「あのニュース、知ってる?」

かつては、そんな一言から会話が始まることがありました。新聞やテレビを通じて、多くの人が同じ出来事に触れ、同じ話題を共有していたからです。

しかし、SNSや動画配信サービス、生成AIが広がった今、私たちは一人ひとり異なる情報環境の中で暮らしています。自分の興味や関心に合った情報が届く一方で、異なる立場や価値観に触れる機会は少なくなっています。
けれども、社会は同じ考えの人だけで成り立っているわけではありません。世代や性別、地域、職業、経験の異なる人たちとともに生きていくためには、異質な他者が何を考え、どのような課題を抱えているのかを知る必要があります。その入り口となるのが、根拠の確かな多様な情報との出会いです。

では、私たちは何を共有しながら社会について考えていけばよいのでしょうか。そして、多様な人々が対話を続けるために、メディアにはどのような役割が求められているのでしょうか。

今回は、元ニュースパーク(日本新聞博物館)館長で、企画展「多様性 メディアが変えたもの メディアを変えたもの」を企画・監修し、書籍編集も担当した尾高泉さんにお話を伺いました。
メディアが社会の声をどのように伝えてきたのか。変化する情報環境のなかで何を共有していくべきなのか。そして、「情報的健康(インフォメーション・ヘルス)」とは何か。尾高さんとともに考えます。


尾高泉さん(教育とメディアのコモンズ・ラボ代表、日本NIE学会常任理事、元日本新聞博物館館長)
書籍「多様性―メディアが変えたもの メディアを変えたもの」編著:ニュースパーク(日本新聞博物館)、新聞通信調査会

多様性の尊重は、ジャーナリズムの原点

尾高 2023年秋に開催した企画展では、ジェンダー平等や性的少数者、貧困、障がい・疾病、民族、国籍、日本の中の外国人、出自、犯罪被害者など、多様なテーマを明治から現在、未来への時間軸で取り上げました。
企画展で考えたのは、平等や社会的公正とメディアの関係です。近年、DEIへの関心が高まっていますが、多様性は決して一時的な流行ではありません。人権の尊重や差別の是正といった、ジャーナリズムが本来担ってきた役割そのものに関わる報道テーマです。

(「Diversity(多様性)」「Equity(公平性)」「Inclusion(包括性)」の3つの言葉の頭文字をとった略称で、多様性とアイデンティティを尊重し、かつ、公平な活躍の機会を与えられている状態を意味する言葉)

報道機関は、「多様性」という言葉が広く使われる以前から、差別や不平等を社会に問いかけてきました。企画展では、医学部入試での女性差別やハンセン病患者強制隔離・旧優生保護法による強制不妊手術の問題、難病・医療的ケア児を育てる家族の就労支援など、報道が制度の見直しにつながった事例も紹介しました。

例えば医学部入試での女性差別は、最初から「多様性」をテーマに取材されたわけではありません。既にどの社も取材していた医大と文科省の贈収賄事件を追う中で出てきた別の情報を、記者たちが調査・検証し、その結果、長く見過ごされていた女性差別が社会の課題として可視化されました。

取材し、裏付けを取り、事実を明らかにする。その積み重ねが社会を動かしていく。
また、多様性というテーマは、人々の意識や感情に作用するので、無意識の偏見による差別的な言動がSNSでさらされやすい。だから、企画展のもう1つの目的は、SNS社会の言論空間やメディア情報リテラシーの課題を考えることでした


声を「与える」のではなく、同じ目線で伝える

尾高 少数者の代弁をすることに、かつては「声なき人に声を与える」(Giving a Voice to the Voiceless)という表現が使われることがありました。しかし、それには、報じる側からの一方的な視線が含まれてしまうことがあります。
当事者は、もともと声を持っています。大切なのはメディアが代弁することではなく、その人が置かれている状況を丁寧に聴き調べ、同じ目線で社会に伝えることです。そのためには、メディアの中の多様性も問われます。

また、社会の中には長い間、個人の問題として埋もれてきた課題があります。
ヤングケアラーやDV、発達障害、LGBTQといった言葉は、新しい問題を生み出したわけではなく、これまで十分に共有されてこなかった現状に名前を与え、社会の課題として見えるようにしたものです。
名前がつくことで問題が可視化され、「自分のことが取り上げられた」と感じる人がいます。そして、支援や制度の見直しが必要な社会課題として捉え直されていきます。

そうした変化を捉えられるのは、同じ分野を長く定点観測している記者たちがいるからです。目立たない場所で取材を積み重ねることも、ジャーナリズムの大切な役割だと思います。 多様性を社会に映し出すためには、メディア自身も変わらなければなりません。社会の変化を伝えるだけでなく、その変化を支える存在であることが求められているのだと思います。

NHK財団用賀オフィスでお話を伺いました。(2026年8月)

確かな情報は、命と暮らしを支える基盤

尾高 確かな情報は、命そのものに関わると、新聞博物館でも伝えてきました。
戦争や災害、感染症の流行などが起きたとき、私たちの行動は、受け取る情報によって大きく変わります。

