念願かなって月照げっしょうをお参りした銀二郎とトキは、イライザを案内してきたヘブン先生と大亀の前でばったり遭遇。随行の錦織にしこおりを含め一同の間に気まずい雰囲気が漂います。その空気を払うように怪談の語りを求めるヘブン先生。蝋燭ろうそくに火をともして大亀の伝説を語るトキの生き生きとした表情と、食い入るように聞き入るヘブンさんのまなしが印象的でした。今回の紀行では、松江で知らない人はない月照寺を訪ねます。


代々のお殿様が眠る、静かで格式の高い寺へ

月照寺を再興した直政の生母、月照院の墓所。

月照寺は松江藩藩主・雲州松平家歴代のびょうしょ。松江城の西、三方を山に囲まれた場所にあり、もとはとううんという禅寺でしたが、松江松平家の初代・直政なおまさが生母のはいを安置するため、浄土宗の寺院として再興したのが始まりと伝わります。

創建当時と変わらぬ姿でたたずむ初代直政廟門。

松江城の大手前からのんびり歩いて約20分、山裾に寺院が点在する辺りに月照寺はあります。緑深い境内を、飛び石をたどって歴代藩主の廟所へ。初代直政から九代斉斎なりよしまで、いずれもそれぞれに廟門と墓所があって、江戸時代から変わらぬ姿で残されています。そして、境内全域が国の史跡に指定されています。
小泉八雲はその静かで寂びた佇まいを愛してしばしば訪れ、自分もここに埋葬してほしいと言ったとか。

廟門から境内で最も規模の大きい直政墓所を望む。

真夜中に動き出す大亀の正体は、子から親へ贈った生前供養塔

六代宗衍の廟所。

9箇所ある廟所の中で最も八雲の興味をいたのが、六代藩主・宗衍むねのぶの廟所でした。理由はドラマにも描かれたように大亀像にまつわる怪談が伝わっていたため。廟門をくぐって左手、墓所を向いて佇む大亀像は、ドラマで銀二郎がつぶやいたように思っていたよりも大きく、迫力があります。

出雲地方には夜になると歩き回ると伝わる像や彫刻がいくつかあると伝わっていますが、八雲はこの大亀像を“夜に出会ったら一番ゾッとするだろう”ものとして紹介しています。

この化けガメは大きな石の像で、身長十七フィート(およそ5メートル)あり、地上から六フィートも高く、頭をぬっともたげている。今は割れ欠けたその背に、高さ九フィートばかりの太い四角な石が立っていて、それに半分消えかかった字が刻んである。出雲人たちが想像したように、この墓場の化け物が、真夜中にのそりのそりい出して、近くのはす池にはいって泳ごうとした物凄ものすごさを想像してみるとよい”

(小泉八雲『日本瞥見記 上』平井呈一訳「杵築雑記」より)  は編集部

大きな石碑を背中に背負った大亀像。材料となる石は、松江から20km以上離れた久多見くたみで石を切り出し、宍道湖と堀川を経て運ばれたと伝わる。

地元に伝わる伝説によれば、この大亀が夜になると城下で暴れて人々に害をなしたとも。そして人々の訴えを受けて高僧が大亀を諭したが、大亀は自分でもどうにもならないのだと答え、ついには自ら大きな石碑を背負い、己を封じたのだと伝わります。

しかしこの石碑、実は七代藩主・治郷はるさとが先代の願いを受けて建立した寿蔵じゅぞう。宗衍の生前に、その徳をえ長寿を祈った生前供養塔なのです。つまり息子から父への親孝行の贈り物であり、大亀はその台石。大亀は怪談に語られる一方で長寿の象徴ともされ、多くの参拝者に親しまれているとか。
お殿様の親孝行話と怪談のギャップに驚きますが、石碑の巨大さと今にも動きそうに首をもたげた大亀を見て、想像をたくましくした人がいてもおかしくないなとも思えました。


茶の湯を極めた名君をしのび、薄茶を一服

治郷は、隠居後に不昧と号した。松平不昧像(月照寺所蔵、画像提供:松江歴史館)

この寿蔵碑を建てた治郷こそ、今も松江で“不昧ふまいさん”と呼ばれ親しまれる茶人大名、松平不昧。財政難のため存亡の危機にひんしていた松江藩を立て直すかたわら、茶の湯や禅に親しんだお殿様です。茶道具の蒐集しゅうしゅうや研究にも熱心で、そのコレクション目録『うんしゅうくらちょう』や茶道具の解説書『こん名物めいぶつ類聚るいじゅう』は、茶の湯を極めようとする人にとってお宝中のお宝。
若い頃からさまざまな流派に接して独自の茶風に達し、その茶は家臣に受け継がれ、茶道の流派「不昧流」の祖となりました。

セツも八雲との思い出をつづった『思い出の記』で治郷=不昧に触れ、そのために松江藩の「家中の好みがへんに似合わず、風流になった」と記しています。
やがて不昧が育んだ茶の湯の文化は庶民にも広まりました。松江では今も普段から薄茶をいただきますし、和菓子店の数も町の規模や人口から考えると多いと言われます。

七代藩主・治郷の廟所。この場所から東を望むと、松江城の天守が見える。

その不昧こと治郷も月照寺に眠っています。廟門は不昧お抱えの指物師、小林如泥じょでいの作と伝わります。

体をうねらせ天を泳ぐ龍の姿をイキイキと活写。
木鼻には透かし彫りで葡萄が描かれる。不昧が職人に求めたセンスの高さ、技の確かさがうかがい知れる。

扁額へんがくの左右にある龍の彫刻や柱上部の葡萄ぶどうの透かし彫りは見事。茶の湯を通じて木工や漆芸しつげい、金工など数多くの名工を育てたお殿様の廟門ならでは。美意識の高さが感じられます。

境内の廟所をくまなく歩いた後は、書院でお茶を一服。

書院の「御成の間」からは不昧が修補したと伝わる庭園を望む。

不昧が愛用したという名水でてたお茶と、市内の老舗和菓子店のお菓子を味わいながら、不昧好みの庭を眺める。そんな松江らしい時間を楽しめます。


怪談に熱中するトキとヘブン先生についていけなくなって、ため息をつく銀二郎とイライザ。皆に幸多かれと念じながらこれからを見守りましょう。

出典:
小泉八雲『日本瞥見記 上』「神々の国の首都」平井呈一訳 恒文社

参考文献:
小泉節子、小泉一雄『小泉八雲:思い出の記・父「八雲」を憶う』 恒文社
小泉凡・渡辺亮『小泉八雲の怪談づくし』八雲会

ライター・エディター。島根県松江市生まれ。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が「神々の国の首都」と呼んで愛した街で、出雲神話と怪談に親しんで育つ。長じてライターとなってからも、取材先で神社仏閣や遺跡を見つけては立ち寄って土地の歴史や文化に親しむ。食と旅、地域をテーマに『BRUTUS』『Casa BRUTUS』『Hanako』などの雑誌やWEB媒体で執筆。