現在放送中の連続テレビ小説「風、薫る」。一ノ瀬りんと大家直美の人生を描く物語です。本作は、日本で「看護」という職業がまだ確立していなかった明治の時代に、看護学を学び、トレインドナース(正規に訓練された看護婦*)と呼ばれた、看護師のパイオニア的存在・大関和さんと鈴木雅さんをモチーフにしています。
* 現在の呼称は「看護師」
放送にあたり、ステラnetでは「風、薫る」をより楽しめるコラムをお届けします。
ドラマの主人公の1人、りんのモチーフとなっている「大関和」は、明治時代に誕生した最初期のトレインドナースで、フローレンス・ナイチンゲールの教えを継承し「看護の原点」と言われる人物です。
※本作は、実在の人物をモチーフとしていますが、物語として大胆に再構成しています。
その大関和を長年研究し、ご自身も看護の道を歩まれてきた加藤光寳さんと日本看護協会会長の秋山智弥さんにお話を伺いました。(前編はこちら)。
本コラム後編では、看護におけるナイチンゲール教育法の重要性、看護教育はどのように発展してきたのかなどを語ってくださいました。
ドラマでは、りんと直美がいよいよ看護の道へと歩み出します。明治19年(1886)年12月、2人は看護婦養成所に入学。そこで出会った子爵の娘、東雲ゆきはナイチンゲールに心酔していました。
「近代看護の母」と称されるナイチンゲールは看護教育学者であると同時に、近代医療統計学・看護統計学の始祖としても知られ、また、トレインドナースという職業を確立した人物です。そのナイチンゲールに学んだアグネス・ヴェッチの教え子である大関和は、いわば“ナイチンゲールの孫弟子”にあたる存在です。
ナイチンゲールの思想である看護教育が日本に広まったのは、アグネス・ヴェッチの来日(日本政府に招聘)がきっかけとなりましたが、その教えを継承した大関和の功績は大きかったと言えます。
ナイチンゲールの看護哲学を受け継いだ大関和

左/加藤光寳さん 新潟県立看護大学名誉教授。昭和12年(1937年)茨城県生まれ。1957年、東京大学医学部附属看護学校入学。60年東京大学医学部附属病院に就職、整形外科に配属。働きながら共立女子大学短期大学部(夜間)に入学。67年、主任看護婦、84年、看護婦長に。94年、新潟県立看護短期大学教授、95年、常磐大学大学院人間科学研究科修了。2007年、獨協医科大学看護学科学部長、14年、報徳看護専門学校校長など歴任。
右/秋山智弥さん 公益社団法人日本看護協会会長。1992年東大医学部保健学科(当時)卒業後、同大病院整形外科病棟に勤務。98年同大大学院医学系研究科修士課程修了後、新潟県立看護短大助教授。2002年より京大病院勤務、11年より同院病院長補佐・看護部長。17年岩手医大看護学部特任教授、2021年より名古屋大学医学部附属病院卒後臨床研修・キャリア形成支援センター看護キャリア支援室長/教授、2025年より日本看護協会会長。
日本で最初の看護教育制度は、産婆(現・助産師)から始まりました。1874年(明治7年)に制定の「医制」に産婆に関する規定が定められたのが最初です(勅令は1899年[明治32年])。
看護教育においては、1885年(明治18年)に有志共立東京病院看護婦教育所(現・慈恵看護専門学校、東京慈恵会医科大学看護学科)が日本最初の看護師教育機関として設立されました。その後、大関和の母校でもある桜井女学校附属看護婦養成所(女子学院の前身)、加藤さんの母校の前身でもある東京帝国大学医科大学附属第一医院看病法講習科など次々と開設されていきました。
キリスト教徒であった大関和は、牧師・植村正久からナイチンゲールの教えを伝えられ、桜井女学校附属看護婦養成所へ入学したのです。そして1888年(明治21年)の卒業と同時に、トレインドナースが誕生しました。
秋山:看護に求められることは、もちろん治療に臨む患者に寄り添って回復や治癒を目指すものですが、必要な要素を言語化するのはなかなか難しいと感じています。しかし、大関和は『実地看護法』を著し、きちっと文章化して後世に残してくれました。
加藤:彼女は緻密なデータ分析もしており、患者がどのように回復していくかを積み上げていった人です。客観的に患者を見て、ポイントを拾って組み立てて体系化していくという形で残してくれました。現代の看護教育の礎そのものです。

秋山:医学も看護も、最終的なゴールは「患者さんがよくなっていくこと」という点で共通しています。ただし、医学では十分に担いきれない「寄り添い、癒やす」という看護の考え方は、ナイチンゲールが定義したものですよね。
症状や徴候を伴う身体または臓器の逸脱や妨害が病気であるとする、医学という一分野での定義に対し、ナイチンゲールは、病気は自然がそこから回復しようとする努力であるとしています。
たとえば発熱は、免疫細胞が活性化している証拠であり、回復のプロセスの一部と考えます。外科手術後の傷が自然に治癒していくのも、同じく人間が本来備えている回復力によるものです。ナイチンゲールは、こうした人間の持つ力を最大限に引き出すためには、環境を整えることが何より重要だと説きました。
つまり、十分な睡眠をとること、食事から適切に栄養を摂取すること、不安や恐怖を和らげること――。これらすべてが回復に深く関わるとナイチンゲールは考えたのです。そして、彼女は治癒の過程において重要となる、「静寂」・「安眠」・「清潔」・「日光」・「換気」・「食事」といった要素を、世界で初めて体系的に示しました。

