江戸城中で佐野政言(矢本悠馬)に斬られた田沼意知。志半ばにして命を落とした意知の胸に去来した思いは、どんなものだったのか。父・意次(渡辺謙)、誰袖(福原遥)、そして蔦重(横浜流星)に対する偽らざる気持ちを、宮沢氷魚に聞いた。
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意知が最期に拳を意次の胸に当てたのは、熱い思いを意次に託したから
――意知が死を迎えるシーンでは、どのような気持ちになりましたか?
意知は、まず誰袖の心配をします。「身請けした女郎がおります。世話になった者で……面倒を何とぞ」と。意知は自分を優先する人物ではなく、常に誰かのため——父上のため、町で暮らしている民のために行動していて、それが伝わるシーンでした。約束したことは絶対に果たす人間で、誰袖を身請けして彼女を大事にすると覚悟を決めていたので、誰袖の人生がどうなっていくのか、彼女が悲しむのではないかと心配でたまらなかったと思います。
蝦夷の上知(領地を召し上げること)を目指す中で、大きな役割を果たしてくれた誰袖に対する感謝の思いと、松前家と繋がることで彼女に大きなリスクを負わせた罪悪感があって……。いろんな感情がごちゃごちゃになっていたから、意知は心の底から誰袖に惹かれていったし、より大切な人になったと思います。

――自分に斬りかかってきた佐野政言への思いは?
演じていて特に印象に残ったのが、意知が佐野のことを責めなかったことです。本当だったら「くそっ」とか「こんなはずじゃなかった」とか思ってもいいはずなのに、意知なりの佐野への同情——佐野の行為に対して、理解しようとする心情みたいなものがどこかにあって……。
台本を読んで、佐野の気持ちがすごくわかりました。佐野が受ける待遇について、どうなんだろう? と思う部分もあったし、父上に対する思いや、「何とか家のために」という気持ちは意知も同じように感じています。ふたりの根本的なところはすごく似ていて、それが親に対する愛情や覚悟に全部繋がっていることが理解できるんです。最終的な行動として、ふたりは全然違う結末を迎えましたが……。
――無念や憎しみではなく、どこか達観したところもあったのでしょうか?
僕が考えていたより穏やかに最期を迎えた気もしていますが、意次に託した思いにはすごく熱いものがあって、最期に意知は拳を意次の胸にドスッと当てるような動きをしたんです。多くを語らずとも、自分がやり残したことを「任せた」というような。そこに、意知の思いや意次に受け継がれていくものがしっかりと描かれていたと思います。
――佐野が斬りつけた相手が「なぜ俺ではなかったのだ」という意次の言葉は、意知の耳には届いていませんでしたね。
もう絶命していたので(笑)。目を閉じて聞いていましたが、その言葉はやはり苦しかったですね。
この結末を迎えた大きな要因のひとつが、意次が佐野家の系図を捨ててしまったこと。その後も意知は何度も「佐野を引き立ててもらえませんか?」と言っていたので、もう少し丁寧に意次が理解をし、佐野を扱っていたら、こんな結末にはならなかったかもしれない。それがとても悔やまれるし、意次もそれがわかるから、自分の過ちとして後悔が溢れ出たんじゃないかな、と感じました。

