
歌手生活60周年を迎えた加藤登紀子さん(81歳)。東京大学在学中に「日本アマチュアシャンソンコンクール」で優勝し、若くして歌手デビュー。華々しく活躍する一方で、私生活では学生運動で実刑判決を受けていた恋人と結婚、波乱の人生を送ってきました。最新アルバムでは今を生きる人々へ向けたメッセージソングを制作。平和を希求し、過去を見つめ、未来へと視線を向ける姿勢は変わりません。
聞き手 徳田章
この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2025年10月号(9/18発売)より抜粋して紹介しています。
拘置所の恋人からのはがき
──今年は歌手生活60周年。加藤さんは時の流れをどうお感じですか?
加藤 あっという間……ではないですね。戦後80年のうち、60年間を歌手として生きてきたわけですから。時代の変化は感じます。
──1969(昭和44)年の日本レコード大賞歌唱賞を受賞した『ひとり寝の子守唄』は、曲がフッと降りてきたそうですね。
加藤 降りてきたと偉そうに言うほど、当時は曲を作れませんでした。アイデアを思いつくとノートに書き込んで、なんとか自作の曲にたどりつきたいと思っていたんです。
忘れもしない1969年3月12日。その日は東京に記録的な大雪が降り、私は一人家にいました。恋人の藤本敏夫は、学生運動で逮捕され、その前年から拘置所の独房に収容されていました。拘置所から届いた彼のはがきを眺めていたら、「毎朝トイレをしようと椅子兼用の便座を開けると、中からねずみ君が顔を出すことがある。そのねずみ君が僕の唯一の友達だ」と書いてありました。彼のはがきを目にしつつ、自分のノートを開くと「ひとり寝の子守唄」というメモ書きにふと目が留まったんです。「これを曲にしちゃおうかな」と作り始めたら、たちまちメロディーと1番の詞が出来上がりました。
──自作曲を発表する前のことですね。
加藤 実は作詞も作曲も歌手になるまでしたことがなかったんです。自作した『ひとり寝の子守唄』がヒットし、賞をいただいたことで、周囲ががらっと変わってオリジナル曲を求められるように。私が四苦八苦していたら、母が「昨日今日、曲を作り始めた人に、そんな簡単にできるはずない」と笑うんです。「世の中にはいい歌がいっぱいあるのだから、それを歌わせてもらったらいいじゃない」って。確かにそうだと思い、自作曲と並行して全国各地の名曲を歌うという着想を得たわけです。それが1970年の森繁久彌さんの『知床旅情』のカバーにつながり、翌年にアルバム『日本哀歌集』として実を結びました。
縁はどこかでつながる
──哀しいの「哀」歌ですね。
加藤 藤本と出会ったばかりのころ、彼が夜空の下で歌ってくれたのが、『知床旅情』でした。初めて聴いて、心を揺さぶられるような大きな衝撃を受けました。
私も自分の人生を語るような、自分を支える歌が欲しい。『知床旅情』から受けた衝撃が、私を曲作りへ向かわせました。それから1年ほどかけてたどりついたのが『ひとり寝の子守唄』なんです。そのことを森繁さんがご存じのはずはなかったのですが、『ひとり寝の子守唄』を聴いて、「お前の歌は、私の心と一緒だね」と言ってくださったんです。
──チャリティーショーのステージで加藤さんが『ひとり寝の子守唄』を歌うのを、森繁さんがお聴きになったそうですね。
加藤 楽屋から舞台袖まで上がってきてくださいました。その後、『知床旅情』を歌うようになって何度もご一緒するうちに私が満州(現・中国東北部)からの引き揚げ者だと知ると、「君は赤ん坊だったから記憶がないだろうけど、君の声は満州のツンドラに吹く冷たい風を知っているね」とおっしゃいました。森繁さんも大陸からの引き揚げ者でした。
──戦時中は満州のハルビン(現・中国東北部 黒竜江省の省都)にいらしたんですね。終戦はおいくつのときですか。
加藤 1歳8か月です。2歳8か月で引き揚げてきました。『知床旅情』に出会い、森繁さんとの交流を通じて、森繁さんたちの世代が戦争中に何を感じてきたかということ、樺太(現・ロシア サハリン)や満州など極北の地に開拓で入っていった人たちの歴史など、本当にいろいろなことと向き合う経験ができました。歌との出会いは、大勢の人たちとの出会いにもなるんです。
60年を振り返ると、縁はどこかでつながるんですよね。藤本が歌った『知床旅情』をきっかけに『ひとり寝の子守唄』が生まれ、それを聴いた森繁さんと縁が結ばれて、私自身も『知床旅情』を歌うことになりました。
※この記事は2025年6月15日、16日放送「芸の道 輝きつづけて」を再構成したものです。
獄中の恋人との結婚、代表曲「百万本のバラ」についてなど、「生きるとは川の水のようなもの」と語る加藤さんのお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』10月号をご覧ください。

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