵衛も信長に従うようになり、秀吉の配下に付けられました。

半兵衛を味方にするには「三顧の礼」では足りなかった!?
秀吉の“頼もしい軍師”となった半兵衛に関しては、江戸時代にいろいろな逸話が創られました。
例えば、ドラマの半兵衛は、秀吉に「三顧の礼」を求めていました。「三顧の礼」とは、『三国志』に見える有名な故事で、中国の蜀の武将・劉備が軍師として名高い諸葛孔明を自軍に迎えたいと切望し、彼の庵を三たび訪れた末に、ついに望みをかなえたというものです。この故事にならって、ということでしょう。
秀吉の活躍を題材とする物語類(太閤物と総称されます)では、秀吉が半兵衛をあの手この手で説得して、味方とする場面が一つの見せ場になっているようです。「三顧の礼」にならい、繰り返し半兵衛の許に通うのも一つのパターンです。吉川英治の歴史小説『新書太閤記』では、秀吉が半兵衛に会えたのは、なんと10度目の訪問でした。劉備の3倍以上ですね。

また江戸時代中期の『絵本太閤記』には、信長軍が稲葉山城を落とした時の、秀吉にまつわるこんな逸話(現代語要約)も出てきます。
秀吉は半兵衛の助言を得て、夜ひそかに稲葉山を登り、奇襲をかけました。この時、秀吉は槍の先に瓢箪をつけて目印にし、見事奇襲を成功させました。その功績により、秀吉は信長から瓢箪の馬印(長柄の先につける飾り)の使用を許され、かつ今後戦功をあげるごとに、馬印の瓢箪を一つずつ増やしていけ、と命じられました。
秀吉の馬印は千成瓢箪と呼ばれる黄金の瓢箪をかたどったものですが、その由来とされる伝説です。
さて、信長の美濃攻めの話に戻りましょう。信長がいつ龍興の本拠地・稲葉山城を落としたのかについては議論がありますが、近年は永禄10年8月ごろと考えられています。太田牛一著『信長記』によれば、8月1日、守就や稲葉良通(演:嶋尾康史)、氏家直元(演:河内大和)らの斎藤家の重臣たちが信長に降伏しました。

信長はこの機会をとらえて城下を焼き払い、城を囲みました。これにより、龍興は城から逃げ出すことになるのです。
かくして信長は長く続いた美濃攻めに勝利し、稲葉山城を岐阜城に改め、本拠をここに移しました。
愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。朝廷制度を中心とした中世日本史の研究を専門としている。著書・論文に『中世朝廷の官司制度』、『史料纂集 兼見卿記』(共編)、「徳川家康前半生の叙位任官」、「天正十六年『聚楽行幸記』の成立について」、「豊臣秀次事件と金銭問題」などがある。