介護にまつわる思いを詠んだ短歌を募集して、百首を選んで作る「新・介護百人一首」。NHK財団とNHK厚生文化事業団共催の社会貢献事業としてスタートし、おかげさまで5年目を迎えました。
この「新・介護百人一首」入選作品をAI合成音声で読み上げるサービスを、2024年12月からスタートしています(https://steranet.jp/list/poems)。今すぐ、一度聞いてみてください。
音声は、一人の女性の声です。そして一首を2度読んでいて、1度目と2度目では読み方が違っているのはお気づきになりましたか?
まるで録音したものを流しているだけのように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。あくまでも、学習した「声」をAIで合成して「作られている読み」なんです。
今回は、この開発に至るまでの秘話を、NHK財団 技術事業本部 今井篤上級研究員と、ことばコミュニケーションセンター石井かおるアナウンサーに、担当の佐々木佐知子が聞きました。
それは古文からはじまった

今井 私は、AI合成音声の実用化に向けた新たな取り組みとして、2023年10月に開催した「災害の記憶 デジタルミュージアム」で、江戸時代に描かれた災害の錦絵を紹介する「瓦版」の読み上げに取り組みました。「瓦版」は、古文ですし、句読点もない。しかも、江戸時代ですから、AI学習のためのサンプルとなる音声もない。困難を極める作業となりました。しかし、苦労して作り上げた合成音声をもとに展示作品を鑑賞すると、書かれている古文の内容がすっと頭に入り、理解が深まります。この経験をもとに、目で見るだけでなく、音声で聞くことは、伝えるためのより有効な手段であると確信しました。
今回、次の展開として提案が上がったのが、「新・介護百人一首」の入選短歌の読み上げでした。現代文であるし、なにより文章が短い。これならできると気軽な気持ちで引き受けたことが、新たな苦難の始まりでした。

石井 今井さんと初めてお仕事をしたのは、災害報道のAI合成音声でしたね。災害報道は、情報を迅速に、正確に伝えることが肝心です。その元になる音声の収録がはじまりでした。例えば、株式市況の読み上げは、日によって情報量が違っても同じ時間内に納めなくてはならず、数字も読み間違えてはならないため、アナウンサーにとって大変気を遣う作業となります。こうした音声がAI合成音声に代わることで、アナウンサーが他の業務に注力できることは大きなメリットです。しかし、まさか、その対極にある短歌の詠み上げをAI合成音声で試みることになるとは、驚きと戸惑いがありました。
今回の「新・介護百人一首」のAI合成音声は、今井さんと試行錯誤しながら、密に修正を加え、作り上げています。私は、ラジオの「文芸選評」(短歌や俳句の投稿作品で作る番組)、「やさしいことばニュース」などの放送に携わっていますが、今井さんは、これらの番組を熱心に聞いて編集作業の場に臨んでくださり、気付いた点をお知らせくださるなど、大変感謝しています。これまでアナウンサーとして、撮影、照明や音声など、技術の方とお仕事をすることはあっても、こんなに密にかかわる日がくるとは想像もしていませんでした。
今井 短歌は、通常2回読み上げるとのことで、当初は、作成したAI合成音声を2回リピートすれば問題ないと思っていました。しかし、番組を聴いて、1回目と2回目で、読むスピードや読み方、表現の仕方が全く異なることを知りました。他にも、次にどの言葉に繋がるかで、微妙に音声が変わってきますし、言葉による微妙な間も的確にとらえないと違和感のある音声になってしまいます。そうした“気付き”は、これまでの、ニュース原稿の作業では気付くことができませんでしたので、研究者にとって大きな学びとなっています。
石井 同じ文章でも、どこにポイントをおいて読むかによって、聞き手が、次の話題をどう想像するかが変わってきます。例えば、「富士山は日本で一番高い山です」のどこを強調して読むかで、次は世界の山についてなのか、日本の2番目に高い山についてなのか、聞き手の心構えも変わってきます。そのため、できる限りそれを意識した読み方にするほうが分かりやすく、より伝わる読み方になると思います。
1回目と2回目で、読み方が違う!
石井 短歌はまず五七五のリズムを意識して読んで、次に意味のまとまりで読むようにしています。1回目は、どのような状況であるか全体像を掴み、2回目で、よりその内容を味わってもらうためです。
例えば、2023年度の入選作品に、次のような歌がありました。
2023年入選作品より
車椅子押されて踊る盆踊り手だけ踊るも心も踊る
神奈川県 岡部晋一 84歳
この歌は、音声で読み上げることで、「踊る」の音が繰り返し耳に響き韻を踏んでいることが分かり、盆踊りの情景と心躍るような楽しい気持ちまで伝わってきます(https://www.steranet.jp/poems/63239)。
2023年入選作品より
おばあちゃんべっちょないで気にすんな一緒にしようできないことは
兵庫県 木村愛海 19歳
※「べっちょない」は「大丈夫」の意味。
この歌は、方言の持つ、親しみや温かさを音声にして聞くことで、より相手に伝わります (https://www.steranet.jp/poems/63181)
2023年入選作品より
実習で夜勤の見回りしていたら暗闇の中たたずむ利用者
千葉県 佐藤未桜 20歳
この歌は、真夜中の静けさと情景がよりリアルに伝わってきます。利用者の方が今、どんな気持ちでいらっしゃるのか、声を掛けてよいのか、手を差し伸べてよいのか思いめぐらせている作者の姿が想像できます(https://www.steranet.jp/poems/63301)。若い方でも、実際にこうした体験をされ、短歌に詠まれていることに驚きました。
音声で、より多くの人に届きますように
佐々木 「新・介護百人一首」は、全国の介護関連の学科がある高等学校、大学、専門学校に応募勧奨をしていて、実習の振り返りとして、たくさんの学校が短歌を応募してくださっています。若い方たちが、こうした介護の現場で感じた思いを素直に表現してくださり、毎年驚きや感動があります。 「新・介護百人一首」は、始まった当初から、点字での応募を寄せられることもあり、入選作品の発表、作品集発送の際には、応募者の方から、「CDで聞くことはできないか」「入選作品集をお送りいただいたが、目が不自由で読むことができないので、なんとか聞く方法はないか」など、お問い合わせをいただいておりました。これまでの入選作品の中にも、中途失明の方の応募作品もありました。
2024年入選作品より
古希の春点字習うも読めないよ中途失明指の皮むけ
和歌山県 奥野幸子 77歳
2022年入選作品より
予期しない中途失明運命とあきらめ生きるわれ傘寿なり
岡山県 ペンネーム 大倉景輝 94歳
今回、この取り組みを進めていくことで、開始当初からの目標であった“音声で味わう”サービスがようやく実現し、新たな一歩を踏み出せたように感じます。

