もう少しでお昼になるころ、電車で取材先に向かっていたときのことでした。向かいの座席にはお母さんと女の子。まだ2、3歳ぐらいでしょうか。行儀よく腰掛けていました。目が合うと、こちらが気恥ずかしくなってしまうほど曇りのない目をしています。

女の子、退屈してきたのか、脚をぷらぷら揺さぶり始めました。その動きを感じた隣の若者。「迷惑かけるな」と諭すような視線で女の子をにらんだんです。その視線の冷たいこと冷たいこと。女の子はしゅんとして今にも泣きそうな顔になってしまいました。「ひじを張ってスマホを見ているあなたのほうが、よっぽど迷惑かけているぞ!」と注意しようと思ったのですが、逆上されそうだったのでやめました。周囲の客も、若者と目を合わせないように、さっとスマホに目線をそらしていました。

睨まれた女の子、口を真一文字に結んで涙をこらえています。お母さんは、若者に軽く頭を下げて、娘のほうに向きかえり、叱りつけるか……と思いきや、さにあらず。ほほみかけたのです。女の子は「うん」とうなずき、脚の動きも止まりました。ぷらぷらをやめさせたのは、若者の睨みでも叱責でもなく母親の笑顔だったんです。

ここからは私の推測です。隣の若者に申し訳なさそうに頭を下げた母の姿を、娘は見ていたんだと思います。しかも、叱られるかと思ったら微笑んでくれた母。そんな優しいお母さんに、悲しい顔をさせたくないと思い、自らぷらぷらをやめたのではないでしょうか。

その後、お母さん、手提げから、ラップに包まれたものを取り出しました。おにぎりでした。小さな手で受け取り、ほおばる女の子。スマホに目線をそらした乗客も親子の行動に見入っています。それらの視線を感じた女の子、もぐもぐしていた口が一瞬止まってキョトンとした顔になったけれど、すぐに笑顔に戻って、またもぐもぐ……。お昼前、車窓からの日ざしも手伝って、車内がほんのり温かくなりました。

(はたけやま・さとし 第1・3木曜担当)

※この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2025年1月号に掲載されたものです。

最新のエッセーは月刊誌『ラジオ深夜便』でご覧いただけます。

購入・定期購読はこちら
10月号のおすすめ記事👇

▼加藤登紀子 人生は自分の物語を書くこと。歌でつづる60年
▼笹野高史 役者への思いを抱き続けて。名脇役の俳優人生
▼片山由美子 17音の“言葉のスケッチ”
▼5号連続企画③ 国策紙芝居は何を伝えたか ほか