わたくしは、すでにこのすまいが、ちと気に入りすぎたようである。
(小泉八雲『日本瞥見記 下』平井呈一訳「日本の庭」より)
これは八雲の代表作『Glimpses of Unfamiliar Japan』(『日本瞥見記』)の一節。新たな住まいとして紹介された士族屋敷を八雲はひと目で気に入り、明治24(1891)年6月、セツとともに引っ越し。屋敷で過ごす時間をこよなく愛しました。
ドラマでも、大挙する祝い客や新聞記者の来襲などの騒動がありながらも、屋敷での暮らしや庭の趣を楽しむ様子が描かれました。ヘブンにとっては憧れのサムライ屋敷であり、トキにとっては念願の“川の向こう側”。
この住まいのモデルとなっているのが、小泉八雲旧居として公開されている武家屋敷。小泉セツと八雲が暮らした頃の姿のまま、訪れる人を迎えています。

簡素で質実剛健、風格ある旧松江藩士の住まい
塩見縄手と呼ばれる通りに面したこの家は、松江藩旧藩士・根岸家の屋敷。当時、10代目当主の干夫は郡長として現在の出雲市に赴任し、しばらく空き家になっていました。

そもそも、この屋敷をはじめとする塩見縄手が作られたのは松江城の築城時。城地と定めた亀田山と北側に連なる赤山の間を掘り下げて、内濠とそれに並行する通りがつくられ、さらに藩士の住む家中屋敷が造成されました。

なんでも“塩見縄手”の名の由来は、この通りに住んでいた塩見家。初代小兵衛が250石取りから一代で禄高1000石の上位藩士に出世を遂げたことから、その名が通りにつけられたといわれています。実はこの塩見小兵衛、セツの母方のご先祖さま。セツと八雲がこの塩見縄手にある屋敷を住まいとしたのは、ご縁の糸に導かれてのことかもしれません。

セツは、八雲との日々を綴った『思い出の記』で、内濠の対岸にある城山の森越しに天守閣の頂上が少しばかり見えたと回想しています。

今は木々が高く繁り天守閣を望むことは難しいのですが、内濠を遊覧船が行き来して景色に風情をもたらしています。
八雲も念願の侍屋敷に暮らすことを誇らしく感じていたのでしょう。前述の「日本の庭」に屋敷が平屋建てで座敷が14室もあり、天井が高く畳敷きの多い立派な部屋ばかりだと記しています。


武家としての格を感じさせる表玄関、水墨で松を描いた欄間、にじり口や違い棚のある茶室を思わせる座敷、寂びた趣の下地窓、さりげない生け花……。40年余り前の修復によってセツと八雲が暮らした頃の姿に蘇った屋敷は、隅々にまで心を配り整えられており、背筋を伸ばして端座する武士を思わせます。

自然を謳った一篇の詩にして日本の美を凝縮した八雲の庭

また八雲は、前に住んでいた宍道湖畔の家のような湖水の眺めや見晴らしはない代わりに、それを補ってあまりあるほどの美しい庭があると喜びました。島根県尋常中学校での授業を終えて帰宅すると庭を眺めてくつろぐのが日課だったと記しています。
わたくしは教師の制服をゆったりとした日本服に着かえて、庭を見晴らす日のかげった縁に、まずどっかりと坐りこむ。―中略―この古寂びた庭の、崩れた瓦の下に厚い苔のむしている土塀は、町の生活のざわめきを遮断しているかに見える。ここにあるものは、鳥のさえずりと、セミの声と、ときおり間遠に水に飛びこむカエルの閑寂な音よりほかに、何もない。
(小泉八雲『日本瞥見記 下』平井呈一訳「日本の庭」より)
そして日本の庭は一幅の絵であると同時に一篇の詩でもあり、この屋敷の庭も自然を謳った一篇の詩として解説を必要としないとまで述べています。

庭は主屋の三方をぐるりと囲み、南から西、北へと趣を少しずつ変えながら緩やかに繋がっています。9畳の居間からも6畳の書斎からもすべての庭を見渡すことができ、家に居ながらにして自然の美を享受できる。その感動を八雲は熱のある文章で紡ぎました。