加藤:そうですね。大関和は、まさにナイチンゲールの考えを受け継いできた1人だと思います。彼女のすごさは、その思想を臨床の現場から学び取り、それをわかりやすく言語化した点にあります。『看護覚え書』を翻訳して学びながら、自身の体験をとおして、部屋を暗くすることや静かな環境を整えること、安静にすることの重要性などを丁寧に書き残しています。また、教科書を執筆する際は、医師を2~3人校閲者として揃えたというエピソードもありますから、その実行力はすごいものがありますね。100年経った今でも大関和のファンがいるのは十分にうなずけますし、とくに看護師にとっては本当に有難い存在です。
秋山:加藤先生も教科書を書かれましたよね。
加藤:私が最初に教科書を書いたのは昭和40年ごろです。とにかくメモを取り、書けることはすべて書く、というやり方でした。
新人の頃、先輩に質問したら逆に「あなた、看護婦免許を持っているんでしょう?」と問われて教えてもらえなかったことがありました。みんな忙しいですから、立ち止まって教えている時間なんてないんです。その経験から、どうやって学んでいくか、工夫するようになりました。どうしても教えてほしいことがあると、「この内容に詳しいのはこの先輩」「この分野はこの方」と、それぞれ詳しい先輩を調べて会いに行きました。生き字引のような方がいるんです。すると、きちんと時間を取ってくださって、おかげさまで教科書を執筆することができました。昭和50年ごろ書いた教科書には、そうした先輩方に教えていただいた知恵が詰まっていると思います。

秋山:看護婦の働き方改善についても、加藤先生は尽力されましたよね。
加藤:いわゆる二八闘争*の時代でした。それを受けて夜勤は2人体制、夜勤回数は月に8回以内という取り組みで、私が主任看護婦になってからは、準夜勤務2日、深夜勤務2日で勤務表を組みました。本人の負担はもちろん、子どものいる主婦看護婦の負担も軽減したようで、結果として子育てしながら働き続ける看護婦が増えていきました。
* 二八闘争……当時の看護婦が、夜勤改善と増員を求めて行った実力行使やストライキ運動のこと。
大関和は東京帝国大学医科大学附属第一医院(現・東大病院)外科看病婦取締の頃、看護師の労働環境改善を訴える建議書を外科の責任者である佐藤三吉教授に提出し、その結果病院を辞することになった。医局や医師から「相談もせずに直接教授に提出するとは」と苦言を呈され、混乱が生じる(いわゆる組織上の問題を引き起こす)のを避けたのであった。
佐藤教授閣下
看護婦の数を増やし昼夜交番をもって
能く安眠せしめ精神の疲労を医し時に
社会の淳良なる空気を呼吸せしめにあたり
願わくは閣下の洞察を垂れ、一日も早く
看護婦養成組織改善の断行あらん事を
閣下の人徳病院の光栄
・・・頓首再拝
明治23年 外科看病婦取締 大関和
(原文ママ:加藤光寳資料より)
大関和が遺してくれたもの
秋山:コロナ禍は、明治時代のコレラ流行とどこかよく似た状況でした。社会全体が“密”を避け、誰もが1歩、2歩と距離を取っていく中で、看護師は率先して患者さんのそばに立ち、手当てをし、できるかぎり寄り添って声をかけ、手袋越しでも手を握ったり、マスク越しでも笑みを絶やさなかったり。そうした行為こそが看護の本質であり、その精神は時を超えて受け継がれてきたのだと思います。すべては患者さんの回復のために、看護師が意図をもって行う行為。看護は医師のサポートにとどまるものではなく、高度で巧みな専門的スキルなんです。そういう意味では、大関和はナイチンゲールと重なるところが非常に多い人物ですね。
加藤:大関和の『実地看護法』に、「健康回復への鍵を握るのは清潔と消毒の二法を知ること」という言葉があります。「正しく恐れること」を知っていたからこそ、患者さんとの適切な距離感や接し方が自然とわかっていたんでしょう。その精神は、私自身も実践してきましたし、今も現場に息づいていると思います。
秋山:日本の看護は、ナイチンゲールの思想を受け継ぎ、それを大関和が日本の医療現場に根付かせた、と言えるのではないでしょうか。
これからの社会では、AIやICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)がさらに浸透してくるでしょう。医療技術もより高度で先端的になっていくと思います。ただ、人間そのものは高度でも先端的でもなく、昔と何ら変わりありません。大関和がトレインドナースになって140年近くが経った今も、看護師に求められる本質が変わらないことが、その証だと思います。喜びや怒り、哀しみや不安といった感情を持つ人間に共感を持って寄り添い、本来その人が備えている治癒力を最大限に引き出す。そのために、環境を整えることが、これからも看護師の重要な仕事であり続けるでしょう。
加藤:社会が大きく変化するからこそ、看護の本質を守り抜いて、その信念のもとに行動できる看護師が育ってほしいと、心から願っています。
秋山:患者さん1人1人の生き方に伴走し、そのいのち、暮らし、尊厳をまもり支えていく。まさに大関和のような看護師を育てていくことが、私たちの使命だと考えています。
そして「風、薫る」をとおして、看護とは何か、そして看護の素晴らしさが伝わることを期待しています。
「風、薫る」で描く、一ノ瀬りんと大家直美がトレインドナースとして成長していく姿をとおして、実際に日本で看護の道を切り拓いた大関和ら、先人たちの歩みに、ぜひ思いを馳せてください。
(取材・松田久美子 [NHK財団] / 文・島田ゆかり)
(取材協力:日本看護協会)
引用・参考文献:
1)『実地看護法 復刻版』大関和著、医学書院
2)『日本の看護のあゆみ 歴史をつくるあなたへ』日本看護歴史学会編、日本看護協会出版会
3)『わが看護人生に悔いなし』加藤光寳著、こすもす