放送中の連続テレビ小説「風、薫る」。主人公のモチーフとなっているのが、日本で最初期の“トレインドナース”(正規に訓練された看護師)、大関和と鈴木雅。
そのうちのひとり、大関和の故郷、栃木県大田原市を訪れました。
※この記事はNHK(+NHK財団)が大田原市と一緒に制作した冊子「『風、薫る』+大田原市」の取材をもとに作成しています。
大関和 生誕の地
東京駅で東北新幹線に乗車し、最寄りの「那須塩原駅」までおよそ70分。駅を出ると那須連山の雄大なパノラマが出迎えてくれました。

市内へは駅からバスを利用します。まず向かったのが大関和の生家があった場所。
生家跡は「大宿街道」沿い、黒羽小学校の前にあります。

大関和は安政5年(1858年)黒羽藩の重臣、石高200石の大関弾右衛門増虎・テツ夫妻の次女として、黒羽田町に生まれました。その後、父の増虎は黒羽藩主、大関増裕のもとで筆頭家老として活躍します。
当時の黒羽藩は「とても教育熱心な場所だった」と大田原市学芸員の宮澤友美さんは話します。「和は、そんな環境で学問の大切さや教養を身につけていったと考えられます」
しかし、残念ながら、この場所における和の具体的なエピソードなどは「史料が残っていないため、詳しいことはわかっていない」ということでした。

この場所には「大関和記念碑」が建立されています。
大関家の菩提寺・大雄寺と黒羽芭蕉の館
次に訪れたのは大雄寺。ここは黒羽藩主・大関家の菩提寺です。
和の生家跡から徒歩ですぐの場所にありました。

上の写真は大雄寺境内にある大関家代々墓地。

慶応3年(1867年)藩主・増裕の急死後、増虎は辞職。その後、一家で上京しますが、黒羽藩の藩制改革により、増虎は家知事として藩主家の私事をつかさどる役目を任ぜられ、和も一緒に黒羽に戻ったとされます。

黒羽藩主・大関家の資料が展示されている「黒羽芭蕉の館」です。
松尾芭蕉は元禄2年(1689年)旧暦4月3日から16日までの期間、黒羽に逗留し、数多くの句を詠みました。「黒羽芭蕉の館」は芭蕉にかかわる資料と黒羽藩主・大関家の資料を展示しています。

大関家ゆかりの神社
那須神社。
黒羽藩主・大関家が代々、崇敬した神社です。慶応3年(1867)12月9日、王政復古の大号令によって幕府が廃止され、新政府が誕生した日に藩主・大関増裕は那須神社の裏手にある雑木林の中で、西洋猟銃によって亡くなったと伝えられます。後世、和は増裕の死について「父から聞いたが、自死だった」と語っています。

写真の楼門(国指定重要文化財)は、寛永19年(1642)に黒羽藩主の大関土佐守高増により再建されたものです。
那須神社は「那須与一伝承館」(道の駅「那須与一の郷」内)にも隣接しています。
与一伝承館では11月3日(火・祝)まで特別企画展「近代看護の先駆者・明治のナイチンゲール大関和」が開催されています。和の生涯や功績や幕末から大正期の医療・看護環境などを紹介しています。
【耳より情報】
大田原市では現在、NHK(+NHK財団)と一緒に作成した冊子「『風、薫る』+大田原市」を配布中です。冊子には、りん役の見上愛さん、直美役の上坂樹里さんへのインタビュー、人物相関図、さらには大関和の生涯をコンパクトに紹介するマンガなどが掲載されています。

「黒羽芭蕉の館」や「那須与一伝承館」などで入手可能です。
黒羽芭蕉の館 | 大田原市
那須与一伝承館【扇の的劇場・展示室・竹のギャラリー】 | 大田原市
※ステラnetを離れます
(取材・文:平岡大典[NHK財団])
(取材協力:大田原市)
この記事はNHK(+NHK財団)が大田原市と一緒に制作した冊子「『風、薫る』+大田原市」の取材をもとに作成しました。
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