連続テレビ小説「あんぱん」で注目されるやなせたかしさんご夫妻について、さまざまな角度からご紹介している連載「もっと知りたい『あんぱん』やなせたかしさんのこと」。
今回は、やなせたかしさんの秘書をつとめた越尾正子さんのインタビュー第4回です。
「手のひらを太陽に」誕生のお話と、やなせたかしさんの“盟友”いずみたくさんについて伺いました。
◆第1回インタビューはこちら(もっと知りたい!「あんぱん」と、やなせたかしさんのこと 秘書をつとめた越尾正子さんにお聞きしました | ステラnet)
◆第2回インタビューはこちら(もっと知りたい!「あんぱん」と、やなせたかしさんのこと 越尾正子さん「今田美桜さんの表情や仕草で暢さんを思い出す」 | ステラnet)
◆第3回インタビューはこちら(もっと知りたい!「あんぱん」と、やなせたかしさんのこと 弟・千尋さんへの思い、そして暢さんの戦後 | ステラnet)
代表曲「手のひらを太陽に」誕生のきっかけ

――やなせたかしさんは「手のひらを太陽に」などの作詞を手がけられ、作詞家としてもご活躍されていますね。
漫画の世界はこれまでは新聞の4コマ漫画や、いわゆる政治風刺漫画が主流でしたが、戦後、手塚治虫さんの登場でガラッと変わりました。主流は、やなせ先生が描いていたコマ漫画から、ストーリー漫画へと変わっていきました。そのため、徐々に先生の漫画の仕事は減っていきました。

それと同時に、テレビ・ラジオの台本構成や雑誌のインタビューなどの仕事が増えていきます。まさに“マルチクリエイター”として多方面で、先生は才能を発揮していくようになります。

1960年、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』(作・演出:永六輔)で、やなせ先生は舞台装置(舞台芸術)を任されることになり、そこで、音楽担当だった作曲家・いずみたくさんと出会います。やなせ先生が最初に知り合った作曲家の方で、そこから長いお付き合いが始まりました。

ミュージカル上演の翌年1961年に、当時日本教育テレビ(NET/現:テレビ朝日)の朝のニュースショーを構成していたやなせ先生が、「今月の歌」として作詞をすることになりました。そして書かれたのが「手のひらを太陽に」です。番組側から「知っている作曲家は?」と聞かれたやなせ先生が、すでに知り合いだったいずみたくさんに作曲を依頼して「手のひらを太陽に」が誕生しました。そのときは歌手の宮城まり子さんが歌って、1962年にはNHK「みんなのうた」にも取り上げられました。その後、音楽の教科書にも掲載されるようになり、いまも皆さんに歌い続けられている代表曲の一つです。
――「手のひらを太陽に」は生きる力を与えてくれる歌詞が印象的です。作詞はどのように行われたのでしょうか。
当時のやなせ先生は、夜に仕事をしている時、よく自分の手のひらに懐中電灯を当てていたそうです。“おばけごっこ”や“レントゲンごっこ”なんておっしゃってたらしいんですけど、懐中電灯を手のひらで包むようにして透かして見ると、全体的に真っ赤な血の流れが見えて、自分がいま生きているという実感を抱いたそうです。そのことがきっかけで、自身の人生経験も踏まえて、生きる喜びや尊さを込めた「手のひらを太陽に」の歌詞を書き上げました。実際には太陽ではなく懐中電灯ですが、詩の表現で“手のひらを太陽に透かす”というフレーズにされました。
やなせ「言葉を大切にしてくれるから、いずみたくさんの曲が好きなんだ」

やなせ先生が編集長を務めた月刊誌『詩とメルヘン』(1973年創刊)では、創刊2号(1973年8月刊行号)からいずみたくさんが亡くなられるまで、「0歳から99歳までの童謡」という、ふたりのコラボ連載企画がありました。やなせ先生の「毎月1曲ずつ童謡を作詞する」という創作活動に、いずみたくさんが「やろう」と言ってくださり、全面協力をしてくださったコーナーです。毎月、出来上がった童謡の歌詞と楽譜をイラストとともに掲載していました。

なぜ“0歳から99歳まで”か? というと、やなせ先生は、童謡は子どもだけのものではない、年齢による制限や区別をつけたくないという考えがありました。いずみたくさんも同じ気持ちで「商業的なことは何も考えずに、ただ良い歌を作る」という共通の思いで作品を生み出していきました。2人で作り上げてきた「0歳から99歳までの童謡」シリーズは、今もなお歌い継がれてロングセラーになっています。

やなせ先生は「詩の言葉を大切にして作曲してくれるから、たくちゃんの曲が好きなんだ」とよくおっしゃっていました。やなせ先生によると、いずみたくさんは、人気絶頂の頃でも作曲の勉強をされていたそうです。その努力し続ける姿をやなせ先生はとても尊敬していて、仕事仲間としても信頼していました。いずみたくさんの作る曲が素晴らしいということももちろんありますが、やなせ先生はいずみたくさんの“本質”が好きで、楽曲では一番タッグを多く組まれた方です。一緒に240曲以上の楽曲を作り、ふたりの関係性はまさに“盟友”と言えると思います。

【プロフィール】
こしお・まさこ
株式会社やなせスタジオ代表取締役。1948年生まれ。高校卒業後、趣味で続けていた茶道の稽古場で、やなせたかしの妻・暢と知り合う。そのご縁で、1992年に有限会社やなせスタジオに入社。秘書として、20年以上にわたり、そばでやなせの作家活動を支える。やなせが亡くなったあと、2014年から株式会社やなせスタジオの代表取締役に就任。現在も、やなせの作品の管理に携わっている。
今後も、越尾さんが語るやなせ夫妻のお人柄や魅力をお伝えしていきます。「晩年の暢さん」「晩年のやなせ先生」など、不定期でお届けしていく予定です。
やなせ夫妻をぐっと身近に感じながら、「あんぱん」をより楽しんでいただけたらと思います。
次回もお楽しみに!
(取材・文 松田久美子 [NHK財団])
(取材協力 やなせスタジオ、フレーベル館)
やなせご夫妻をモデルにした朝ドラ「あんぱん」の記事はこちらからご覧ください。