アンパンマンの生みの親・やなせたかしさんの初の全国大規模巡回展「やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ」(企画・NHK財団)が始まっています。

4月26日(土)から6月30日(月)まで熊本市現代美術館で行われた展示には、57,367名の来場者数を記録し、大盛況のうちに閉幕しました。7月11日(金)からは、京都駅ビル内の美術館「えき」KYOTOで開催中です。詳しくはこちら※ステラnetを離れます

ギャラリートークで作品の解説をする仙波美由記さん。後ろには、やなせたかしの分身キャラクター「やなせうさぎ」が。(C)やなせたかし

今回は、4月26日(土)に熊本市現代美術館で開催された、「初日開幕記念ギャラリートーク」から、やなせたかしさんの才能と創作人生についてご紹介します。解説は、やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団事務局長・学芸員の仙波美由記さんです。

戦後、やなせさんが入社した高知新聞社時代(1946年)から三越百貨店勤務時代(1947年~53年)に手がけた作品をはじめ、漫画家として独立した1953年以降の作品をクローズアップします。

※本展は各地を巡回します。開催場所によって、展示内容が変わることがあります。


やなせが暢と初めて出会った「高知新聞社」

『月刊高知』1946年8月号 表紙複製 制作年:1946年(高知新聞社)/当時27歳のやなせが描いた。

仙波 やなせは、終戦後の1946年6月に社会部記者として地元紙の高知新聞社に就職しました。連続テレビ小説「あんぱん」では、やなせのモデル・嵩(北村匠海)と、やなせの妻 のぶさんのモデル・のぶ(今田美桜)は幼少期に出会ったという設定ですが、実際には同年7月創刊の雑誌『月刊高知』編集部にやなせが配属され、そこで暢さんと出会います。

当時、雑誌『月刊高知』の編集部は少数精鋭で、やなせと暢さんを含め総勢5人。そのため、やなせは、表紙をはじめ挿絵などのイラストを描いたり、もちろん記者として取材・執筆・編集、そして広告の集金まで、全てのことをしなければならない状況でした。やなせが高知新聞社で働いていたのは1年ほどですが、暢さんと出会えたことはもちろん、そこでの経験は、のちに編集がベースとなる仕事のいしずえにもなりました。やなせが編集長を務めた文芸誌『詩とメルヘン』(1973年4月創刊)にもつながっていきます。


やなせが暢に惹かれた理由

『月刊高知』1946年11・12月合併号 編集後記 複製 制作年:1946年(高知新聞社)/やなせと暢(小松暢)の文章が掲載。暢は本号で高知新聞社を退社し、上京。その後、やなせも上京し、2人は結婚。

仙波 暢さんは、高知新聞社で戦後初めて採用された女性記者のうちの一人で、暢さんの署名記事も残っています。『月刊高知』でやなせと暢さんはさまざまな仕事をしますが、やはり広告を取る仕事は大変だったようです。しかし、暢さんは非常に勝ち気な性格で持ち前の“ハチキン”ぶりを発揮します。男性に負けじと1人で広告の集金に行くこともいとわない方でした。やなせは暢さんの、そういった強い女性像にかれていきました。

仙波 また、暢さんとやなせの母とは共通点が2つほどあります。ドラマでも描かれていたとおり、やなせの母はまだ幼かったやなせと弟の千尋さんを置いて再婚します。当時、女手ひとつでおさなを育てていくのは大変なことでした。それと同時にやなせの母は、子どもたちの将来を考えたとき、医者をしている伯父の家に置いておくほうが、さまざまなサポートが受けられるのではないか、と考えたようです。また、自分自身の人生を歩んでいくタイプの女性でもありました。そう考えると、暢さんと同じように、やなせの母もある種の“ハチキン”だったと言えるのではないでしょうか。

もう1つの共通点は、お2人とも美人であったということ。やなせの母も暢さんも、色白で目鼻立ちのはっきりしたれいな方でした。やなせは、無意識に自分の母の面影を暢さんに重ねていた部分があったのではないかと思います。


漫画家視点のみならずデザイナーセンスも持つやなせ

『月刊高知』1949年5月号 表紙複製 制作年:1949年(高知新聞社)
/当時30歳のやなせが描いた。

仙波 『月刊高知』の表紙をはじめ、中に掲載される4コマ漫画もやなせが手がけていました。いま見ても、非常に斬新な試みを取り入れていることが随所に伺えます。

『月刊高知』1947年11・12月合併号 複製 制作年:1947年(高知新聞社)

仙波 例えば、漫画「接吻殺人事件」は全面赤いインクで描いています。これはタイトルと内容がせっぷん=唇に関係しているから、でしょう。“全面赤の原稿を作る”というのは、単なる漫画家という視点だけでなく、デザイナー的な感覚です。やなせはそうした感覚を若いときからすでに持っていたことが分かります。また表紙も漫画も、アメリカンコミックの要素を取り入れていることが伺えます。

三越時代に手がけたポスター 複製 制作年:1952年頃/やなせ33歳頃。
「みつ子さん」三越社内報『金字塔』連載 複製 制作年:1948~52年

やなせは、高知新聞社退社後の1947年に、三越百貨店の宣伝部にデザイナーとして勤め始めます。三越劇場に依頼された文学座のポスターや、三越の社内報『金字塔』に掲載する漫画の制作などを引き受けていきました。


三越包装紙のレタリングは偶然の出来事

三越包装紙「華ひらく」/三越ショッパー

仙波 三越百貨店包装紙のレタリング(デザイン文字)は、やなせが描きました。白地に赤の抽象形が散りばめられている「華ひらく」というタイトルのデザインは、香川県丸亀市出身の猪熊弦一郎先生の作品です。当時すでに猪熊先生は日本を代表する現代作家でいらして、やなせは三越宣伝部のいちサラリーマン。たまたま猪熊先生のところへ原稿を取りに行く担当がやなせであったことから、2人の接点が生まれました。