語らずとも、矢本さんとは共通言語を持ち、同じ温度感で演じることができた
――意知が斬られるシーンの撮影時に、佐野政言役の矢本悠馬さんとは、どんな話をされましたか?
矢本さんと役について語り合うことはなく、セットの中でお互いの温度感を感じながら、探り合いながら作り上げた感じです。斬られるシーンでは、もちろん芝居も大事ですけれど、アクションということもあって、お互いに手を間違えないように注意しながら演じました。
撮影の数日前に殺陣の稽古もやったのですが、そのときに矢本さんと思いが通じ合った瞬間がありました。1時間半くらい稽古時間が取ってあったのですが、ある程度手が決まったら、僕はもうやらなくていいと思ったんです。きれいな殺陣を見せるシーンじゃなくて、いきなり斬りかかられて、一生懸命逃げ切ろうとする芝居なのに、やりすぎると「型」になってしまうと思って。矢本さんも同じことを考えていて、稽古は早めに終わりました。
実際の現場では、やりすぎなくてよかったと思いました。意知は佐野に襲われることは知らないので、意知が「なぜ佐野は今こんなことをしているんだろう?」と、一生懸命考える思考回路を、あの瞬間、現場でしっかりと捉えることができたんです。ふたりだけで作ったシーンではありませんが、ふたりが共通言語を持ち、同じ温度感で演じることができたと思います。
——せっかく誰袖と思いが通じ合ったところだったのに、「ここで!?」と悲しくなりました。
僕も「もう少しふたりで幸せな時間を過ごしたかったなぁ」と感じました。物語のピークまで持っていったところでガッと落とすという森下(佳子)さんの台本が……(笑)。まあ、だからこそ誰袖と意次は仇討ちをしたい、しなくてはならないという気持ちになるんですけど。
——残された意次や蔦重たちが、それぞれの方法で意知の仇討ちを考えていることに、宮沢さんとしてはどんな思いを持ちましたか?
複雑です。彼らがそう考えたのは、それだけ意知が愛されていて、大事にされていたがゆえですよね。嬉しい気持ちもありますが、意知がそれを望んでいたかというと、多分そうではない。起きてしまったことは、もう仕方がない。仇を討つよりも大事なことがまだ一杯残っていて、そっちに気持ちを向けてほしいと、その後の台本を読みながら思いました。
人間って、そんなに強くないじゃないですか? 仇討ちを考えることは、ある意味、自分の気持ちを救うことでもあると思うんです。どこに向けたらいいのかわからない怒りの矛先を、敵対する対象に向けることで現実逃避できるし……。救いを求めるからこそなんだと感じました。

クランクアップのときに、蔦重とのシーンが走馬灯のように甦ってきた
――宮沢さんのクランクアップは、どのシーンだったのでしょうか?
第26回で、耕書堂に蔦重とてい(橋本愛)さんを訪ねるシーンでした。米の値を下げたい、でも、どうしたらいいのかわからないので商人のことを聞きたいと、ヒントを得に行く。
まず意次とのシーンを撮り終えて、次に誰袖とのシーンを撮って、最後に蔦重とのシーンで終わりました。意知と深く関わりのある人たちと一人ずつお別れすることができたので、なんだか気持ちがすっきりしたし、同時に寂しさを味わいました。僕は田沼屋敷のシーンと、吉原での誰袖とのシーンが主で、蔦重と話すシーンがあまりなかったので、最後に蔦重と芝居をして終われたのは、すごくいい終わり方でした。
――クランクアップしたときのお気持ちは?
「べらぼう」での約1年間の撮影で出会った人物や見てきた景色を思い出しました。人が亡くなるときに、過去の記憶が走馬灯のように甦ってくると言いますが、それの疑似体験というか……。自分の中で印象的に残っているシーンや会話が、パパパッと鮮明に浮かんできました。
――それは具体的に、どんなシーンでしたか?
いっぱい思い出しました。京都でクランクインしたのですが、明和の大火事で町が燃えているところを意次と一緒に馬に乗って見ているシーン、平賀源内(安田顕)の死を、意知が「源内殿が獄死しました」と報告して意次と蔦重がけんか腰になるシーン、雪が降る中で蔦重に身元を明かした意知が「仲間に加わらぬか?」と誘うシーン……。
蔦重と意知のシーンって数えるくらいしかないのに、思い出したのは蔦重とのシーンが多かった気がします。自分の人生にも影響を与えた人であることを感じていたのかもしれません。

