今年4月、プロ野球歴代3位の320勝右腕・小山正明さんが90歳で逝去されました。「精密機械」の異名を取る完璧な制球力で無四死球完投73試合は歴代2位です。兵庫の高砂高校を卒業し昭和28年に阪神に入団、11年間活躍し、トレードで移籍した東京オリオンズ(後にロッテ)などで21年間投げ切りました。
小山さんを初めて球場で見たのは20勝13敗の成績の昭和41年の東京時代で、無四死球完投はリーグ最多の7試合の年でした。当時としては長身の183センチの体格で背番号47の背中は大きく見えました。力みのない「脱力投法」のオーバーハンドで自在にボールを操りました。特に掌に握りこむパームボールを落としたり曲げたりし、打者を翻弄する雰囲気は手品のようでした。このチェンジアップのような変化球を日本では初めて小山さんが使いこなしました。
現役時代に接点はありませんが、子供のころ目撃した制球力に関心を持ち、いつかお話ししたいと思っていました。そのチャンスが令和2年に番組の対談でやってきました。
制球力を獲得するスタートは、新人時代に毎日担当した打撃投手、ストライクを投げないと先輩に叱られたからと振り返ります。「2球3球続いたら怒鳴られてね。怖くて一生懸命真ん中狙って、できたら少しずつ内角、外角へ広げてね」。また小山さんは初めは、「160キロは出てたやろ」と自負する剛速球投手でしたが、コーチに「そんな力入れんでも強いボール行くやろ」、そう言われて脱力投法を取り入れました。パームボールの制球は難しいはずですが「落とす練習、曲げる練習、練習よ」と、秘密を教えてくれました。そしていちばん問いたかったのは逸話、「捕手に目隠しをさせて構えたミットに投げた」。これは少々話が大げさではと確認しましたが、「やったよ。ブルペンでね。捕球はできなかったけど全部ミットに当てた」と。凄ぇ! と感じた精密機械物語を今から伝えていきたいと思います。
(おのづか・やすゆき 第1金曜担当)
※この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2025年7月号に掲載されたものです。
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