戦時中には、新聞や放送が言論弾圧を受けながらも、国民の戦意をあおる報道に加担し、多くの人を戦争へ向かわせた歴史がありました。災害時には、正確な避難情報が命を守る一方で、デマや流言が人々を危険にさらすことがあります。関東大震災で広がった流言による惨事は、その象徴的な例です。

また、新型コロナウイルスの感染拡大時には、偽・誤情報が大量に広がる「インフォデミック」が起きました。ワクチンや治療法をめぐる不確かな情報が混乱を招き、感染者・医療従事者へのぼう中傷ちゅうしょうも発生しました。刺激の強い情報が、真偽不確かなまま拡散され、その投稿者に収益が集まります。いまや、選挙をめぐってもSNS情報の氾濫は、人の命にも収益にも簡単に結びついています。

特に健康や医療に関する情報は、人の不安と強く結びついています。それが大きいときほど、人はより安心でき、断定的で分かりやすい情報に引き寄せられます。

日本フェムテック協会のウェビナーでも登壇させていただきましたが、総務省の調査では、偽・誤情報のジャンルの最多は「医療・健康」ですよね。
(総務省「データで見るICTリテラシー」https://www.soumu.go.jp/dpa/data/[調査期間:2025年3月31日~2025年4月2日]) ※ステラnetを離れます

女性は特に、経済弱者、情報弱者になりやすいし、この分野に関心が高いので、「情報的健康」という言葉を使って注意を呼びかけました。

情報は目に見えません。しかし、偽・誤情報が広がる状態は、私は「情報空間の大気汚染」のようなものだと考えています。
大気汚染を個人の努力だけで防げないのと同じように、情報環境も個人の判断力だけの問題ではありません。社会全体で健全な情報環境を守っていく視点が必要なのです。


情報だけが無料でよいのか?

尾高 「情報的健康」という表現は、人々の理解を得やすいので、あえてコスト負担の話をしますが、情報を水や食料と同じ生活の基盤だと考えるなら、その情報を支える費用についても、人々に考えてもらう必要があります。
安全な水を届けるために設備や維持管理のコストがかかるように、確かな情報にもコストがかかります。記者が現場で取材し、事実を確認し、編集して社会に届けるまでには、多くの人手と時間が必要です。地域取材や調査報道を続けること、報道を記録として残すことにも費用がかかります。

一方で、「無料」に見える情報サービスも、実際には利用者自身の個人データや閲覧履歴などの提供によって支えられていることも、一人ひとり自覚した方がよいですよね。
情報に対価を払うことは、単に1つの記事や番組を買うことではありません。社会に確かな情報を届ける仕組みや、将来に記録を残していく仕組みを支えることでもあります。 健康のために食事や運動にお金をかけるように、自分と社会の情報的健康を支えるために、信頼できる情報環境を作っている報道機関へ対価を払うという発想も大切ではないでしょうか。


情報があふれる時代だからこそ「早くわかりたい」……それは「わからないものを排除することにつながる」

尾高 いまや、教員研修でも「情報は簡単に手に入る」と言われる場面をよくみますが、私は必ずしもそうではないと考えています。

英ロイター・デジタルニュースリポート2026(NHK放送文化研究所)(※ステラnetを離れます)によると、とうとう、世界で、ニュースの入手元の最多がSNSになりました。
SNSや生成AIを使うと、自分の関心に合った情報が次々と届きます。しかし、大量の情報に触れているようでも、フィルターバブル、エコーチェンバー、アテンションエコノミーの構造の中で、実際には自分好みの限られた情報だけを見ている可能性があり、得ている情報は少ない。

もちろん、SNSによって、それまで声を上げにくかった人たちが自らの経験を発信できるようになったことや、遠い人とも簡単につながることができるようになったことは、評価すべき大きな変化です。かねて、少数者は孤立を恐れて沈黙し、多数派は声高になるらせん上のプロセスのことを「沈黙の螺旋らせん理論」と呼んできましたが、いまのSNS言論空間では、皆が「自分たちは多数派だ」と感じやすくなっているのではないでしょうか。それぞれが異なる情報空間にいるままでは、対話は生まれません。 また、本当に弱い立場にある少数派の人は、誹謗中傷を恐れて発信できないこともあります。誰もが平等に声を上げられるとは限りません。見えやすい声もあれば、なかなか表に出てこない声もあります。だからこそ、目の前にある情報だけで社会を理解した気にならないことが大切です。

情報があふれる時代だからこそ、人は「早く分かりたい」と思います。短い動画や要約、生成AIによる回答も、そのニーズに応えるものです。
ただ、私は「分かる」ということに少し注意が必要だと思っています。
「分かる」は「分ける」につながり「分からないもの」を排除します。多様性の企画展が、SNS社会の課題の視点からも伝えたかったのは、このことです。

社会の問題は、複雑な課題ほど、立場によって見え方が異なります。
すぐに答えを出そうとするのではなく、分からないまま考え続けること。異なる考え方や価値観に向き合うこと。そういう「ネガティブ・ケイパビリティ」もまた、多様な社会を生きるために必要な力だと思います。