――誰袖とのシーンで印象に残っているものは?
意知が扇に書いた狂歌を誰袖に渡して「下手ですまぬな」と言うシーン(第25回)ですね。あのときの誰袖の表情が、それまでに見たことのない、多分嬉しさと、ちょっと照れているような表情になっていて。お互いに目を合わせられず、若いふたりのキュンキュンするような恋愛シーンでした。
そこでの会話がすごく好きで、身請けがなかなか進められない、誰袖を危険な立場に置いていることへの意知の懺悔というか、今の自分の弱さや未熟さも打ち明けているんですよね。それは意次にも三浦(原田泰造)にも蔦重にも相談できないことで、そういう姿を誰袖には自然と見せられていたなという印象があります。
渡辺謙さんが本当の父親のような存在で、惜しみなくノウハウを共有してくれた
――意次役の渡辺謙さんと親子を演じられて、感じたこと、得られたことはありますか?
謙さんから学んだことはたくさんあります。撮影の合間に「このセリフはこう言ったほうがいい」とか、謙さんが感じたことを共有してくださるし、話し合いながら、シーンをもっと良くしていこうとされて……。自分がこれまでに培ってきたノウハウ、大事なスキル、言ってみれば自分の商売道具を惜しみなく共有してくださるんですよね。
僕が「べらぼう」の撮影期間中、行き詰まって悩んでしまったとき、いちばんに相談したのは謙さんでした。謙さんは、僕が悩んでいることに真っ先に気づいてくださるので、相談をしに行くと「ああ、あそこでしょ」と、全部をわかってくれていました。謙さんと一緒にいるとすごく安心で、何かあったら助けてくれる。本当に父親のような存在でした。

――今回の「べらぼう」では、これまでの定説と異なる田沼家の姿も描かれていますが、そのあたりについてはどんな印象を持ちましたか?
田沼に関しては、賄賂政治を行った悪役というネガティブな印象が先行していて、そういう政治的に汚い手法は、今回のドラマの中でも描かれていました。ただ、それを行った理由が、幕府をより豊かにするとか、お金蔵を持ち直すとか、結局世の中のためを思っての政策であって、それに反感する人ももちろんいるけれど、やっていたことの根本はすばらしいものだったと思うんです。
今回、番組プロモーションの一環として(かつて田沼家が治めていた)牧之原市に2度お邪魔する機会があったんですけど、ありがたいことに大歓迎していただき、地元の皆様が今も田沼家を大事に思っていることが伝わってきました。
僕は、それが真実だと思います。おそらく、今まで僕たちが学んできた田沼意次や田沼家の全てが正解ではなくて、田沼家には田沼家なりのすばらしいところがいっぱいあったのだろうな、ということを現地で実感しました。
――大河ドラマの撮影に携わったことは、キャリアの中でどういう位置づけになりましたか?
もともと大河ドラマに出演することが、自分の中の目標の一つでした。“朝ドラ”でお世話になっていたときに、隣のスタジオで大河を撮っていて、ちょっと違う空気感をまとってスタジオから出てくる役者の皆さんの姿を見て、「あの世界に入ってみたい」という憧れがあったんですよね。
最初は目標が叶ったことがただ嬉しくて、でも自分に求められたキャラクターがすごく大事な人物で、特に20週台は意知を中心に物語が進んでいくので、そこに対する不安が大きくて……。基本的には毎日不安で、それを一つ一つ乗り越えていく日々を1年間続けてきて、気がついたらもう終わっていたという感じです。
ただ、振り返ってみると、意知の成長を表現できたんじゃないかという達成感があって……。役者としてだけじゃなく、ひとりの人間としても、すごく充実した1年間でした。これからの人生でいろんな困難とか苦戦することがあると思いますが、この経験があるから、きっと乗り越えられるぞ、と自信を与えてくれた作品ですね。
できることなら、レベルアップして、また大河ドラマに出演してみたいですね。大河だからこそ作れる世界観がありますし、その一員になれたことを誇りに思うし、すばらしい経験と、成長もさせてもらったので、いつか何かしらの恩返しをできたらいいなと思っています。