三越ショッパー 原画 1957年

猪熊先生には「MITSUKOSHI」というレタリングまでを含めた注文が三越からあったようですが、レタリングがされておらず、担当のやなせがきゅうきょレタリングをすることになりました。当時は無名のサラリーマンのやなせでしたが、のちに世に知られる存在になり、結果的に今では猪熊先生との合作という形で紹介されるようになります。


「ビールの王様」がターニングポイントに

「ビールの王さま」新聞切り抜き 1954年頃 ニッポンビール(現サッポロビール)/やなせ35歳頃。

仙波 1953年にやなせは漫画家として独立します。広告漫画「ビールの王様」は、4コマのセリフなしで描くサイレント漫画(やなせいわく、パントマイム漫画)でした。

当時の新聞の隅などに掲載されていた広告で、いま見ても、ただ漫画として面白いだけでなく、デザインとしてのおしゃれさを感じさせます。王様のシルエットはアンパンマンに共通するようなキャラクターデザインです。やなせの名前が広く世に知れわたるのは、このあと何十年もかかりますが、やなせ漫画の表現形式の主軸のひとつになり、やなせにとって大きなターニングポイントとなった作品と言えます。


“無名な人”を主人公に描き続けたのは、やなせの自己投影

漫画「顔のないアイツ」(月刊『漫画劇場』1963年8月号)などについて解説する仙波さん。

仙波 このころ、やなせは長く同じテーマで漫画を描き続けています。それは漫画「顔のないアイツ」「ボオ氏」などの、“無名の人”や“代名詞のない人”を主人公とした作品でした。やなせ自身が漫画家として代表作に恵まれておらず、暗中模索するなかで、主人公に自己投影をしていたのではないかと思います。

当時、まだ代表作の無かったやなせですが、独立漫画家として仕事はあり、生活に困るような状況ではありませんでした。そういった意味ではプロの漫画家として成立はしていました。しかし、コマ漫画を描き続けながらヒット作を模索するも、なかなかうまくいきません。
やなせが子どものころ、高知県には横山隆一先生という大スターの漫画家がいました。当時の旧制中学のクラスメートに横山先生の義理の弟がいて、やなせは華やかな東京生活を彼から聞いていました。しかし、実際に上京したやなせは、現実を目の当たりにします。やなせは「自分は何者なのか」という答えを明確に出せないまま、さまざまな仕事に携わる時代を長く過ごしました。そういった中で、1967年にやなせの代表作となるコマ漫画「ボオ氏」が誕生します。

「ボオ氏」より「鳩とトビウオの巻」1967年
(C)やなせたかし (公財)やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団蔵

仙波 「帽子」をかぶっていること、そして顔が見えずその他大勢の「某氏」。「帽子」と「某氏」を語呂合わせにして命名されたのが「ボオ氏」です。容姿端麗であったり、超人的な才能や能力を持っているという主人公ではありません。誰であっても自分自身を投影できるようになっています。当時のやなせの心境を主人公に反映していることが伺えます。

また、やなせの漫画の大きな特徴としてセリフがないことが挙げられます。やなせ自身、パントマイム漫画と名付けているのですが、言葉がなくウィットに富み、起承転結を動きで見せる自身の漫画が確立されました。

海外の方も多く日本を訪れるようになった今、どなたにも通用する漫画とも言えます。そこまで時代の先読みをしていたかどうかは別としても、非常に先見の明があり、万国共通で通用する漫画を数多く残しています。時代を経ても色あせていません。そして、ちょっとクスっとするような笑いを起こさせる作品をたくさん生み出していたのです。

【プロフィール】
せんば・みゆき

公益財団法人やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団事務局長・学芸員。2003年、やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団に学芸員として入職。2012年からは財団事務局長に就任し、やなせの作品の収集・保存・研究を行い、香美市立やなせたかし記念館の展覧会事業にも携わっている。また、やなせの作品を広く伝える活動も行っており、やなせの作品を通じて地域文化の発展にも寄与している。

「やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ」は、京都の美術館「えき」KYOTOにて8月24日(日)まで開催。その後も、各地を巡回します。ぜひ足を運んで、やなせさんの魅力あふれる作品を味わってみてください。

「やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ」展示会のリポートはこちら(※熊本開催は終了しています)

(取材/文 ステラnet編集部 松田久美子)


「やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ」

やなせたかし展 | 一般財団法人 NHK財団(※ステラnetを離れます)

【巡回予定】
◆熊本/熊本市現代美術館 [終了]
2025年4⽉26⽇(土) 〜 6⽉30⽇(月)
◆京都/美術館「えき」KYOTO
2025年7⽉11⽇(金) 〜 8⽉24⽇(日)
◆鹿児島/かごしま近代文学館
2025年9月19日(金) ~ 10月20日(月)
◆山口/周南市美術博物館
2025年11月14日(金) ~ 12月28日(日)
◆愛知/松坂屋美術館
2026年2⽉
◆福岡/福岡県立美術館
2026年4⽉17日(金) ~ 6月14日(日)
◆東京/世田谷文学館
2026年6⽉30⽇(火) 〜 9⽉6⽇(日)
など、全国数会場で開催予定

展覧会の開催についてのお問い合わせはNHK財団 展開・広報事業部へどうぞ。

やなせご夫妻をモデルにした朝ドラ「あんぱん」の記事はこちらからご覧ください。