再び蔦重(横浜流星)のもとに戻り、ほかの絵師や戯作者たちと力を合わせて写楽絵を完成させた喜多川歌麿。蔦重との関係を歌麿はどのように受け止めるに至ったのか。また、どのような心構えで歌麿役と向き合ってきたのか。最終回を前に、染谷将太から話を聞いた。
歌麿としては複雑で辛いんですけど、染谷個人としては、蔦重の鈍感だけど人情味あるところがすごく好きです
——第45回で、訪ねてきたてい(橋本愛)から「二人の男の情と業、因果の果てに生み出される絵を見てみたい」と懇願されて、歌麿は耕書堂へ戻ります。歌麿と蔦重の関係は紆余曲折ありましたが、どんなところに落ち着こうとしていると染谷さんは考えていますか?
歌麿の中で、「蔦重と一緒に物を作っていくのが、お互いにとっていいのかもしれない」と、自分なりの答えを見つけられたのかな、と思いました。抽象的な言い方になりますが「蔦重への思いは変わらないということを、自分で認めることができた」という感じでしょうか。
ずっと自分の気持ちに蓋をしていても苦しいだけだし、だからと言って気持ちをぶつけたら自分が傷つくだけ。その狭間で揺れ続けてきましたが、「自分の気持ちは一生変わらないんだ」ということを自分で認めることができた。蔦重に対する気持ちを自分の中で肯定することできた。そんな感覚が強かったです。そこからは吹っ切れて、「この人と一緒に楽しく過ごせたら、それで十分だな」という気持ちになったように感じました。

——ていに対する気持ちにも変化が生まれましたか?
自分の中では結構早い段階から、おていさんへの信頼感はあったんです。(第26回で)おていさんが作者と作品が系図になった表を作ったときから。でも、蔦重の手前、その信頼感を表に出したくないと隠してきたんですよね。
最終回で、歌麿はおていさんを初めてある呼び名で呼ぶんですが、それは蔦重と歌麿の関係がある種“完成形”になったからこそ、おていさんに対して素直に自分の気持ちを明かせたのではないかと思っています。
——第46回では、連れ戻しに来たていの気持ちを代弁しながら、歌麿は蔦重に「そういう尽くし方をしちまう奴がいんだよ。いい加減わかれよ!このべらぼうが!」に怒りをにじませていましたが、あれは歌麿自身の気持ちですよね?
そうですね。そこに歌麿の気持ちものせていますし、「あんた、本当そういうとこだよ!」という気持ちもあって……(笑)。「もう俺が言うしかない」と踏み込んだんですけど、言いながら、「それでもこの人は、変わらないんだろうな」という気持ちもあったと思います。
どうしたって気づいてもらえない、役としてはすごく複雑で辛いんですけど、染谷個人としては「これに気づいちゃったら、蔦重らしくないな」という思いもあって(笑)。「その視点はない蔦重」というのが逆に魅力的で、だからこそ蔦重なんだな、とも思いました。鈍感だけど人情味のある感じが、すごく好きなんですよね。

おきよさんが亡くなる場面では、亡骸が連れ去られた後、人型の染みが畳に残っているのに気づいて、そこにすがりつくお芝居になりました
——今回の歌麿役で、大変だった点はなんでしょうか?
(かぶり気味に)絵ですね。分量が多いだけでなく、求められるレベルも高くて……。有名な絵が多いですし、それを大河ドラマのなかで描く責任感からすごく緊張しました。指導の先生から宿題のドリルのようにプリントを何十枚といただいて、自宅でずっと練習をしていました。
——歌麿が残した絵については、どのように感じましたか?
「べらぼう」出演のお話をいただいた時には台本もなく、やれることは歌麿の作品を見ることくらいだったんです。ですから、歌麿の作品をたくさん見て、「この女性は寂しそうだな」とか「どういう瞬間を切り取ったんだろう」などと思いを巡らせました。人の気持ちを自分のことのように感じ取れる人で、きっと繊細な方なんだろうなと想像していました。
台本が届くと、その漠然とした想像の点と点が結ばれていく感覚になりました。森下先生の描く歌麿もすごく繊細ですし、複雑な気持ちを抱えていて、歌麿の絵とも結びつけることができました。
——その繊細な歌麿には心情的につらい場面が多く、演じるのが大変だったのでは?
労わってくれる方が多かったですね。「歌麿、大丈夫? 大変だね」って(笑)。友人とかからも。苦しい場面が多かったのは確かですが、それを表現していくのは面白い作業でもあるので、やりがいを感じながら現場に臨んでいました。大変なことを楽しむのが、「べらぼう」の世界観でもありましたし。

