永禄えいろく3年(1560)5月、尾張国おわりのくに今川義元いまがわよしもと(演:大鶴義丹)の侵攻という大事に直面していました。義元は駿河するが(現在の静岡県東部)・遠江とおとうみ(現在の静岡県西部)・三河みかわ(現在の愛知県東部)3国を押さえ、東海地方に大きな勢力を持った実力者です。織田とのせめぎ合いも長く続いています。

一方、岩倉城いわくらじょうを攻略した織田おだ信長のぶなが(演:小栗旬)は、尾張国の大部分を掌握しました(コラム#02参照)。次に狙ったのは、尾張国内にある今川方の拠点です(下の地図参照)。鳴海城なるみじょう(現在の名古屋市緑区に所在)、その南の大高城おおだかじょう(同)などはこの時期、今川方についています。そこで、信長はこれらの城の周囲にを築いて包囲し、攻め落とそうとしていました。

そうした中、義元自身が数万の大軍を率いて尾張に侵攻し、5月17日には、沓掛城くつかけじょう(現在の愛知県豊明市に所在)に入りました。

義元はなぜ、わざわざ自ら出陣したのか。その意図については、ドラマの織田家での軍議でも問題になっていましたが、いろいろな説があります。

古くは天下統一を目指して上洛しようとしたのだ、と考えられていました。これは、戦国大名はみな天下統一を目指していた、というイメージに基づく説です。しかし果たして当時の大名たちが本当にそう考えていたのか、義元に天下統一の意思があったかどうかは、わかりません。

近年では、西三河の安定を図ろうとしたのではないか、尾張にも勢力を伸ばそうとしたのではないか、鳴海城周辺を固めようとしたのではないか、といった説が有力です。おそらく信長との全面対決を意図したものではなく、両勢力の境界近くへの短期間の出陣の予定だったのでしょう。

そしてこの時、義元とともに出陣していた今川方の武将に、数え19歳の若武者、松平まつだいら元康もとやす(演:松下洸平)がいました。のちの徳川家康とくがわいえやすです。元康は義元の命を受けて、孤立している大高城の救援に向かいました。そして首尾よく大高城に兵糧を運び入れ、織田方の丸根まるね砦(現在の名古屋市緑区に所在)に攻めかかりました。

桶狭間の戦い前夜――豊臣兄弟らはどこで何をしていた?

三英傑の残る一角、この時期の豊臣兄弟の動向はよくわかりません。今週のドラマでは、小一こいちろう(のちの豊臣とよとみの秀長ひでなが 演:仲野太賀)の幼なじみのなお(演:白石聖)が、織田家臣浅野あさの長勝ながかつ(演:宮川一朗太)の屋敷で寧々ねね(演:浜辺美波)に仕えることになっていました。藤吉郎とうきちろう(のちの豊臣秀吉ひでよし 演:池松壮亮)にとっては、寧々を訪ねる口実ができて、好都合な成り行きでしたね。

寧々は天文てんぶん18年(1549)生まれ。実はこの時数えの11歳です。長勝の実の娘ではなく、長勝の妻(杉原すぎはら家利いえとしの娘 ドラマでは森口瑤子演じる「ふく」 )が、寧々の実母の姉妹だった縁から養女になったようです。

長勝は、信長の側近に仕える馬廻衆うままわりしゅうで、弓の名手でした。ふくは、のちに「七曲殿ななまがりどの」と呼ばれますが、この呼び名は地名から来ていると推測する研究者がいます。清須きよす城下に七曲という地名があり、そこに浅野家の屋敷があったのだろう、という指摘です。ドラマで直が奉公したのも、この七曲の屋敷でしょうか。

寧々の実母は、のちに朝日殿あさひどのと呼ばれる杉原家の女性です。父は、実名はわかりませんが(法名は道松どうしょう)、朝日殿と結婚し杉原家に婿養子に入ったようです。寧々には生家杉原家にも浅野家にも、きょうだいがいます。やがて、このきょうだいたちも、豊臣兄弟の人生と深く関わることとなります。

また今週は、有名な草履のエピソードもありましたね。雪の降る寒い日、信長の草履取りだった藤吉郎は、懐に信長の草履を入れて温めていました。それを見た信長が気の利く者だと感心して、藤吉郎が出世するきっかけになったとされる逸話です。ただ、ドラマで描かれた藤吉郎の行動はまた違ったようですが……(新暦に直すと6月半ばの暑い時期ですし)。

このエピソードは江戸時代の寛政期(ちょうど去年の大河ドラマ「べらぼう」最終回のちょっと後です)に刊行された『絵本えほん太閤記たいこうき』に書かれたもので、実際の出来事ではないようです。いかにも秀吉が処世術にけていたことを感じさせるエピソードです。

同じように履物を温めたという逸話は、鎌倉時代の高僧・法心ほうしん禅師ぜんじ(平四郎)や、江戸幕府3代将軍・徳川家光いえみつと重臣酒井さかい忠勝ただかつの間の話にも出てきます。偉人にまつわる伝説の一つのパターンだったのでしょう(現在も寒い季節ですが、足元が暖かいとちょっと幸せですよね)。

ドラマの中では、このエピソードが、桶狭間おけはざまの戦いにつながる兄弟と信長のややコミカルなやり取りになっていました。小一郎がみごと天気が崩れることを予測していましたが、「雨」も戦に多大な影響を及ぼすことになります。

さて、永禄3年5月19日明け方、今川軍の動向を伝える知らせが、清須城の信長のもとに届きます。大きな戦の始まりです。

愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。朝廷制度を中心とした中世日本史の研究を専門としている。著書・論文に『中世朝廷の官司制度』、『史料纂集 兼見卿記』(共編)、「徳川家康前半生の叙位任官」、「天正十六年『聚楽行幸記』の成立について」、「豊臣秀次事件と金銭問題」などがある。