9月29日(月)からスタートした連続テレビ小説「ばけばけ」。
江戸から明治へ時代が大きく変化する中、古くからの城下町・松江で、小泉セツとラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は出会いました。ドラマで主人公のトキが暮らし、ヘブンと歩いた地です。
ドラマの世界をもっと深く感じるための水先案内を、ここ松江からお送りします。

小泉セツが生まれ育った町、松江は「山陰の小京都」とも呼ばれる城下町。北に日本海、南に中国山地を擁する雲州松江藩の藩都として栄えました。もともとは、宍道湖と中海という2つの汽水湖を結ぶ大橋川の湿地帯だった場所を、地ならしし埋め立てて生まれた町です。
セツの時代の町割りが今も生きる、水の都
始まりは慶長12(1607)年。関ヶ原の戦い後、武功により出雲国の主となった堀尾氏が造成に着手し、軟弱地盤ゆえの難工事の末に慶長16(1611)年、松江城の天守が完成しました。ほぼ同時期、城下町も一とおりが形成されたといいます。

堀尾期松江城下町絵図(島根大学附属図書館蔵)https://da.lib.shimane-u.ac.jp/content/ja/2257
※ステラnetを離れます
当時の絵図から見てとれるのは、お堀がお城を中心に縦横に張り巡らされていること。宍道湖から流れ出す大橋川が町を大きく南北に分けていること。大橋川の北側、特にお城を中心にしたエリアに武家町が整備され、中州を含む南側に町人町や寺町が広がっていることがよくわかります。

その後、藩主の座が堀尾氏から京極氏、松平氏に移る間にも城下町の造成は続き、さらに明治維新や昭和の高度成長期を経て町は変化していきます。しかし町割り自体は大きく変わることなく、今に至ります。
静かに水をたたえた宍道湖、滔々と流れる大橋川、家々の裏手を縫うように続くお堀……。ドラマでも水辺の場面や橋のある風景が頻繁に映し出されていますが、今も松江は水辺の景色が常にあり、水の気配が色濃い町です。

その感覚を体験できるのが、お堀を小船でめぐる「堀川遊覧船」です。松江城を囲むお堀を約50分かけてのんびり一周。お城の大手前から出発して、武家屋敷の並ぶ塩見縄手沿いを進み小泉八雲旧居や小泉八雲記念館を横目に見ながら、時には橋の下を低い姿勢で潜り、水面から町を見渡します。お堀端の住居から古くて小さな石段が水面に下りていっているのを見ると、人の暮らしと水がもっと身近だった時代を容易に想像できます。
志賀直哉と芥川龍之介が滞在したお堀端 小泉八雲が描いた宍道湖の夕景
こうした水とともにある松江の暮らしを、大正時代に味わったのが芥川龍之介。一高時代の友人に招かれて大正4(1915)年に松江を訪れ、お堀端の家に半月ほど滞在した芥川は、「松江印象記」の中で次のように記しています。
松江へ来て、先づ自分の心を惹いたものは、此市を縦横に貫いてゐる川の水と其川の上に架けられた多くの木造の橋とであった。
芥川の1年前には、偶然にも志賀直哉が同じ物件に滞在していました。堀川遊覧のルート沿いにあった建物は残念ながら残っていませんが、2人が仮寓していたことを紹介する碑が建てられています。

毎日、湖畔に立って朝日を拝み、大社さん(出雲大社)に柏手を打つ。かつてはこれが当たり前の光景だったと、幼い頃に祖母から聞いたことがあります。今はさすがに見られませんが、松江人にとってお堀や大橋川、宍道湖は今も心のよりどころ。静かな水面を眺めていると、それこそ、うらめしいことも忙しない日常も忘れて、気持ちが凪いできます。ことに宍道湖の夕景は格別。小泉八雲も、来日後初の著書にして代表作のひとつ『知られぬ日本の面影』(平井呈一訳では『日本瞥見記』)に収録された「神々の国の首都」で次のように記しています。
鋸の歯のような濃藍色の連峯のうしろにある高い空には、くすんだナス紺色の雲が幅ひろくたなびき、紫色の夕靄がしだいに淡い朱と金となって、うえの方へと煙のように色あせて行く。と見るまに、たちまちにして、それが見る見る朦朧たるまもろしのごとき緑のうちに溶けこんで、青い色になる。(中略)ほのかに淡いそれらの色彩は、五分ごとに変化していく。——ちょうど、美しい甲斐絹の色合いと陰影に似た、ふしぎな色の変化をかさねながら。

時代が変われど、この光景は変わらず。セツと八雲が見たままの美しさで私たちの目の前に現れます。宍道湖畔にある島根県立美術館は絶好の夕景ポイント。夕方近くなると、どこからともなく人が集まり、思い思いの場所に陣取って西の空に向かいます。刻一刻と表情を変える空と水面の様子に、みな言葉を失うばかり。残照もまた美しく、いつまでも座っていたい場所です。
水辺を巡りながら、町に残された古い町割りや武士の時代の面影をたどり、明治の世に思いを馳せて語り継がれた物語を追いかける……セツと八雲が目にした足跡を辿る小さな旅に出かけましょう。
出典:
芥川龍之介『芥川龍之介全集第 一巻』「松江印象記」岩波書店 小泉八雲『日本瞥見記 上』「神々の国の首都」平井呈一訳 恒文社
ライター・エディター。島根県松江市生まれ。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が「神々の国の首都」と呼んで愛した街で、出雲神話と怪談に親しんで育つ。長じてライターとなってからも、取材先で神社仏閣や遺跡を見つけては立ち寄って土地の歴史や文化に親しむ。食と旅、地域をテーマに『BRUTUS』『Casa BRUTUS』『Hanako』などの雑誌やWEB媒体で執筆。