
今週は、先週の放送から1年ほど経過した天正15年(1587)9月から始まりました。この間の豊臣兄弟――豊臣秀長(演:仲野太賀)と秀吉(演:池松壮亮)の動きを見るために、2年ほど時間を巻き戻しましょう。
かねて九州では、豊後の大友家と薩摩の島津家が争っていました。関白・秀吉は天正13年10月、天皇の命令であると謳って、両家に停戦するよう命じました。ここでも秀長が交渉の窓口となっています。
しかし島津家との交渉は難航しました。島津家の武将の日記には「わが家は源頼朝以来の名門であるが、秀吉は出自も知れぬのに、(秀吉からの申し入れに対して)関白の扱いで返事をするのは笑止だ」と記されています。これが島津家中の雰囲気だったのでしょう。さらに秀吉は九州の所領の再配分案を提示しますが、島津家には不利な内容であったため受け入れられることはありませんでした。
天正14年6月、島津家は大友家に攻撃を仕掛けます。これを受け、秀吉は7月、島津討伐を決定し、毛利輝元(演:濱正悟)や長宗我部元親(演:磯部寛之)らに出陣を命じます。
豊臣兄弟も、徳川家康(演:松下洸平)への対応や後陽成天皇の即位といった大事業(コラム#41参照)を終えた天正15年3月初め、九州に出陣しました。肥後を経由して南下する秀吉軍と、豊後・日向を経由する秀長軍の二手に分かれて薩摩に攻め寄せると、5月には島津家は降伏しました。
西日本を手の内に収めた秀吉は大坂城(現在の大阪府大阪市に所在)に戻り、秀長も戦後処理を終えたのちに大和に帰国します。帰国後、秀長は権大納言に昇進しました(家康も同時に昇進しました)。秀長は、領国の名前を冠して「大和大納言」と呼ばれるようになります。

秀吉は九州攻めの帰路の博多で、6月19日に伴天連追放令を出しました。伴天連とは、キリスト教を広める宣教師のことです。
キリスト教は40年ほど前の天文18年(1549)に日本に伝来し、人々の間に広まっていました。秀吉は九州に赴き、キリスト教が広まっていること、長崎などが教会の領地になっていることを見て、一向一揆のような宗教勢力になると危機感を抱いたのでしょうか。他の宗教からキリスト教への非難の声もあったようです。
秀吉の配下には、高山右近(演:市川知宏)、黒田官兵衛(演:倉悠貴)らキリスト教信者の武将がいます。秀吉は追放令を出す直前、右近にキリスト教を棄てるよう命じます。しかし右近は拒否し、追放されました。一方、官兵衛は信仰を棄てなかったものの、豊前の一部を与えられ、引き続き秀吉に仕えています。ある宣教師は、官兵衛がこのとき毛利氏との交渉という大きな任務に当たっていたため信仰を棄てるようには命じられなかったのだ、と記しています。
ドラマでは、こうしたキリシタンの信仰に対して、甥・秀次(演:山田涼介)が「私にとっては殿下(秀吉)こそが大明神」と言っていましたが、興味深い発言ですね。のちに、秀吉は遺言で「新八幡」として祀られることを望み、最終的に「豊国大明神」として祀られることになります。もちろん今回のドラマの時点で、すでにこの希望があったかどうかはわかりません。
また今回、久しぶりに室町幕府将軍・足利義昭(演:尾上右近)が登場しました。秀吉は九州に赴く途中、実際に備後で義昭に対面しています。京を追放後、毛利家の許に滞在していた義昭ですが、前年の天正14年には秀吉の意志を島津家に伝えるなど、征夷大将軍として仲介に立つ様子が見えます。

義昭は九州征伐ののち、仲介の功績によって上洛を許されました。そして天正16年正月に出家して昌山と名を改め、秀吉の推挙により天皇から准三后という高い身分が与えられています。晩年は、秀吉にお伽衆(話し相手などをする側近)として厚遇され、慶長2年(1597)に数え61歳で亡くなりました。
10日間予定の秀吉の大茶会が、なぜか1日のみで中止に!?
九州攻めから凱旋した後、秀吉は天正15年9月中旬には新造の聚楽第に移ります。秀吉のお伽衆・大村由己著『聚楽行幸記』に、「誠に長生不老の楽しみを聚むる(集める)ものか」と謳われた豪邸です。
そして10月1日、京の北野(現在の京都市上京区・北野天満宮内)で秀吉主催の大茶会が10日間の予定で催されました。北野大茶湯です。公家や堺の商人たち、心得のある者は誰でも参加するよう広く呼び掛けて行われたこのイベントは、九州征伐の成功と、秀吉の権勢や富を天下に宣伝する目的としたものでしょう。当時「栄華満足と見えたり」と評されています。

茶会当日、秀吉の茶席を訪れた人は8人一組で入り、秀吉の前でくじを引き、結果によって2人ずつ秀吉の席、千宗易(演:吉岡秀隆)の席、津田宗及(演:マギー)の席、今井宗久(演:和田正人)の席に振り分けられ、茶をいただく、というシステムでした。
秀吉は多くの客に茶をたててもてなし、また他の茶席を見物に行ったといいます。秀長も席を設けて、公家たちや人々をもてなしました。しかし、この大茶会は開催1日のみで中止となりました。なぜ中止になったのか、理由はわかりません。
ただ奈良の僧は、佐々成政(演:白洲迅)の治める肥後で騒動が発生したためかと推測しています。成政は天正13年に秀吉に降伏し(コラム#37参照)、九州征伐後の所領の再配分により肥後を与えられました。しかし肥後の武士たちと対立し、7月末に一揆が勃発していたのです。ドラマの秀吉は、成政に顔に泥を塗られたとだいぶ不快そうな様子でしたね。
一方、秀吉と秀長、そして秀次の想いが少しずつずれているようで、ドラマの今後の展開が心配です。

愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。朝廷制度を中心とした中世日本史の研究を専門としている。著書・論文に『中世朝廷の官司制度』、『史料纂集 兼見卿記』(共編)、「徳川家康前半生の叙位任官」、「天正十六年『聚楽行幸記』の成立について」、「豊臣秀次事件と金銭問題」などがある。