ドラマの舞台は熊本へ。予想外の寒さや近代化された軍都・熊本の様子に「書くべきものがない」と肩を落とすヘブン。トキとフミは家事一切を女中に取られて暇を持て余し、司之介に至っては相場に大金を突っ込む始末。
なんとも不穏な幕開けでしたが、焼き網泥棒騒ぎで人を思う優しい嘘を見つけ、呪いの発動をものともしないトキに勇気づけられ……。書生として丈と正木、女中のクマも加わって一家の泣き笑い劇場は熊本でも健在。
そして劇中では生っ粋の出雲弁が相も変わらず飛び交います。再開された英会話レッスンでもトキが話す英語は微妙に出雲弁っぽいような……。さて松江を離れたトキとヘブンの物語は、どんなふうに進んでいくのか?
今回は、熊本時代を含めセツと八雲の足跡を辿るべく、松江城のお濠端にある小泉八雲記念館を訪ねます。
直筆原稿や初版本、遺愛の品から八雲の生涯を辿る
小泉八雲記念館があるのは、松江の中でも城下町の面影が濃い塩見縄手の一角。小泉八雲旧居の隣に位置しています。
八雲の教え子であり小泉八雲旧居の持ち主でもあった根岸磐井をはじめ、ゆかりの人々により組織された八雲会を中心に、大正4(1915)年に創設運動がスタート。昭和9(1934)年に開館しました。

八雲の直筆原稿や書簡、主な著作の初版本、八雲遺愛の品など収蔵品は1000点以上。そのうち200点ほどが、丁寧な解説とともに館内に展示されています。


生い立ちから肉親との関係性、野心に満ちた青年時代、ジャーナリストとしての活躍、来日以降の教育者・著作家としての姿……。充実した展示から八雲の生涯がくっきりと浮かび上がり、真理を求める強い意志や多面性、開かれた精神が感じられます。

展示の中には、ドラマに登場した虫籠を彷彿とさせる品もあります。錦織がヘブンのために持参したものの手渡せず門前に置いて立ち去った――あの虫籠の形は、八雲愛蔵の船形虫籠と同じなんだそうです。
松江を離れる蒸気船の上で虫籠を大切に抱えて岸辺を見つめるヘブンの姿が頭に浮かび、八雲が旅立ちの場面を綴った文章が思い出されました。
わたくしは去ろうとしている。―はるか彼方へ去ろうとしている。(中略)あの顔も、あの声も、さては船着き場も、あの長い白い橋も、みんな返らぬ思い出となってしまった。(中略)船はだんだん速力をまして、神々の国からいよいよ遠いところへわたしを運んでいく。 (小泉八雲『日本瞥見記 下』平井呈一訳「さようなら」より)

どこに行こうと暮らしの中心にあり続けた出雲の文化
こうして熊本に移った一家ですが、女中の大半も車夫や料理人も書生も松江の人間。家に入れば、そこは出雲国でした。
八雲は親交のあった日本研究家・チェンバレンへの手紙に、熊本でも家人が朝の習慣として庭に出て朝日を拝んで柏手を打ち、出雲の祈りの言葉を唱えることを書き記しています。
セツと八雲の曾孫で小泉八雲記念館の館長を務める小泉凡さんによれば、松江を離れてからも小泉家の中では出雲弁が標準言語。凡さんの父、つまりセツと八雲の孫である時さんが幼い頃も、出雲弁が幅を聞かせていたのだとか。
そんなエピソードに触れる資料を、ちょうど今行われている企画展「小泉セツ―ラフカディオ・ハーンの妻として生きて」で見つけました。

それが英単語帳と英語覚書帳です。ドラマにも登場していましたが、これはセツが八雲に英語を教わって書きとめたもの。カタカナで発音を書いているのですが、これが出雲弁どまんなか。
出雲弁では“イ”を“エ”に近い音で発音するため、「I have eaten plently」は「アエ、ハブ、エテン、プレンテ」になり、「You are hungry」は「ユウ、アーラ、ハングレ」になるわけです。
鉛筆のカタカナを追うと脳内にトキの声で再現され……。祖母のコテコテな出雲弁を聞いて育った私には、これがツボにハマりました。出雲弁訛りの英語、なかなかの破壊力です。

人生の伴侶にして創作を支えたリテラシーアシスタント
この企画展は八雲にとってかけがえのない存在であったセツの生涯に焦点を当てたもの。
セツが日頃愛用していた品、手紙、八雲との日々を綴った『思い出の記』の草稿など、生い立ちから八雲との出会いと結婚、語り手・リテラシーアシスタントとしての働きぶりを物語る資料が展示されています。
展示を見終える頃には、明治の世をしなやかに生き抜いた女性の姿が浮かび上がってきました。


展示資料の中には、八雲の書き損じた原稿や下書き原稿を再利用した家計簿も。カステラやチョコレート、ベーコンなどの食料やひげ剃りなどの日用品、外食などの出費額を書きつけてあり、小泉家の暮らしが垣間見えてきます。明治時代、どんな食べ物が市中に出回っていたかを知る資料としても興味深いものでした。

小泉八雲記念館では、松江出身の佐野史郎さんによる朗読を楽しめるコーナーや、八雲の著作やセツ関連の書籍がずらりと揃うライブラリー、一家やゆかりの人々を写した写真が並ぶ一角も。セツと八雲の人間像に近づけるミュージアム、見逃せません。
出典:
小泉八雲『日本瞥見記 下』平井呈一訳 恒文社
参考文献:
小泉節子、小泉一雄『小泉八雲:思い出の記・父「八雲」を憶う』 恒文社
常松正雄訳、村松真吾編『ラフカディオ・ハーン 西田千太郎 往復書簡』八雲会
銭本健二・小泉凡著『八雲の五十四年―松江からみた人と文学』松江今井書店
梶谷泰之『へるん先生生活記』松江今井書店
ライター・エディター。島根県松江市生まれ。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が「神々の国の首都」と呼んで愛した街で、出雲神話と怪談に親しんで育つ。長じてライターとなってからも、取材先で神社仏閣や遺跡を見つけては立ち寄って土地の歴史や文化に親しむ。食と旅、地域をテーマに『BRUTUS』『Casa BRUTUS』『Hanako』などの雑誌やWEB媒体で執筆。