(すぐに答えを出そうとせず、不確実さや分からない状態に耐える能力を意味する言葉)


共通の文脈がなければ、対話は生まれない

尾高 博物館の経験もあるせいか、学校図書館、同じ社会教育施設である公共図書館などと、紙の新聞には、「多くの人が同じ情報に触れる」という共通の特徴があり、それは、皆がバラバラなものを見ているSNS社会では貴重なことだと思うようになりました。これは、米哲学者のジョン・デューイが『民主主義と教育』で重視していたことでもあると思います。集団の関心事がどの程度まで、その集団を構成する人々全員に共有されているか、ということです。

同じ日の新聞を読み、同じニュースを見る。受け止め方は人それぞれ違っていても、「いま社会で何が起きているのか」という共通の土台を持つことができます。
私は、そのことがとても大切だと思っています。社会は自分と同じ考えの人だけで成り立っているわけではありません。異なる立場の人たちと対話し、ともに社会をつくっていくためには、まず共通の話題や文脈が必要だからです。いま、メディア情報リテラシーを育むために、学校教育や社会教育協働で、個々の主体性を尊重しながら取り組めるように活動しているのですが、特に、ニュースリテラシーは、災厄から身を守るための刀ではなく、より包摂的なものであるべきです。

紙の新聞には、自分から探しに行った情報以外と出会える良さもあります。いわゆる「セレンディピティ」、偶然の出会いです。
政治、経済、地域の福祉や文化、科学、スポーツ、海外の出来事に出会う。1本のコラムを読む。そのときは関心がなくても、後になって別の出来事と結びつくことがあります。

前述のデジタルニュースリポートでは、ニュースの入手先として各国でSNSがトップになるなか、日本は最も低い国でした。「ニュースの信頼性」の項目でも、世界各地で低下傾向がみられるなか、日本はその傾向のない5か国のうちの1つでした。これは、紙の新聞文化が維持され、公共放送が支持されているメディア環境と無縁ではないと思います。

公共的なメディアの役割は、すぐに答えを示すことだけではありません。「なぜだろう」「本当にそうなのだろうか」という問いを残し、自分で考えるきっかけをつくることにも意味があります。 自分の中に少しずつ知識の引き出しを増やしていく。そして何かが起きたときに、その引き出しから自分なりのやり方で情報を取り出して考えるのです。 もちろん、紙の新聞だけがよいという話ではありません。大切なのは紙かデジタルかではなく、自分と異なる考え方や価値観にも触れながら、社会を文脈として理解することです。そのための情報にどう出会うかが重要なのだと思います。


約2時間半にわたり、丁寧にインタビューにお応えいただきました。

その情報がどこからきているのかをたどる姿勢が大事

尾高 メディアからの発信で捉えると、「新聞やテレビを見ましょう」という話になりがちですが、それでは新しいメディアとの対立構造になってしまいます。私は、そういう話をしたいのではありません。
マスメディアも不完全です。取材が足りなかったり、組織の中に多様性がなかったりすることで、当事者の現実や社会の変革を十分に捉えきれないこともあります。

一方で、SNSやデジタルメディアの普及によって、私たちは報道内容を自分で確かめられるようになりました。取材された本人や専門家が自ら発信し、公開資料や原典にもアクセスできるものもあります。
これは、マスメディアだけが情報の権威として一方的に問題提起したり正解を示したりする時代から、受け手も確認や検証に参加する時代への変化だと思います。

だから大切なのは、「何を信じるか」よりも、「何を根拠にしているのか」を互いに確かめることです。SNSだから誤り、新聞や放送だから正しいと決めつけるのではなく、その情報がどこから来ているのかをたどる姿勢が求められます。 併せて、ジャーナリズムが長い時間をかけて培ってきた取材や検証、編集の技にも大きな意味があります。ジャーナリズムが果たしてきた役割や、取材と検証、編集の価値を知ってほしいと思います。 メディアの側にも謙虚さが求められています。その両方があって初めて、より健全な情報環境に近づいていけるのではないでしょうか。


おわりに

尾高さんのお話を伺う中で改めて感じたのは、情報的健康とは、単に偽・誤情報を見抜く力ではなく、多様な人々の声に耳を傾け、よりよい情報環境を社会全体で育んでいくための力だということです。
情報空間をめぐる課題は、一人では解決できません。行政、教育機関、メディア、プラットフォーム事業者、研究者、市民など、多様な立場の人々が知恵を持ち寄り、実践を積み重ねていくことが重要です。
その思いから生まれたのが「インフォメーション・ヘルスAWARD」です。私たちは今、情報的健康につながるアイデアや取り組みを広く募集しています。未来のより良い情報環境づくりに向けて、ぜひ皆さんの活動や実践をお寄せください。

インフォメーション・ヘルスAWARD公式サイト(※ステラnetを離れます)

(取材・文・写真 NHK財団 社会貢献・開発推進室 木村与志子、堀田伸一)

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