羽柴小一郎長秀(仲野太賀)と羽柴筑前守秀吉(池松壮亮)の主君である織田信長は、いよいよ天下一統を目の前にしていた。そして、裏切りを許さず、より一層孤独を深めていく。一方、家臣である明智光秀(要潤)は胸の内に、ある思いを抱いていた……。信長を演じる小栗旬は、「本能寺の変」で最期を迎える彼の人生をどのように捉えているのだろうか。これまで演じてきて感じた信長の魅力や、秀吉と長秀に対する思いなどを聞いた。
信長は破壊神だからこそ、人々を魅了してきた
――ここまで信長を演じてこられて、信長に共感する部分はありますか?
信長にはやり過ぎなところがたくさんあるので、現代を生きている自分からすると、理解できないことが多いんですけど、僕は彼も明るい世の中を作りたかったんだと想像しています。もっと経済的に豊かな世界をイメージしていたと思いますが、経済という観点がこの時代の人たちにあまり理解されなかったことが、彼を破壊の方向へ進めてしまったのかなと。同じビジョンを持つ人間が少なくて、蹴散らすしか選択肢がないと動いていたら、気がついた時には破壊神になっていた。それが彼にとっては予期せぬことだったんじゃないでしょうか。

――信長は現代の人々からも人気のある武将です。信長はなぜ人々を魅了すると思われますか?
「豊臣兄弟!」の信長は自分が破壊神であることを決めた人で、自分が破壊し続けるから、その次の創造や維持みたいなことは後に任せるっていう気持ちだったと思うんです。ある時、それを池松くんと話していたら、破壊神である信長がいて、その次に創造した秀吉がいて、続いて新しい世を機能させた徳川家康がいるんじゃないかって。でもその中で、「昔から一番破壊神が人気ある」と言われて、非常に納得したんです。やっぱり人間って、自分ができないことをやる人に魅力を感じてしまうじゃないですか。そういう意味では、自分が作り出した信長は、織田信長としていい表現ができた部分もあるのかなと思っています。
――この作品で演じられた信長について、これまで描かれてきた信長とは違う部分や魅力を感じられますか?
見てくれている方に聞くと、すごく人間味のある信長だという意見が多いです。ただ自分の中では、この信長は本当に理にかなっているというか……僕は信長って“織田信長”を演じてきた人だと思っているんです。織田家が大きくなっていく中で、織田信長はこうでなければならないっていう姿を自分の中で作り上げていってしまった。脚本でもそう描かれていたので、すごく腑に落ちた状態で演じられました。前半の信長は、家臣に見せる姿と市(宮﨑あおい)に見せるリラックスした姿と一人きりの時の姿とで違っていたんですけど、後半にかけて、家臣たちの前ではもちろん、市といる時にも緊張感を持たなければいけなくなってしまって、気がついたら一番リラックスできる相手が秀吉になっていた。豊臣秀吉という人物をしっかり描いた作品でなければ、そういう織田信長にはならなかったかもしれないですね。

