日本を代表する花の一つツバキは『万葉集』にも歌われ、古くから日本人に愛されてきました。しかし、その歴史は山あり谷あり。日本ツバキ協会会長の小泉こいずみ不二男ふじおさん(70歳)が
語る、ツバキが歩んできた波乱万丈な軌跡とは?

聞き手 須磨佳津江

この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2026年4月号(3/18発売)より抜粋して紹介しています。


歌を詠みたくなる花

――ツバキはもともと日本にあったのでしょうか。

小泉 そうですね。ツバキは古くからヤブツバキやヤマツバキと呼ばれ、北海道を除く日本中の野山に自生しています。縄文時代から咲いていたようですね。

――昔からでられてきたんですか?

小泉 奈良時代以降は記録にも残っています。ツバキは庭に植えたり歌に詠んだり、椿油つばきあぶらは貴重で税として納めてもいたようです。奈良時代に編まれた『万葉集』にはツバキを詠んだ歌が9首あります。その1つ、「巨勢こせやまのつらつら椿つらつらに見つつしのはな巨勢の春野を」(さかとのひとたり)は、ツバキの咲く風景を歌ったとされています。“つらつら椿”は、“列をなして咲いていた”という解釈と、葉っぱが光って“テラテラ=つらつらしていた”という解釈があります。

――「春野を」とありますが、「椿」って木偏に春って書きますものね。

小泉 そうなんです。この字は日本人が作った“国字”で、中国から伝わったものではありません。ツバキの仲間は中国にもたくさんあるんですが、ヤブツバキは主に日本と朝鮮半島の南部に自生しています。

――『万葉集』以外では?

小泉 日本の歴史を書いた『日本書紀』に、山の中で白ツバキを見つけて、“吉なる兆し”と天皇に献上した記録が残っています。今も正月のお茶席で白いツバキを飾るのは、当時の感覚が続いているのだと思います。

――「おめでたい」という気持ちがつながっているんですね。それ以降はどうでしょうか。

小泉 残念ながら、平安時代と鎌倉時代の文献にはあまり登場しません。私の推測ですが、当時はほかの花に関心が向いていたのではないかと思います。例えば中国から伝わった梅のように、いわゆる唐物からものに気を取られていたのではないでしょうか。


ブームのきっかけは将軍秀忠

小泉 安土桃山時代は千利休の登場で茶の湯が爆発的に流行します。その影響で茶室に飾るちゃばなとして、ツバキが再び注目を浴びたと考えられています。

――「こんなにいい花があったじゃないか」と気付くわけですね。

小泉 白ツバキは白侘助しろわびすけという品種があり、「利休七選花」の1つにもなっています。そのころから人々のツバキに対する関心が高まってきたのではないかと。

 千利休が茶の湯の精神を表現するのにふさわしいと好んだ7種類の花木。

――江戸時代は大変な園芸ブームが起きたんですよね。

小泉 長い戦乱が終わりようやく落ち着いて園芸を楽しむゆとりができて、最初に注目されたのがツバキだったようです。2代将軍の徳川秀忠ひでただが「花癖はなへき」と呼ばれるほどの園芸好きで、特にツバキが好きだった。それを知った大名たちが献上合戦のような形で江戸城にツバキを持ち込んだと。

※この記事は2025年12月24日放送「ツバキブームを調べてみると」を再構成したものです。


武士が品種改良!?江戸時代に200種類のツバキがあった背景や、“ツバキの暗黒時代”からツバキブームの再来まで、ツバキ研究一筋の小泉さんのお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』4月号をご覧ください。

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