砂と石で川の流れを表した南の庭には、黒松やユズリハ、タブなどの常緑樹とともに百日紅や躑躅、藪椿や侘助など四季を告げる草木が配され、八雲の目を楽しませます。
この庭のぜんたいの感じは、どこかこう美しい、しかも寂しくて、うっとりと眠気をもよおしそうな場所にある静かな流れの岸辺、といった感じだ。―中略―日の指している砂地に、ちらちらと動いている木の葉の影は、柔らかで美しい。暖かい風がそよそよ吹くたびに、ほのかな花のかおりが忍びやかに送られてくる。
(小泉八雲『日本瞥見記 下』平井呈一訳「日本の庭」より)
庭に棲む小さきもの、かそけきものへのあたたかい眼差し

八雲の眼差しは草木だけでなく、庭に棲む小動物にも注がれました。
北側の庭には築山を備えた小さな池があり、浴衣に庭下駄で池に棲む生きものを眺めていたと、セツは八雲との日々を綴った『思い出の記』で述懐しています。「山で鳴く山鳩や日暮れ方にのそりのそりと出てくる蟇が良いお友達」だったとも。

また、この池に棲んでいたカエルがヘビに襲われるのを憐れんだ八雲は、カエルが食われないよう「これを御馳走します」と自分の御膳のものを土蔵の石段に置いて、ヘビに分け与えようとしたのだとか。
カエルとヘビだけでなく蝉にトンボ、キリギリス、カマキリに蛍などの虫、ウグイス、フクロウ、野バト、ホトトギスなどの野鳥、イモリにトカゲ。ありとあらゆる生き物が八雲の興味の対象でした。八雲はその様子や行動を観察するとともに、彼らにまつわるわらべうたや言い伝えを収集。愛情たっぷりの文章を残しています。

八雲が愛したこの庭は、家主であった根岸干夫と父・小石がつくったもの。自ら山へ行って樹木を選び、石を運ばせて思うままの庭をつくりました。その干夫の息子、磐井は島根県尋常中学校で八雲に薫陶を受け、後に屋敷を「小泉八雲旧居」として公開し、記念館の創設に心血を注いだ人物。その後も根岸家の人々は代々、この屋敷と庭を守り続けました。
のちに12代目当主となった根岸道子さんは著書『お濠端に暮らす』の中で、イギリスのテレビクルーが取材に訪れた時に漏らした言葉を残しています。「同じだ。100年前と変わっていない」。その手には『Glimpses of Unfamiliar Japan』(『日本瞥見記』の原書)があったそうです。
八雲は愛すべき我が家と、それを取り巻く外の世界をこんなふうに綴りました。
土塀の外には、電信、電話、新聞、汽船、ありとあらゆる変わり果てた近代日本の声が、ごうごうと唸り声をあげている。しかるに、ひとたび、この土塀のうちにはいると、ここは、閑寂な自然の平和なやすらいと、十六世紀の夢のかずかずが、ふかぶかとこもり住んでいる。
(小泉八雲『日本瞥見記 下』平井呈一訳「日本の庭」より)

しかしこの屋敷も庭もいずれは姿を消し、古風な松江も含め日本は大きく変わっていくだろうと、予言めいた結びの言葉を残しています。
この予言は残念ながら大半は当たってしまいましたが、幸いにも小泉八雲旧居一帯についてはハズレたと言ってよいでしょう。今も八雲の庭にはカエルやヘビが姿を現し、セミやキリギリスが声を聴かせます。裏山でテテポッポ、カカポッポと鳴く山鳩も健在です。
ドラマに描かれるトキとヘブンの物語とともに、暮らしの舞台となる屋敷や庭にも、どうぞご注目を!
出典:
小泉八雲『日本瞥見記 下』平井呈一訳 恒文社
参考文献:
小泉節子、小泉一雄『小泉八雲:思い出の記・父「八雲」を憶う』 恒文社
根岸道子『お濠端に暮らす』松江北堀美術館
岡田孝男『松江の茶室 付 小泉八雲旧居』茶室研究会
八雲会『へるん今昔』恒文社
ライター・エディター。島根県松江市生まれ。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が「神々の国の首都」と呼んで愛した街で、出雲神話と怪談に親しんで育つ。長じてライターとなってからも、取材先で神社仏閣や遺跡を見つけては立ち寄って土地の歴史や文化に親しむ。食と旅、地域をテーマに『BRUTUS』『Casa BRUTUS』『Hanako』などの雑誌やWEB媒体で執筆。