——きよ(藤間爽子)さんが亡くなるあたりは、辛かったですか?
一番衝撃的でした。台本を読んだ段階で「うわぁぁぁぁ」となって。亡くなることは知っていましたが、「もう亡くなるんだ」という衝撃と、それまでの歌麿とおきよさんのシーンがすごく切なく描かれていたので、台本を読むだけで涙が流れてしまうぐらい、ショッキングでした。
おきよさんとふたりのシーンって、実は多くないんです。でも、1シーンずつがすごく濃かったですし、ふたりの感情の流れを順を追って収録できたんです。だから、目の前で起きることに反応するだけで、自然とお芝居が成立しました。
藤間さんもセリフがない中で、感情豊かに表情と動きでおきよさんを表現されていて、ものすごく心を動かされました。「おきよさん、行かないで」というセリフは、本当に行かないでくれ! と叫びたいような気持ちになっていました。
——だから、きよが亡くなったのを認められなくて、やってきた蔦重に対してあんなに感情を爆発させていたのですね。
あのシーンは流星くんと何度も話し合って、蔦重がどう歌麿を止めて、歌麿がどう当たるのか、蔦重としての気持ちと、歌麿としての気持ちを共有したうえでやらせてもらいました。
おきよさん(の亡骸)が連れ去られた後、染みが畳に残っていたんです、人型に。最初は気づかなくて、リハーサルで布団がどかされたときに、初めて染みが目に入って……。「ああっ、おきよさんの跡だ……!」と思って、そこにすがりつくお芝居になったんですけれど、スタッフの皆さんの表現も相まって、壮絶なシーンになったと思っています。

蔦重が歌麿の感情を引き出してくれて、横浜流星くんから、ずっとエネルギーをもらっていた感じがします
——歌麿と蔦重は二人三脚のようにしてやってきたと思いますが、横浜流星さんとはどんな関係性ができましたか?
流星くんとお芝居をしていると、蔦重が歌麿の感情を引き出してくれるんです。時にはかき乱されもして、それによって歌麿がどんどん成長していく。流星くんからずっとエネルギーをもらっていた感じがします。流星くんが表現する蔦重を素直に受け止めて、しっかりと見るということが、自分の中でとても大事な作業の一つでした。
彼は、常に「べらぼう」のことを考えていて、蔦重と周囲のことをとても冷静に捉えていましたね。一緒にお芝居するときも、ふたりで方向性を確かめ合いながら、どういう表現をしたら「べらぼう」という作品においてベストなのか、話し合いを重ねました。実際にお芝居をして感じ合うこともありましたし、本当に助けてもらってばかりで、「良き戦友」という感覚になりました。
――特に印象的なシーンはどこですか?
少年期の唐丸(渡邉斗翔)から自分が演じる唐丸に代わって蔦重と再会する場面は、自分にとっての「べらぼう」のスタートラインでもあったので、印象深かったです。このときの蔦重と唐丸には微妙な関係性があって、細かな心のひだを表現しながらも、駆け引きをしなくてはいけないシーンでもあったので。
収録に合流するまではオンエアで見ていたのですが、蔦重兄さんと自分が初めて生身で対峙したときに、絶妙な距離感が生まれたと言いますか……。一筋縄ではいかない関係性を感じたので、そのときの気持ちをずっと大事にしながらやってきました。

——物語の中で、歌麿は江戸城側の人物たちと接することはありませんでしたが、放送をご覧になってどんな印象を持ちましたか?
あちら側の世界も見てみたい、とすごく思いました。途中から「別の作品?」と感じるくらい、一視聴者として楽しんでいて、お城での政のあれこれを客観的に見られたのが面白かったです。視聴者としてオンエアを楽しんで、自分は仕事をしに耕書堂のセットに入っていく感じで……(笑)。
——斎藤十郎兵衛(生田斗真)の登場は、どう見られましたか?
「こうきたか!」と思いました。第46回はラストで十郎兵衛が出てきて終わりましたが、台本では、蔦重が毒饅頭を口にしようとしたところで終わる予定だったんです。そこに、編集で第47回の映像が入れ込まれたんですよね。オンエアを見て「うわぁ!」となりました。
視聴者の皆さんも、きっと同じだったと思いますが、めちゃくちゃ面白い終わり方で、次の週が待ち遠しくなりました。収録が終わったのもありますが、一視聴者としてとても楽しんでいます。
——「べらぼう」らしいなと感じられたシーンはありますか?
写楽の絵が完成したときは感慨深かったですね。歴史が動いた感じがして、胸が熱くなりました。最終回にも写楽に関する言及があって、そのオリジナリティー溢れる表現も、とても「べらぼう」らしいと思います。蔦重たちの戯けに、我々現代の人間も騙されているんじゃないかと感じる、そんな面白い楽しみ方ができると思います。
この「べらぼう」も蔦重が作ったんじゃないかと感じるくらい、最終回でも「べらぼう」らしい終わり方をしています
——歌麿役は、ご自身のキャリアの中では、どんな経験になりそうですか?
不思議な経験でした。今まで感じたことのない感情が湧き上がることが多かったですね。例えば、怒りといっても一言で怒りと言い切れないような感情なんです。蔦重に対する愛情が隠れていたりして。
その愛情も、歌麿自身どういう感情なのか処理しきれないんです。そういった表現は、今まで経験したことがなかったもので、本当に役者としても1人の人間としても、すごく素敵な経験をさせていただけたなと思います。歌麿にはいろんなことが起こるので、怒ったり、泣いたり、笑ったり、せわしなかったですけれど、自分としてはとても充実した時間でした。

——これから放送される最終回を楽しみにしている視聴者の方にメッセージをお願いします。
最終回のラストも、とても「べらぼう」らしい終わり方をしていますので、ぜひ楽しんでいただけたら嬉しいです。
蔦重が人々に面白いものを届けて世を耕していく姿勢と、この「べらぼう」が人々の力になるよう世に送り出されたことが、すごくリンクしている気がします。大河ドラマ「べらぼう」も蔦屋重三郎が作ったんじゃないかと感じるくらいで。最後まで見ていただいたら、そんな戯け感と面白みが、きっと感じられると思います。