江戸城中で田沼意知おきとも(宮沢氷魚)に刃を向けた佐野政言まさこと。老父を支えながら、日々の勤めを無難にこなしてきた政言が刃傷にんじょうに及んだとき、心の奥底にあったものは何なのか? 政言を演じた矢本悠馬に、意図していなかった悲劇へと駆り立てられた心情を語ってもらった。

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最初は“ヴィラン”的なイメージでいましたが、政言の背景やディテールが描かれるなか、“キャラ変”していくように考えました

——佐野政言役で「べらぼう」への出演依頼を受けたときの印象を聞かせてください。

政言が登場するまでの台本と、彼が世直し大明神と呼ばれるに至る経緯が書かれた資料をいただいたのですが、初めて登場する回は、セリフが一言二言しかなかったんです。でも、田沼意知をあやめることは把握していたので、ここからどういう展開を経て史実に結びつくのか興味を持ちました。と同時に、メインキャストを殺さなきゃいけないという重大な責務に対して、強い緊張感を覚えました。

——政言をどういう人物だと考えましたか?

衣装合わせのときにプロデューサーと演出の方が「不気味で、ヒール的なものになれば」とおっしゃっていて、演出の方からも「目や口を印象的に撮って、何かしでかしそうな、いやらしさみたいなものを出したい」と言われたので、政言登場から佐野家の家系図を渡すところまでは、僕の中では“ヴィラン”(悪役・敵役)的なイメージでいました。田沼家がむちゃくちゃな政治を行っていたから、自分なりの正義を持って、武士として男として意知を斬りに行くのかな、と想像して。

ところが、その先の台本で父親が認知症になっているという背景や、引っ込み思案で流行はやり物にも疎く、土山宗次郎(栁俊太郎)の屋敷のうたげでうまくコミュニケーションができないなどのディテールが描かれてきたので、僕の中で考え方をひっくり返して(笑)。改めて演じ始めたという感じです。

——第23回の、土山の屋敷でつたじゅう(横浜流星)に誘われたのに会話に入っていけないシーンですね。あのシーンはどんなイメージを持って演じられたのですか?

あそこが最初の“キャラ変”描写だったので、「この人は光を浴びてない」ところを見せなきゃいけない、と思いました。セリフが多いわけでもないので、表情と動き、雰囲気で、佐野政言という人間がああいう場に向いてないことを表現しなくてはいけなくて、結構大変でした。

ただ、大田なん役の桐谷健太さんが、役柄もご本人もめちゃくちゃ“陽キャ”だったので(笑)、その光を浴びて「まぶしいな」「こういう場は苦手だな」というチクチクした感じを抱えて、やるせなく帰っていく、みたいなところは表現できたのではないかと思っています。

——家系図を意知に渡したころは、もう少し自信ありげな様子も見えたのですが……。

そのころから数年が経過している、ということで僕の中では整理をつけました。最初は意欲的に頑張っていたけれど、なかなかうまくいかなくて、そのうち意知も偉くなってしまって……。嫉妬よりも、どちらかと言うと、生活の厳しさや一生懸命やっているけれどうまく結果に結びつかないジレンマのパーセンテージを上げていって、完全に“キャラ変”していくように考えました。

演出の方やプロデューサーとも話したのですが、ただの“ヴィラン”というよりは、悲しい背景があって、意知を殺すしかない状況に追い込まれていくほうが、政言が嫌われるだけじゃなくて済むのかな、と思ったんです。


政言は世の中のシステムに対して怒りがあり、そのシステムの板挟みになって壊れてしまったのだと思います

——第27回の冒頭では、政言が意知に役を与えられて感謝している描写もありました。同じ回で刃傷に及ぶことになる政言の気持ちの変化を、どう演じようと思いましたか?

宮沢氷魚くんがすごく誠実で好青年な意知を演じていたので、政言として「この人は信用できる」と、彼を好きになることは簡単でした。でも、同じ回の中で恨みを持って殺すところまで感情を持っていかなくてはならない。そのスピード感は、正直演じるのが大変でした。

視聴者の方に「唐突に殺しに行った」と思われたくなかったので、第27回の一つ一つのシーンでどこまで自分を追い込めるか、精神的にもきつかったです。ここまで一気に感情を畳みかけていくのは、初めての体験でした。

——老いた父親の世話をするのも大変で、精神的にかなり疲弊していたところもあった?

政言は、世の中のシステムに対して怒りがある人なのかな、と思っています。元々の生まれはいいじゃないですか。でも時代が変わって、自分たちよりランクが下だった田沼家が上にいて、父親からはプレッシャーをかけられて……。家系図を渡しても何の影響もなくて、本当は「父さん、時代は変わったんですよ」と言いたいけれど言えなくて、ずっと家で「うーっ」と抱え込んでいて。

父親の世話をしなきゃいけないのも、一つのシステムだったと思うんです。侍の家に生まれたら、父親が絶対的に上で、言うことを絶対に聞かなきゃいけない。そういうシステムの板挟みになっている絶望感みたいなものはあったのかな、と思いました。

——そこを丈右衛門じょうえもんだった男(矢野聖人)に付け込まれたのかもしれないですね。そして怒りが意知に向かった、という。

そうですね。ちょっとでも触れたら割れるような心持ちになっていたところに優しくされて、踊らされたのかもしれないです。ただ、“あおられた怒り”よりも“イカれてしまった”感じの方が強かったです。「人として壊れてしまった」のだと思います。意知への恨みや怒りというよりも、追い込まれて、壊れて、気がついたら刀を手にしていた、という。

——意知に斬りかかるときの政言の心情は、どんなものでしたか?