自分の判断を見極める指針として、信長は秀吉を側に置いておきたかった
――小栗さんは、信長と小一郎長秀と秀吉の関係性についてどのように感じていますか? また、豊臣兄弟を仲野太賀さんと池松壮亮さんが演じるからこそ膨らんだものはありますか?
太賀くんと池松くんだからっていう部分が大きなベースにはなっていますね。現場で彼らのピュアで真っ直ぐな姿勢を見せてもらうことで、織田信長というキャラクターが出来上がったと思います。この作品においては、ふたりは信長にとってなくてはならない存在として確実に大きくなっているのではないでしょうか。信長の中では、自分に欠けている部分、自分にはない感覚を持っているのが秀吉。自分の想像を軽く超えてくる秀吉を目の当たりにする中で、こいつは大事な駒として置いておかねばならないという思いが回を追うごとにどんどん大きくなっていったと思うんです。
――でも、秀吉は比叡山延暦寺の焼き討ちで人を逃がしたり、勝家(山口馬木也)とケンカをして勝手に戦から帰ってきたり、たびたび信長の命令に背いてきました。
秀吉は本当にミスが多いんです(笑)。比叡山延暦寺の焼き討ちの時は、そもそも明智光秀の忠誠心を試すための命令だったのに、秀吉がしゃしゃり出てくる。その時点で、信長は秀吉が背くことは予見していて、じゃあ、背いた時にどういう形でこちらを納得させてくれるのかってところまで考えて話している。でも、破壊神となった自分の横で、いつになっても人を喜ばせたいとか、明るい未来を見たいといっている秀吉は側に置いておきたかった家臣だったと思うんです。自分の判断や考えが狂っていないか、それを見極める最後の指針のように思っていたんじゃないでしょうか。
その隣で知恵を絞って動いてくる小一郎については、出会った当初は秀吉よりも確実に使える存在だと認識していたんだけど、途中から鬱陶しくなってくるんですよね。ああ言えばこう言うじゃないけど、また何か言ってきたなっていう。兄を心配して、兄を助けたいという小一郎の姿を見ることは、信長にとってはいつも傷をえぐられる瞬間というか、自分が作ることができなかった世界を突きつけられる瞬間だったのかなと感じています。

――仲野さんと池松さんからインスパイアされた具体的なエピソードはありますか?
2人はいつも、こちらが予想しているお芝居を軽々と超えてくるので、そのおかげでこちらも引っ張ってもらったっていうことが本当に多くて。池松くんの秀吉にはちょっと怖さを感じるものがあって、ただ明るいだけじゃないから、一緒に芝居をしていると突き刺さってくるものがあります。それに対して太賀くんが演じる小一郎と向き合っていると、得体の知れない“丸み”みたいなものを感じる瞬間がありますね。たぶん優しさみたいなことだと思うんですけど。脚本上では信長を本当に好きでいられるのか、疑問に感じる瞬間が自分の中ではあったんですけど、あの2人が間違いなく信長を愛しているという姿を見せ続けてくれたので、2人が僕のことを愛してくれるなら、僕も愛されているつもりでやりきれる場面がたくさんあったと思います。
本能寺のラストは本当の炎を使った迫力のある映像に!

――いよいよ次回は「本能寺の変」が描かれます。そこに至る信長の思いはどう捉えていらっしゃいますか?
実は、6月28日放送の第25回から信長は引退を考えていたと思っていて。自分が引退しようと思ったから、同じように老臣たちも引退させようという気持ちになったんだと思うんです。でも、引退するといっても、自分の後を誰に任せられるんだろうと考えていた時に、第26回で秀吉と2人きりで話すシーンがありました。あの時、秀吉の「上様とともに新しき世をつくり皆を喜ばせたい」という言葉を聞いて、これだけ自分が無理難題を押し付けても、それでもまだ人を喜ばせたいと言う秀吉になら、任せられるのかもしれないっていう心境に辿り着いたんだと思うんです。
――「本能寺の変」というと、過去の大河ドラマでも非常に印象的に描かれてきました。今回はどのようなものになりそうですか?
「本能寺の変」のラストシーンはロケで撮影したんです。本当の火を使って撮影したんですが、やっぱり本物の炎に囲まれるのは迫力が全然違いましたね。
自分が信長について資料を読んできた中で、信長は逃げ足がものすごく早かったというエピソードがあって。だから「本能寺の変」で、信長はなぜ逃げられなかったのか謎だったんです。自分の中では、もう疲れちゃったのかなと解釈していて……。これ以上逃げた先に何があるんだろう? って、彼の中で終着点が見えてしまったというか。引退しても恨まれまくっているから、常にいつ殺されるかわからない不安の中で生き抜かなければいけないとも考えただろうし。だから、脚本家の八津弘幸さんとお話しした時に、一度は思いっきり逃げようとしたいって伝えたんです。逃げようとするけど、逃げるのも諦めて、無様に死んでいく、というような……。今回は、それを汲んでいただいて折衷案みたいな形になっています。ちゃんとこの物語に則った上でメッセージを残して散っていけたのは、今回の見どころかなと思っています。