石井 「新・介護百人一首」の合成音声は、目の不自由な方にも音声を届けるなど、社会貢献を担うNHK財団の業務として、大きな役割を果たしていると思います。
私は、ラジオ「文芸選評」の司会をしていて隔週で短歌や俳句の投稿作品を取り上げていますが、この番組にも点字で投稿作品を送ってくださる方々がいます。番組では、新・介護百人一首の選者で歌人の笹公人さんや小島なおさんにも出演していただいています。笹さんが新・介護百人一首で出会った作品に感動したお話をしてくださったこともありました。
今井 AI合成音声の技術は、初期段階では少しの取り組みでも、大きな成果を得られますが、精度が上がり、技術がどんどん向上していくと、どんなに努力を重ねて沢山の技術を蓄積させても、傍目には分からない程度の進歩で留まってしまうことがよくあります。しかし、諦めずにその努力を積み重ねていくことで、ある時、大きな進化が実感できるようになります。
今はまだ、ニュースや災害報道などの分野が主流ですが、この経験をもとに、文学や芸術の分野にもどんどん展開させていきたいと思っています。実は次の企画も密かに検討しています。ぜひ石井アナウンサーのお力をお借りしたいです。
石井さんのように経験豊かなアナウンサーの声を使わせていただくことで、ゆるぎのない安定した音声を元に合成音声を作成することができます。これがまさにNHK財団の強みで、NHKで経験を積んだアナウンサーの声を使って、日本最先端の合成音声を作成することができる。これは他に追随を許さない、真似のできない技術だと誇りを持っています。
佐々木 NHKの異なる分野の4つの関連団体が、2023年に合併したことで、様々な分野の技術が結集し、今回の取り組みがスタートしました。多くの方から反響があり、これまで乗り越えることのできなかった分野への新たな挑戦にワクワクしています。
NHK財団の技術が結集したAI合成音声技術を、「ステラnet」でぜひ体感してみてください。あなたの心に、短歌に込めた想いが届きますように……。
(NHK財団 展開・広報事業部 佐々木佐知子)