刀の手入れしている間は、「これで自分の人生、終われるんだな」という、ある種の清々すがすがしさがありました。限界に近い精神状態の中で生きてきて、父親が枯れた桜の木に切りつけている姿を見たときに、「もう、終わったほうが楽なんじゃないかな」と思ったんじゃないかな。

「じゃあ、最後にでっかいことをしようか」と、「最後にひと花咲かせて散ろう」という気持ちでした。いい名前の残り方はしないかもしれないけれど、こんな人生で何もしないまま消えてしまうよりは、いいだろうと。世間に対しての八つ当たりじゃないですけど……。

刀を振るっているときは、やっぱり人をあやめる行為ですから、怒りの感情は湧いていました。それは自分に対しての怒りでもあって、やるせないというか、心を奮い立たせて鬼になっていったという感覚でした。


切腹のシーンでは、ちょっと笑みが浮かんだ瞬間もあって、完全に晴れやかな気持ちで死を迎えました

——大河ドラマ「おんな城主 直虎」で、矢本さんは剣の達人である中野直之を演じましたが、今回の「べらぼう」では殺陣たてのシーンがほぼない中、それを見せることに緊張感はありましたか?

演出の方から「刀の持ち方がきれいですね」と言われましたが、今回の殺陣はきれいだと良くないので、なるべく不格好になるように気をつけました。気が弱い佐野政言は、不格好なほうが逆に立つと思って……。抜いた刀の重さに身を持っていかれるくらいで、武士としての刀のさばき方ではなく、殺すことだけを目的に刀を振ることを意識しました。それが緊張感につながっていればいいな、と思います。

——斬りつけるシーンを撮り終えて、宮沢さんと何か言葉を交わしましたか?

やった、終わった、イェーイ! みたいな感じでしたね(笑)。撮影が終わって、お互いに血まみれの手で恋人つなぎをして、SNS用の写真を撮って終わりました。作品の中では犬猿の仲だったけれど、現場ではこんなにもラブラブです、みたいな(笑)。僕は佐野政言でいるときは、誰ともあまりしゃべらず、自分の中に思いをため込んでいたのですが、あそこで「ああ、終わった」という解放感を味わいました。

——意知がプリンスと描かれているので、視聴者の反応が気になるのでは?

視聴者だけでなく、スタッフの中にも急に「意知のファンです」と言ってくる人がいるくらいで(笑)。氷魚くんが人として素晴すばらしい意知を演じてくれたおかげで、僕が斬りつける場面が盛り上がることを考えると、どんな反響でも僕の手柄になるんじゃないかと、逆に感謝しています(笑)。

本気でぶつかっていって、氷魚くんとふたりで作り上げた見せ場なので、「べらぼう」史上最も熱い回になっていればいいな、という気持ちでいます。

——その後の切腹のシーンで、印象に残っていることは?

そこでは完全に晴れやかな気持ちでした。父親が恨む田沼家に対して一矢報いることもできましたし、「これで明日からつらい人生を送らなくて済む」という思いもあって……。偉くなろうとしなくてもいいし、父親の面倒を見なくてもいいし、やっと逝けるな、という感じでしたね。

撮影の本番では、ちょっと笑みが浮かんだ瞬間もあって、その表情は編集でカットされているかもしれないですけれど、宙を見上げて「いい空だな……」みたいな気持ちで死を迎えました。


政言を演じた日々は全然楽しくなかったです(笑)。でも、演じ終えたときには達成感を味わいました

——「直虎」から8年ぶりの大河で、自分の中で変わったと感じたことはありますか?

「直虎」のときは、まだ役者として若かったし、自分のキャラクターを演じるのに精一杯せいいっぱいで、相手のセリフをちゃんと聞けていませんでした。それが、今回は“受け”ばかりで、人のセリフを聞くことが仕事だったので、その差は大きかったと思います。あと、「直虎」では、先輩方にまだ矢本悠馬が認知されていかなったのですが、8年って、かなり知ってもらえるようになっていました。

初めて渡辺謙さんとお会いしたときに「共演したかったんだ」と言ってもらえたんです。謙さんは僕が出演した作品を、氷魚くんに「見たほうがいいよ」と勧めていましたからね。撮影の合間にその作品の僕の芝居の真似まねまでしてくださって、こちらとしては「うわぁ、やめてくれぇ」みたいな感じもありましたけれど(笑)、すごくうれしかったです。

桐谷健太さんも「初めまして」だったのですが、「おー、あの!」みたいな(笑)。だから撮影日数は割と少なかったけれど、そこまでアウェイに感じなくて……。本当は皆さんと喋りたかったけれど、役に入りこむためにあまり喋らずに終えたのが残念でした。

——政言を演じていた日々は楽しかったですか?

全っ然、楽しくなかったです(笑)。撮影期間は10日もなかったぐらいですけれど、その1日1日がとても濃くて……。台本を読んだときの感情が、芝居をする中で変わっていったり、その場その場で「こう感じるんだ」という発見もあったりして……。日数がないわりに精神的に追い込まれました。いい意味で、今までで一番プランニングをしなかったかもしれないです。

とは言え、いつもはコミカルなキャラクターを求められて、辛いとか苦しいとか、不完全燃焼みたいな気持ちを演じることがなかったので、「芝居場にいるなぁ、お芝居できているなぁ」という感覚は強かったです。そういう意味では、楽しかったとも言えるのかな……。

佐野政言を大切に演じられたんじゃないかと思いますし、演じ終えたときの達成感も味わいました。普段あまり達成感とか感じないんですけど、クランクアップしたときには佐野政言としてのストレスを全部発散できていたと思います。